プレマ株式会社の『宮古島プロジェクト』
宮古島の無肥料自然栽培を推進し、島の健全な地下水と珊瑚礁を守り、お客様に安心と安全を届けます。
- 本プロジェクトのミッションステートメント
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- 宮古島に無農薬の野菜・果物栽培を広げ、お客様に安心と安全を、島には健全な地下水と珊瑚礁を守り、育てます。
- 宮古島の文化、風土、土地に学び、知り、ともに育ち、世界のひな形たりえる日本の未来のひな形を形成します。
- 結いの精神(助け合いの輪)を広げ、無関心から愛を、争いから相互理解を、効率一辺主義から人のほんとうのあり方を追求します。
- 経済のよりよいあり方を希求することは、制度そのものの変革となり得ることを自覚し、エネルギー、産業、農業の近未来のあり方を思考し、指向し、施行します。
- 私たちは自然の一部であり、また全体であることを、もう一度見いだします。
- 本プロジェクトのアクション
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- まず、宮古島に少しでも多くの無農薬、無化学肥料、さらに踏み込んで無肥料の栽培を広げます。そのために理解あるお客様に会員(※)となっていただくことで、安定した需要と生産の関係を維持することができ、真に自然を生かした経済の維持・発展が可能になります。お客様には意味あるお金の使い方の具体的な一案を提示します。
- 宮古島の自然から生み出される産物(2次加工品)のアイディアを産みだし、またその製造や販売を拡大します。これによって島には高付加価値による経済の活性化がもたらされ、コミュニティーは生き生きとし、よりよい島づくりが可能になります。
- 宮古島に関心を寄せる皆さまに、宮古島の現状、変革、可能性を知っていただきます。そのためにウェブを駆使し、またツアー、セミナーなどを開催します。
- 宮古島の有意の人々と、日本、世界の人をつなぎます。そのために宮古島では有意の人を見いだし、増やし、応援します。そのほかの地にも有意の人を見いだし、増やし、理解と支援、体験を呼び起こします。それが有意の人々の自立と自律、開放性を拡大するように声を出し続けます。
※会員制については、現在、現地との調整も図りながらその具体的な内容を検討しています。
私は水平の彼方南に、新天地をみつけました。そこは原発も基地もない、理想の土地でした。中心となる三角形の島はその昔、「ミャーク」と呼ばれていました。
その島々は、一説では約12000年前に沈んだという卓越した超古代文明「ムー大陸」の一部だったと主張する人までいるような、南の現存するユートピアとして語られます。最近ではホピ族の長老たちが「予言された宝物を探しに」毎年この島を訪問していたという事実すらあり、そのような話が好きな人にはたまらない場所でもあります。
しかし実際には「ユートピア」ではありませんでした。私たちと同じように悩み多き人々が、アララガマ精神(「なんだこれくらい!決してまけないぞ、必ず乗り越えられる!」という意味を持つこの島々のことば)を胸に秘めながら、何百年もこの島がユートピアとして再生出来る日を待っていたことを、何度も何度も訪問しているあいだに感じ取りました。
多くの人が最近になってなぜこの島々に強く引きつけられるのか、その本当の魅力と可能性、いままで存在している問題はなにかをこのプロジェクトで明らかにし、ユートピア再生の道を皆さまとともに歩んでいきたいと思っています。
プレマ株式会社 中川信男
注釈
※1 本稿で用いている「宮古島」「宮古」および「島」という言葉は、正確には宮古諸島の一部、行政単位としての宮古島市の島々(宮古島、池間島、大神島、来間島、伊良部島、下地島)を指して用いていることがあります。島々によって個別に事情が違う場合がありますが、基本的には宮古島市の島々と解釈ください。
神田昌典 かんだ・まさのり
上智大学外国学部卒。大学3年次に外交官試験合格。大学4年次より、外務省経済局に勤務。ニューヨーク大学経済学修士(MA)、ペンシルバニア大学ウォートンスクール経営学修士(MBA)取得。その後、米国家電メーカー日本代表を経て、経営コンサルタントに。
多数の成功企業やベストセラー作家を育成し、総合ビジネス誌で「日本一のマーケッター」に選出されている。ビジネス書、小説、翻訳書の執筆に加え、ミュージカル、テレビ番組企画など、多岐にわたる創作活動を行う。
主な著書に『60分間・企業ダントツ化プロジェクト』『全脳思考』(以上、ダイヤモンド社)、『成功者の告白』『人生の旋律』(以上、講談社)、『非常識な成功法則』(フォレスト出版)、翻訳書に『ザ・マインドマップ』(ダイヤモンド社)、『あなたもいままでの10倍速く本が読める』(フォレスト出版)等、累計出版部数は200万部を超える。
「沖縄県の一部」では語れない、宮古島の固有性
日本本土から遠く、沖縄本島からも約300キロ南西の台湾にほど近い場所に宮古島(宮古諸島)はあります。ともすれば沖縄県の一部として沖縄本島と同列に語られるこの島々ですが、ここには沖縄本島をはじめとする他の島々とは全く違う言語や風習、文化が今も生き続けています。
たとえば日本の標準語で「ようこそ(歓迎の意)」に相当する言葉は、沖縄本島では「めんそーれ」、宮古島では「んみゃーち」と全く別の音と響きになります。これは音楽でも同様で、宮古島地方特有のことばと旋律の民謡は、そのユニークさゆえに世界的にも高い評価を受けています。
もちろん、皆さんがご存じのように島の周辺には豊富な珊瑚礁があり、ダイバーには羨望の場所です。ビーチは「東洋一美しい砂浜」と誉れ高く、さらにはスピリチュアルに関心のある人には唯一無二の「癒しの島々」として有名ですから、世界中のスピリチュアリストがそのパワーを受けに訪れる場所にもなっています。これらの島々の固有性はほかにも数多くあり、それらのすべてが宮古島に弊社の拠点をおくことにした理由となっています。それらを詳しく見ていきましょう。
どうぞ、動画で美しい宮古島の風景をお楽しみください
「ビデンス・ピローサ」という雑草が教えてくれたこと
この土地には、弊社でもずっと取り扱っている「宮古ビデンス・ピローサ」という薬草素材があります。沖縄諸島ではこの草は地下深くに根をはり、切っても切っても生えてくる厄介者の「雑草」として良いイメージでは語られないことが常です。この猛烈な生命力をもつ「雑草」の薬草としての可能性を見いだした武蔵野免疫研究所の吉田社長から、「なぜに宮古島のビデンス・ピローサはあれほど強力な抗酸化力と抗炎症力、免疫活性力をもつのか」という話を聞いたときから、私はこの島の隠れた魅力に取り憑かれました。
ビデンスピローサ このビデンス・ピローサという雑草(宮古島では「ムツフサ」と呼ばれます)は、他の土地で栽培したものと徹底的に比較されました。この研究には数多くの大学や医療機関が参画しており、数多くの信頼できるエビデンス(証拠)が存在しています。実際に各種の栄養分析を行いますと、ミネラルが圧倒的に豊富であり、そのほかの栄養成分も非常に豊かで、他の地域で栽培または採取されたものと全く違うことが学術的に明確となりました。
ビデンス・ピローサの比較でわかったことは、宮古の島々は植物にとって過酷な場所であるということです。つまり、スパルタ的な風土に負けずに生き抜く力(抗酸化力、抗炎症力など)が備わった植物は、一切の肥料をやらずとも宮古の島々特有の土壌がもつアルカリ性のミネラルを貪欲に吸い上げ、食べる人にとって素晴らしい栄養源となりえるという確証が得られたのです。
宮古の島々で無農薬、無肥料で野菜を栽培すれば、この雑草と同様に素晴らしい価値をもたらしてくれることは想像に難くはありませんでしたが、「離島の離島」ゆえに流通の壁が非常に高く横たわっていました。過去に多くの人がこの地で野菜を栽培し本土に出荷しようと試みていましたが、志半ばで頓挫していたことが次々とわかりました。確かに無農薬での栽培は現在もその一部で行われており、有機野菜は一定量栽培され出荷もされています。しかしその量は決して多くはありません。よって、島は国からふんだんに助成金のでるサトウキビや葉たばこが異様に目につく、きわめて「不自然」な環境に覆われています。
旅人はサトウキビ畑を見て島特有の「自然」と勘違いしますが、本来この島は生物多様性に恵まれた里山の風景があった場所だとこの島の年長者は知っています。国や自治体によって基盤整備がなされ、整備された土地に大量の農薬と化学肥料が用いられ、どこでどのような努力やいかなる栽培をしても同じ価格で引き取られるこれらの作物は、ミツバチや蝶、蛍などが住むこともできない不自然で「真に自然な活力に欠けた」島の風景を作り出しています。
それでもなお、褪せることのない「宮古島という可能性」
現状にフォーカスすれば、島はこの瞬間「ユートピアではない」という結論になります。しかし、この島には実にたくさんの可能性が秘められています。その「宮古島という可能性」を考えてみましょう。この秘めたる可能性をこの地に住んでいる人にお話しすると、「そんなに高く評価していただいてありがとう、島にいると不便さばかりが際だってわからないことがたくさんあります」とおっしゃいます。 それらの魅力は、3.11大震災以降の価値観の変化はもちろん、実際に生じた原発事故による環境汚染に対しても朗報ともいえるものです。一つ一つ見ていきましょう。
(1)宮古島(宮古の島々)は世界的にも珍しい珊瑚礁そのものが隆起してできた島であり、土壌は琉球石灰岩(珊瑚石灰岩)と呼ばれるサンゴのミネラル分と、サンゴが発する「癒しのエネルギー」を豊富に含んでいます。
サンゴに含まれるミネラル、そしてそこから発せられるエネルギーは尋常ならぬものがあります。サンゴは元来生き物であり、清浄な海にしか生きることができない繊細な生物です。サンゴ化石の破片を手のひらに載せ、もう片方の指で筋力テストをしますと、サンゴを載せていないときと全く違う、力強い状態になることはよく知られています。サンゴを身につけ、またはつけていないときとの身体柔軟比較テストをしても柔軟性が増すことまであります。
驚くべきことに、この島々は太古の昔に珊瑚礁が一気に持ち上げられて出来た島々であり、島の地盤のほぼすべてがサンゴから出来ているのです。日本国内はもとより、世界的に見てもこのような地盤で占められている島はほとんどありません。サンゴはまさに癒しの生物であり、それが堆積、隆起して出来上がったこの島の希少性と価値は唯一無二の素晴らしさがあります。
(2)山も川もない平板な土地なので、雨水はそのまま地下に浸透し、サンゴのミネラルを大量に含みます。その水はサンゴ(琉球石灰岩層)の内部で蓄えられ、農業用水や生活用水として利用されています。
宮古島は実に平坦な島です。来訪の機会があればぜひ飛行機は窓際の席をとって、島を上空から眺めてください。最高標高は115メートル、島の中心付近に小高い丘(盛り上がった場所)があるだけで山がありませんし、山がないと川ができません。このことは、降った雨は川によって海に流出することなく、島の地下に浸透することを意味しています。
以前、宮古の島々は水不足との戦いの連続でした。島の歴史は水の不足と苦しみの連続だったのです。雨が降っても地下に浸透し、隙間だらけのサンゴの地盤を通って地下からかなりの量が海に流れ出していました。島の生活や農業は井戸や湧き水によって支えられてきましたが、その井戸や泉もたびたび涸れるのです。物流が整備されていない時代に離島で水が不足するということは、即ち食料が不足する苦難と直結しています。何度も何度も島民を苦しめた水飢饉は、西暦2000年をもって解決への一歩を踏み出しました。
その一歩は「地下にダムを造ること=地下ダム」によってもたらされました。1971年にこの島を襲った大干ばつをきっかけに、地下水が流れ出してしまう部分にコンクリートの人口壁を造り、水を通しにくい地層(琉球泥岩層)の欠けを補うことで隙間の多いサンゴで出来た琉球石灰岩の地層に貯水するという世界的にも非常に珍しいダムです。長年にわたる島民の苦しみを解決するべく、この事業に生涯をかけた有志の存在によって実現したものですが、この地下ダムの水が、現在の農業を支えています。
- 地下ダムとは…
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水を通さない壁を地下に作って、地下水の流れをせきとめ、地下水を貯める施設のことです。
地下ダムの貯水は名前からイメージするような地下に巨大空間を造ったものではなく、水を通しにくい層を人口壁で補ってサンゴの堆積層の中に浸透した水をたっぷり囲い込み(図参照)、必要に応じポンプで揚水して利用されるものです。ここから出た水は「サンゴのミネラルをめいっぱい含んでいる水」となります。サンゴの浄水、活水、ミネラル添加力は素晴らしいもので、サンゴを封入した浄・活水器が優れた能力をもつのと同じです。この水をふんだんにつかった農業が可能な土地となっています。
地下ダムについてのさらに詳しい情報はこちら
(3)度重なる台風来襲のたびに平坦な島には海水が霧状に降り注ぎ、海のミネラルが加えられます。植物は塩分に痛めつけられますが、強い太陽光線で抗酸化力を伴いながらすぐに再生します。またその都度島は洗い流されます。
宮古島においての天災の最たるものが、1年に何度も近海で発生する台風襲来によるものです。この台風襲来もまた島民を苦しめてきましたが、反面すばらしい効果もあります。
一つは、環境を汚染しうる要因(排気ガス、黄砂、農薬など。とはいえもともと排気ガスも黄砂も非常に少ない島ではあります)が、台風のやってくる度に根こそぎ洗い流されます。島にくる台風の風と雨の強さは日本本土とは比較にならず、まさに根こそぎです。
さらに強力な風は、小さな島を舞い上がる海水で覆います。このとき、海水のミネラルが土地に降り注ぎます。塩分は農作物や島のあらゆる植物を痛めつけますが、自然とはすばらしいもので、一度塩にやられた植物たちはぎりぎりの死線をさまよったあげく、数日の後には一気に再生するのです。その様子は「死から生へ」の活気そのものです。
そのうえにこの島は年中強い紫外線が降り注ぎます。強い紫外線によって植物の内部には自らを保護しようとする抗酸化成分が大量に生成され、それを食べる人に与えるのです。
台風、塩、紫外線・・・あらゆる自然界の厳しさがこの島々の植物をスパルタの極みで育て上げ、生命力を高める要素になっているのです。まさに植物も「アララガマ精神(前述)」をもち、何があっても負けないぞという強さを内側に秘めています。
(4)「温帯で育つ植物」、「熱帯で育つ植物」の両方が育ちます。
宮古島は気候分類上、亜熱帯(熱帯雨林)地域とされますが、実際には日本本土で主流であるような温帯で育つ植物も育てることができます。本土で日常的に食べるほとんどの野菜を栽培することができ、本土ではハウスを使わないと野菜を作れないようなシーズンでも、この地では関係なく栽培、収穫、出荷が可能です。
野菜や特に果物のおいしさが有名なこの島ですが、物流が発達していない時代には、ほとんどの食料は島内で作られてきた歴史があります。「離島の離島」であるが故に、外との交流や物流が難しく、だからこそあらゆる種類の植物の栽培が試みられたわけです。
近年では沖縄本島や日本本土(遠くは北海道産)、さらには輸入された野菜や肉までもが安価に島内で売られていることで、せっかく多種多様な植物が育つ環境が無駄にされている状況です。大規模なスーパーマーケットが続々と出店したことで、より安く買い付けでき、より多くの利益がでる島外産の農産物が持ち込まれ、元来の可能性が半ば封じられているのです。島では通年できるバナナまでもが、遠くフィリピンなどから持ち込まれ、島内産を押しのけているのはとても残念なことです。
日本本土の皆さんがこの島の農産物の可能性を理解いただき、積極的にご購入いただくことで、島の人や流通業者がその魅力に気づき、島々でまた多種多様な無農薬野菜がたくさん栽培されるときがくることを心から願っています。
(5)沖縄本島からも遙か遠く、日本本土のものが極めて入り込みにくい土地です。
原発事故ののち、汚染された農業資材が全国に広がっていることが明らかになりました。それは高度な物流の発達がもたらした弊害の一側面でしたが、「離島の離島」である宮古島または周辺離島まで重量のある農業資材を持ち込んで使うメリットはほとんどありません。
安く輸送が可能な船便も沖縄本島に向けて週に数便あるだけで、本土への船便はありません。軽量物は航空便の輸送網で調達されますが、その運賃は異常に高く、安価で重い品を輸送するメリットがないのです。このことが、島を清浄に守っている一つの要因となっています。
(6)環境汚染源となる重工業も、戦闘機が発着する基地も、そして原発もありません。
沖縄県には原発がありません。しかしながら、沖縄本島には米軍や自衛隊の基地があり、多くの住民が今も苦しんでいます。また、歴史を遡れば、沖縄の日本国復帰以前、沖縄は極めて厳しい経済的状況におかれていました。米国は沖縄を戦時植民地として実効支配していましたが、経済的な支援はほとんどないに等しかったのです。本土復帰の直前には、沖縄の各地域で「自立・自治の流れ」が育ちましたが、復帰直前に公務員のびっくりするような待遇改善や農業への助成金施策がとられたことによって、自治の声は陰を潜めたといいます。一時は重工業を沖縄各島に興して、離島支援をしようという政治的な流れもあったようですが、幸か不幸かこれは実現せず、この宮古島周辺には重工業がありません。
戦後の日本復帰までの宮古島および周辺諸島の貧しさは、ご理解いただきたいポイントです。日本本土が好景気に沸いているときにもその恩恵はほとんど得られず、復帰後は復帰後で苦労が絶えませんでした。今も沖縄県は日本で平均所得がもっとも低い県となったままですし、宮古島周辺はその中でもさらに平均所得が低いとされています。さらにずっと遡れば、悪名高き人頭税(その土地で生きているだけで課税される制度。琉球王朝による農民の奴隷化政策として課せられていた税)にも苦しめられてきました。
永続してきた貧しさが、離島部の自然や環境を守ってきたという側面もあり、今は一概に悲観も評価もできるものではありませんが、この時代にこそ、原発も重工業も存在しないことの価値を生かせる時がきたと考えています。
(7)自然界そのものに対する信仰がいまも根付いています。
日本の伝来宗教は、自然界に対する畏敬の念をベースにしているのはご存じの通りです。それをさらに深くしたのがこの宮古の島々の自然界そのものへの崇拝ともいえるでしょう。経済的発展を謳歌した日本本土では失われてしまった多くのものが、当地では今も生きています。
島で精霊が宿る場所は「ウタキ」と呼ばれます。ウタキは島のあちこちにあり、大半のウタキには建物がありません。木や石、空間そのものが祈りの対象となっています。島外の人間は立ち入ることも、また全く知られてもいない祈りの場所もたくさんあり、宮古島周辺はとくにそのような場所が数多く、まさに自然と祈りが共存してきた土地となっています。
命の糧を生み出す場所として考えたとき、このことの価値は、科学的云々で論議できるような軽々しいものではありません。特に自然農法(農薬も肥料も使わない、古来の栽培方法)をベースに考えたとき、「雑草」や「害虫」も含めた対話が必要とされ、対症的、分析的な思考だけでは成立しません。農薬や化学肥料を大量に用いる慣行農法とは違う「感じ、畏れ、祈る」という要素が必ず必要となってくるのです。
(8)地理的に「アジアのへそ」となる場所にあります。
宮古諸島は日本、中国、台湾、韓国、日本、東南アジアのへそとなる位置にあります。今世紀はアジアの時代であり、アジア諸国の人々がいがみ合うのではなく、どう理解し、交流し、支え合うかというテーマと向かい合っていくことが世界中の次世代にとって必要なことだと考えています。
島には「結(ゆい)の精神=相互扶助、助け合いの精神」が今も生きています。この厳しい自然と困難な歴史のなかで培われてきた、私たち多くの日本人が忘れてしまった扶助と自律の精神が、まだ生き続けています。
島々を軍事の島ではなく、平和の島としてあり続けさせることは、私たち共通のテーマです。概念だけではなく、実際に宮古諸島がそのように存在できるよう、この地理的な意味とそこで何を実現していくかを島の内外で深く考え、理解してゆくことが今、必要とされています。
(9)島の人は、島外の人にもオープンです。
沖縄地域の他の島に比べ、宮古は「ヤマトの人=内地、本土の人」に寛容でオープンマインドだといわれています。沖縄の離島をいろいろ旅されてきた方はこのオープンさを知っておられるはずです。
私たちの現地事務所も下地与那覇という地域にありますが、ご近所様は「よそ者がきた」という雰囲気ではなく、気さくに挨拶や会釈をしていただいています。「オトーリ」と呼ばれるお酒の回し飲みも、いろいろな解釈がなされていますが本質的には平等の精神がそこにあると説明を受けたことがあります。お酒を飲むのも輪になって平等に、というこの本質が、この島を広く魅力的にさせている大きな要因となっています。
(10)航空便が就航しています。
離島にもいろいろな場所がありますが、宮古島には船便が少なく(本土への直行便はゼロ)、しかし充実した航空路線があります。宮古諸島の産物をフレッシュにお届けしようと考えたとき、航空便の存在は不可欠です。私は運送会社さんにも島々の可能性と将来ビジョンを語り続け、過去の本土での実績も相まって他社ではあり得ない運賃で宮古諸島の産物をお届けすることが可能になりました。
また、この島々の可能性を見いだしたいとお客様が呼応され、当地を訪問されようとしたときにもとても便利にお越しいただくことができます。
人が安く乗船できる船が就航していた時代には治安の悪化現象もあったようですから、航空便に限定されたこの数年は、島の健全性を取り戻すチャンスともなりました。宮古島の隣にある下地島には、パイロット訓練用の空港があり、軍隊誘致の動きもあります。しかし、将来この空港およびその周辺地域を空路の平和的利用の象徴にしていくために、皆さんと力を出し合い実現していきたいというのが私たちの願いです。なお、当地には現時点で戦闘機や戦車が往来するような自衛隊および米軍の基地はありません(レーダー基地のみあります)。
(11)行政も「エコアイランド宮古島構想」に基づいた地域づくりをしています。
宮古島市は、自治体として「エコアイランド宮古島宣言」を掲げています。
1.私たちは、美しい珊瑚礁の海を守ります。
1.私たちは、みんなの知恵と工夫で、限りある資源とエネルギーを大切にします。
1.私たちは、ゴミのない地球にやさしい美(か)ぎ島(すま)宮古(みゃ~く)島(ずま)を目指し一人ひとり行動します。
1.私たちは、よりよい地球環境を取り戻し・守るため、世界の人々とともに考え・行動し、未来へバトンタッチします。
1.私たちは、緑・海・空を守り、すべての生物が共に生きていける環境づくりのため行動します。
2008年 3月31日 宮古島市
私は行政が万能だとは考えていませんが、この土地が海で囲まれた小さな離島であり、決めた方針やアクションの浸透範囲がわかりやすいことに加え、人口が5.5万人程度とまとまりやすい規模であることがその実効性を高めていると感じています。さらに、島外からこの島に魅力を感じて移り住む人も依然多く、コミュニティーは多彩な能力にあふれています。
すでに市内には出力4万ワットのメガソーラー発電の実験設備があり、風力発電の風車も稼働しています。個人宅も含め太陽光発電の導入率は高く、当社の現地事務所「プレマヴィレッジ宮古島」の電力も4KW強の太陽光発電を行い、使用する電力の100%を自家発電する予定(2012年3月頃)です。
私たちは私たちのプロジェクト自身が、市の希望する方向をさらに具体的に推し進めるものであることを確信し、お客様との営みを続けていきたいと望んでいます。