ジーノ・ジロロモーニ製品
とびきり美味しい!イタリア有機農業の先駆者ジーノ・ジロロモーニの有機スパゲティ、トマトソースなど。
ジーノ・ジロロモーニとイタリア有機農業
ジーノ・ジロロモーニは1946年、イタリア、ペーサロ ウルビーノ県 イゾラ・デル・ピアーノに生まれ、1974年から一貫して有機農業に取り組んできました。
故郷の過疎化に心を痛めたジーノは、1970年から1980年にかけてイゾラ・デル・ピアーノの村長を務め、この間に農民文化の研究や再評価に関する様々なプロジェクトを推進しました。
1977年には有機農業専門の農業協同組合を設立して代表者に就任。現在、農協の組合員数は30組を数え、そのほとんどが直接耕作を行う大規模な農業法人で、耕作面積は1300ヘクタールに及びます。
生産効率を過剰に追求した現代農業へのアンチテーゼとも言える原種小麦の栽培に力を入れる等、常に環境と人間の共生を重視した姿勢は高く評価され、パスタ類を中心とする高品質の製品は世界中に広く輸出されています。
1986年には、マルケ州有機農業者協会を仲間と共同で設立し、さらに1997年には地中海有機農業協会(AMAB)を設立、同協会には現在1万3千もの有機農業生産法人が加盟しています。2003年の統計によると、イタリアでは全耕地面積の7.94%に当たる110万ヘクタールが有機農産物の作付面積となっており、これはスイスの9.4%に次ぐ世界第4位の割合となります。
これ程までに有機栽培が普及するようになったのは、1990年代になってからの急成長によるものでありますが、これはAMABをはじめとする生産者団体の地道な活動の結果、EU等からの農業政策的支援が実現した事によるものでありました。
1980年代のイタリアではまだ有機農作物の認証制度が確立されておらず、違法な商品として取り締まりの対象になる事さえあったという事実を考えれば、ジーノの功績には計り知れないものがあると言えます。
イタリア有機農業の父と言えるジーノは、同時に3人の子供の父親でもあり、1975年以降、14世紀に建てられたモンテベッロ修道院に暮らしていましたが、残念ながら2012年に他界され、現在、会社は息子さんが継いでいます。
ジロロモーニ有機パスタ
有機スパゲッティ
デュラム小麦 有機スパゲッティ
有機専門の生産農家と組合に認定された生産農家が有機栽培したデュラム小麦をセモリナ挽き(粗挽き)した小麦粉のみ使用。風味、栄養成分を壊さないよう、26時間低温乾燥。
有機栽培デュラム小麦のセモリナ挽きならではの味と強いこしが特長。小麦そのもののおいしさを味わうことができます。
ソースとの相性:
トマトソース、オイルソースなど基本的にどのソースとも相性が良いです。
ジロロモーニのスパゲティを使ったレシピはこちら
全粒粉デュラム小麦 有機スパゲッティ
有機専門の生産農家と組合に認定された生産農家が有機栽培したデュラム小麦を、一番外側の表皮だけを削った後にセモリナ挽き(粗挽き)した全粒粉のみ使用。
風味、栄養成分を壊さないよう、26時間低温乾燥。
そばにも似た食感と有機栽培全粒粉デュラム小麦のもつおいしさが特長。噛みしめるごとに全粒粉のおいしさが溢れてきます。
食物繊維、鉄、マグネシウム、亜鉛、ビタミンB6が豊富
ソースとの相性:
カルボナーラソース、ジェノベーゼソースなどの少しこってりした、個性的なソースに合います。
また、そばに似た食感があるため、しょうゆベースの和風パスタ、コンソメ仕立てのスープパスタとしてもご利用できます。
ジロロモーニのスパゲティを使ったレシピはこちら
古代小麦グラツィエッラ・ラ 有機スパゲッティ セミインテグラーレ
古代エジプトの遺跡から発見されたと伝えられる小麦の種から栽培された古代小麦グラツィエッラ・ラを使用。
古代小麦のセモリナ挽き(粗挽き)粉の風味、栄養成分を壊さないよう、ブロンズ製金型を用いて抜き出した後、26時間低温乾燥。
鉄やマグネシウム、亜鉛、セレン、ビタミンB6、パテントン酸、葉酸などの微量栄養素を含有。
モチモチとした食感とナッツの様なほのかな甘みをお楽しみいただけます。
ソースとの相性:
独特の風味を味わっていただくため、オイルソースなどのシンプルなソースがおすすめです。
ジロロモーニのスパゲティを使ったレシピはこちら
一般的なパスタとの栄養成分比較
GRANO DURO |
GRANO DURO INTEGRALE |
GRAZIELLA RA |
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単位\品目 | 穀類/こむぎ/[マカロニ・スパゲッティ類]/マカロニ・スパゲッティ/乾 | デュラム小麦 パスタ |
デュラム小麦 全粒粉パスタ |
古代小麦 グラツィェラ・ラ |
|
たんぱく質 | g/100g | 13 | 10.8 | 13.4 | 11.9 |
脂質 | g/100g | 2.2 | 1.6 | 2.4 | 2.2 |
水分 | g/100g | 9.6 | 8.4 | 9.4 | |
灰分 | g/100g | 0.8 | 1.7 | 0.9 | |
食物繊維 | g/100g | 2.7 | 4.3 | 9.7 | 4.5 |
糖質 | g/100g | 69.5 | 72.9 | 64.5 | 71 |
エネルギー | kcal/100g | 378 | 358 | 352 | 361 |
ナトリウム | mg/100g | 2 | 12 | 14 | 11 |
カリウム | mg/100g | 200 | 204 | 378 | 188 |
カルシウム | mg/100g | 18 | 17 | 15 | 17 |
鉄 | mg/100g | 1.4 | 1.4 | 2.9 | 2 |
亜鉛 | mg/100g | 1.5 | 1.3 | 3.8 | 2 |
マグネシウム | mg/100g | 55 | 46 | 121 | 51 |
ビタミンB6 | mg/100g | 0.11 | 0.13 | 0.36 | 0.14 |
葉酸 | μ/100g | 13 | 14 | 32 | 18 |
パントテン酸 | mg/100g | 0.65 | 0.47 | 0.86 | 0.45 |
セレン | μ/100g | 9 | 8 | 27 |
おいしい調理方法
ジロロモーニ有機パスタソースを食べたが物足りない、若い人から味が足りないと言う声が聞こえました。その原因を探ると以下のことが推測できました。
日本のうどんは麺を作るときに塩水を使い、ゆでるときにはお湯だけを使います(例外:名古屋の味噌煮込みうどんには、塩を使いません)。一方、イタリアのパスタは、作るときに塩を使わず、ゆでるときに塩を入れます。パスタに下味をつける感じです。
そして、考えられるケースは、一般的にパスタをゆでる鍋の正確な容量をご存知ではありません。鍋の容量が3リットルと思われていると実際は5リットルあったりすることが、多いようです。そうすると、実際よりも多目のお湯でゆでることになり、塩分が少なくなります。
さらに塩の重量も量りませんので少なめになります。これらの理由により、ゆで上がったパスタの塩分が少なくて物足りなくなります。濃い味のパスタソースで召し上がられるのであれば、それでもよいでしょう。しかし、ジロロモーニパスタソースの塩分は「トマト&バジル」が0.95g(100g中)、「アラビアータ」が0.47g(100g中)と少な目ですから、塩味が少ないパスタで食べてもはっきりしない味と感じてしまうのでしょう。
パスタ100gにお湯1リットル、塩10g(約小さじ2杯・おすすめは地中海のミネラル塩)、ロングパスタ(スパゲッティ)は深鍋、ショートパスタ(ペンネ)は口の広い鍋を使用します。
お湯が沸騰したら、塩を入れ、パスタを入れた後、1分ほどパスタ同士がくっつかないようにほぐし、パスタが動く程度の火加減に保ちながらゆでます。規定時間のおよそ1分前にパスタを1本取り出してゆで具合をチェックして、ゆで時間を調整します。そこで、パスタに塩味をしっかりとつけるようにゆでて、さらに続いてパスタソースが良くからみ、表面に味がしみこむためのウラ技をご案内させていただきます。
鍋は、中華鍋を使う。お湯は、パスタ100gにつき500ml、塩は5g。中華鍋を用いる理由は、底が丸くなっているのでお湯の分量が平たい鍋の半分になります。ですから、塩の分量も半分、お湯を沸かすエネルギーも半分とエコクッキングになります。但し、鍋が安定するように五徳などを用いてください。
パスタは、パッケージに記載されているゆで時間の約1分前に湯切りをして、別の鍋で予め良く温めておいたパスタソースに混ぜながら高温で残りの約1分間加熱します。この作業で、パスタソースがパスタに良く味が染み込んで美味しくなります。またパスタのゆで加減もちょうど良くなります。
材料:水1.5リットル、塩15g、ジロロモーニデュラムスパゲッティ300g、ジロロモーニパスタソースアラビアータ300g
1.湯が沸騰したら塩を入れる |
2.パスタを放射状に |
3.くっつかないように注意 |
4.規定時間の1分前(7分)でチェック |
5.湯切りをする |
6.温めておいたパスタソースを加熱しながら混ぜる |
7.1分で完成 |
8.出来上がりのスパゲッティの断面写真(芯が残っていますが、食べるとプリプリ) |
有機オリーブオイル、トマトソース
有機エキストラヴァージンオリーブオイル
味は、とてもマイルドで口に含むと初めにピリリとドライな刺激がありますが、すぐにほんのりとやさしい甘さが広がります。オリーブらしい香り、最後にアーモンドのような香ばしさも漂い、とても使いやすく、品質の優れた有機オリーブ油です。
特長:有機栽培ならではのマイルドな風味は、イタリア料理はもとより様々なお料理にご利用いただけます。
産地は、南イタリア、カラーブリア州のオリーブ油の町と呼ばれるラウロポーリとその隣のシーバリです。
ポッリーノ山麓に広がるオリーブ畑、それは見事な光景です。この地で1909年創業の100年近く続くオリーブ油専業のファミリー会社で栽培と製造をしています。
この会社は、1986年より有機栽培をいち早く開始しており、その数年後にはミラノにある油脂の公的試験所よりイタリアで最高の有機エキストラヴァージンオリーブオイルと表彰されました。
現在、栽培と製造を管理しているマリオさんは、若いころ環境保護活動に携わったことからオーガニック栽培を知り、その導入を目指したそうです。ところが、当時どこにも手本となるものがなく、基準作りに大変苦労されたとのことです。現在でも、この地域で有機栽培しているオリーブ栽培家は、彼の一族だけということです。ジーノ・ジロロモーニさんとは20年前に知り合い、お互いに尊敬しており、ジーノのことをイタリアの有機農業の父であると明言しておりました。
オリーブ畑は、どこも大変よく手入れがなされており、土もふかふかしています。そして、なんといっても驚くのは、200年を超える古木が数多くあることでした。幹がとても太く枝葉を大きく開き元気一杯に夏の日差しを受けておりました。彼の説明によるとオリーブの木は現在分かっている限りで600年の樹齢が存在しており、その寿命は分かっていないということです。「古木は、しっかりと根を張っており強く生きていけるが、幼い木はそうはいかないので手間をかけなければいけない。しかし、それが何よりも楽しみなのです。」と語ってくれました。。
南イタリアの日差しを一杯に浴びて育ったオリーブの実は、10月から12月にかけて収穫され、同時に搾られます。オリーブ畑は、直営と親戚の所有するもので全て有機認証を受けています。収穫は木の下にネットを敷いて、棒の先に振動機の付いた専用器具を枝に固定して、振動させると熟した実が落ちます。
集められたオリーブの実は、工場に持ち込まれて、計量され、コンピュータに記録され20時間以内に搾油されます。搾油工程は、まず、緑色の強いグリーンオリーブと完熟オリーブに分けられ、それぞれ洗浄され、空気を送り込み水分を飛ばして、同時に葉や小枝も選別されます。グリーンオリーブは、大きな石臼に入れられ、ゆっくりとすりつぶされます。
完熟オリーブは連続式のすりつぶし機に入り、すりつぶされます。それぞれがペースト状になり、次の工程に進み、温度が上がらないようにゆっくり撹拌されて良くなじませます。そして、グリーンオリーブのペーストは、円形のフィルターに1枚ごとに手作業で塗り広げられ、圧搾機に積み上げられて、丁寧に搾油されます。完熟オリーブのペーストは、連続式のエキスペーラー(搾油機)にかけられてゆっくりと搾油されます。この段階では、油と水が混ざった状態ですから、最後に遠心分離機にかけられて水分を取り去り、オリーブ油になります。5品種のオリーブの実を匠にブレンドして作られる「ジロロモーニ 有機エキストラヴァージンオリーブオイル」は、マイルドで実にやさしいおいしさです。丁寧に育てられ、収穫、搾油された有機ならではのおいしさがあります。
有機トマトピューレー
有機栽培されたローマ種の夏の旬トマトを収穫後、酸味が変化しないように3時間以内に加工して、酸味と甘みのバランスの良いおいしいトマトピューレーに仕上げました。
このトマトピューレーは、イタリア北部ミラノから南東に60kmほど下ったピアチェンツァ郊外で作られています。アドリア海に注ぐポー川の上流で肥沃な大地と安定した気候に恵まれている野菜の栽培に適した地域です。
トマトに特化した有機専門農場が夏の採れたて有機トマトを自社のトマトソース専用工場ですぐにピューレーに仕上げました。
原料トマトは、外観は縦長で皮が薄くて実が厚く、水分と種が少なく、甘みと酸味のバランスが良い加工用トマトとして代表的なローマ種です。裏ごししたトマトを減圧釜で低温加熱濃縮して有機バジルの葉を入れてパックしたプレミアム感のある有機トマトピューレーです。
農場主のメッテーオさんは、90年に父親から自社農園を受け継ぎ、野菜農家としてスタートして、生鮮野菜をスーパーなどに出荷を開始しました。
92年に有機認証を取得して、現在は、200ヘクタール以上の有機専門農場を所有しています。
その後、トマトペーストを作り始め、ピューレーとトマトソースに特化して専用工場を立ち上げました。従って、トマトはもちろんのこと原材料に用いる野菜類は全部自社農園で栽培されたものを使用しています。
一般的に野菜を栽培しても生鮮品としての出荷を優先して、残ったB級品を加工食品の製造に充てるのがほとんどですが、こちらの農園では、全てをトマトソース作りに優先させているので品質の高い原材料野菜を使用しています。
トマトは、8月初旬から9月中旬までが収穫期間で、旬の採れたてトマトを収穫後3時間以内に加工処理してピューレーが出来上がります。それは、トマトの酸味とおいしさ(旨味)が変化しないうちにおいしいピューレーに仕上げるためです。また、そのトマトピューレーは、約2.2倍に濃縮され、糖度は8~9度になりますが、酸味と甘みの絶妙なバランスが取れたものに仕上がっています。
このトマトピューレーは、そのまま味わうと上品な甘みと爽やかな酸味のバランス、トマトそのものの旨味が広がります。これを使って各種トマトソース、スープなど様々なバリエーションをお楽しみいただけます。
ジロロモーニ製品を使ったレシピ
【ape×Girolomoni カンタン10分レシピ】低糖質シリーズ:カリフラワーとチーズのソース リングイネ
【ape×Girolomoni カンタン10分レシピ】低糖質シリーズ:海老とトマトのガスパチョ スパゲッティーニ
【ape×Girolomoni カンタン10分レシピ】低糖質シリーズ:夏野菜のソース 全粒粉ペンネ
ジーノ・ジロロモーニ氏特別インタビュー
2008年春、ジロロモーニ氏が来日しました。
そこで、ジロロモーニ氏の素顔に迫ろうと、生い立ち、子ども時代から、村長を経て、
有機農業と出会うまでについて話を聞きました。
生い立ちについて聞かせてください。
我が家は先祖代々、農家です。祖母、父と母、弟と妹の6人家族でした。畑では、小麦や野菜、豆などを作り、牛も飼っていました。自給自足の暮らしで、パスタもパンも自分たちで作ります。幼い日の記憶として、パンの焼けるいい香りに包まれていたことを覚えています。大人になった時に、農民というものに強い憧れを抱いたベースはそんな原風景にあるのでしょう。
子ども時代の思い出は?
幼い日の思い出は、悲しみとともにあります。あれは私が4歳の夏でした。日照りが続き、雨が降らないため、農作物がダメージを受け、牛にあげる牧草すら育たない状態でした。仕方がないので母と私は牛のエサとなる草を探しに、森へ出かけました。母は裸足でした。貧しい暮らしで、靴を買うことができなかったからです。運が悪いことに、森で足にとげをさしたのが原因で母は破傷風にかかってしまい、それからまもなく亡くなりました。弟が2歳、妹は1歳でした。
お母さんが亡くなった後は?
6歳になったとき、寄宿舎に入りました。寄宿舎は村から車で1時間もかかるペーザロの町にありました。父がきちんとした教育を受けさせようと考えてくれたのです。
貧しい時代でしたから、お金はありません。母を亡くした子どもということで、福祉的措置として無料で寄宿舎に入ることができたのです。でも、私は寄宿舎での暮らしがつらくて仕方ありませんでした。言葉すら通じません。当時の私はマルケ語(イタリア、マルケ州の方言)しか話せず、同級生の標準語が理解できなかったのです。先生に『家に帰りたい』としょっちゅう、訴えていました。小学校から高校まで、家を離れて寄宿舎暮らしでした。
高校卒業後はどんな仕事をしたのですか?
本当は教師になりたかったのですが、それがかなわず、1964年に高校を卒業した後、オートバイを作る会社に就職しました。エンジンの検査などの仕事をしていました。しかし、その仕事が好きになれず、じきに退職して、スイスに行きました。スイスではスキーを作る工場で働きました。やはり長続きせず、2ケ月後にイタリアに戻りました。
村に帰ったきっかけは?
22歳のとき、祖母が病気になりました。私は祖母の看病をかってでました。暖炉の前においたベッドに横たわる祖母の隣で、私は新約聖書を読んであげたりしました。新約聖書はそれまでもミサなどで触れていました。小学校時代はシスターが、中学校ではブラザー(神父)が身近な存在でした。
でも、祖母に読んであげた時、それまで聞いたことのないような一節とたくさん出会い、それらの言葉がすっと身体に入ってきました。
若くして村長になられたのですね。
村長に立候補するように勧めてくれる人たちがいたからです。村に帰った私はちょっとした有名人でした。当時、貧しい田舎暮らしを嫌い、都会へ出て行く人が後を絶たない中、高校を出て村に戻る若者は珍しかったのです。いや、高校を出た者すら少なかった。だから、私に白羽の矢がたったのでしょう。それに、私は当時からちょっとしたカリスマ性がありました(笑)。おかげさまで、無事当選しました。23歳のときのことです。
村長になってどんな仕事をしたのですか?
農民が次々と村を離れていった時代です。なぜ、そうなるのかを考えた末、農民のすぐれた文化や暮らしをみんなに知ってもらうことにしました。自分たちのしている農業が意味あることだと理解すれば、村にとどまる人が増えると思ったからです。
そこで、それぞれの農家で代々、使ってきた道具などを集め、学校のスペースを借りて「農具展」を開きました。壊れかけた機織り機を直して、生地を作ったりもしました。
反響はいかがでしたか?
メディアが取り上げてくれたため、文化人やマスコミの人たちの注目を集めました。
そのネットワークが有機農業を広げていく上でのベースにもなりました。
農具展を通してどんな発見がありましたか?
子どもの頃からずっと、農民という生き方に惹かれていました。でも、なぜそう思うのかは自分でもよくわかりませんでした。村長になり、農具展を開き、その理由がわかりました。
農民というのは、自分たちの知恵を世代から世代へ伝えてきた人たちです。道具を生み出し、作物も、生地も、何でも作ることができる。田舎は貧しいという人がいますが、それは間違っています。
ほんとうの文化や知恵を持つのは農民であると知ったのです。
有機農業と出会うきっかけは?
もともと、自然が化学物質で汚染されていく現状に対して、『森が泣いている』『大地が苦しんでいる』と痛みをからだで感じていました。そして、村長になり、農具展でさまざまな人たちと出会いました。その中にオーガニックに関心を持つ人たちもいました。そして、大きな出会いがありました。それは、修道院です。
村の中に古びた修道院がありました。屋根は崩れ、廃墟同然でした。私は、何とか修復して、修道院に住みたいと思ったのです。そして、修道院に住んで何をしようかと考えた時に『そうだ、有機農業をしよう』と思ったのです。それは直感のようなものでした。
キリスト教は、欧米人にとって精神的なベースです。日本の方にはちょっと理解しにくいかもしれません。これはまた別の機会にお話しましょう。