「地ぱん」は販売終了いたしました。
ご愛顧ありがとうございました。
地ぱんの大橋社長と、福島の人たちの生の声がつまった本が出版されました。
「笑う門には福島来たる =大橋雄二 いのち 共生 放射能=」
渥美京子【著】
どのメディアにも書かれていない福島の今がこの中に書かれています。
人と人とが痛みを分かち合い、支え合うこと。
福島原発の問題は、
「どう生きるのか」「いかに共生するのか」という根源的な問題を
この国に住む全ての人々に突きつけています。
銀嶺食品工業株式会社
代表取締役 大橋雄二
痛みを分かち合い支え合う心
ここ最近、かなり頻繁に血液製剤をうち、出血しない血液状態にしているつもりではあるが、やはり血友病は血友病。
政治家の国民のためと言いつつ、志や理念だけを空念仏の如く、声高らかに発する本末転倒の愚かな言行動への戒めとして、マザーテレサの言葉を思い出す。
「多くの民の幸せを訴える前に、隣人への行動を取る愛の大切さ。そこに倒れ立ち上がることが出来ない人が一人いれば、その人にかけより声をかけ、力を貸してあげること」この精神を忘れているものたちが、行政や大きな組織に多く存在している。
著者略歴: 渥美京子(あつみ きょうこ)
1958年、静岡生まれ。
大学卒業後、電機メーカー勤務を経て法律系の専門出版社に就職。
1992年からフリーランスに。
著書に「パンを耕した男~蘇れ穀物の精」(コモンズ刊、2011年)
共著に「脱原発社会を創る30人の提言」(コモンズ刊、2011年)などがある。
著者の言葉
放射能を背負って生きる。悲しい現実だが、放射能汚染の時代を生きることになってしまった。生きるとは、家族、隣人、社会に生きる人たちと共に生きる(共生する)ことにほかならない。いのちが大事ということは、自分のいのちだけではなく、他者のいのちも大事にすることによって成り立つ。
日本にある全ての原発を一刻も早く止めるために声を上げ、行動を起こすことは大切である。「放射能からいかに身を守るか」も考えなくてはならない。それと同時に、福島原発は「どう生きるのか」「いかに共生するのか」という根源的な問題をこの国に住む全ての人間に突きつけている。
書籍「笑う門には福島来たる =大橋雄二 いのち 共生 放射能=」のご購入はこちらから>>
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2011年7月21日、原発事故後の困難な状況の中、
果敢に福島の明日を模索されている方々の肉声とエネルギーを届け、
福島の「今」を肌で感じてもらおうという趣旨の
「頑張っぺ福島(福島の明日を拓く挑戦者たち)フォーラム」が開かれました。
銀嶺の大橋社長とaveさんとのスリーショット。
噛みしめるほど味わいが深まる “日本のパン”。
「香ばしい香り」「ほっとする素朴感」「何ともいえぬ甘さ」
そして、「噛みごたえのあるもっちり感」がたまらない!
地ぱんに関しましては、誠に勝手ながら、一回のご注文につき
地ぱんのみで合計3,000円以上(各種クーポン適用後)のご用命をお願いしております。 詳細 >> |
「地ぱん」を食べると、体が喜んでいる感覚になるのはなぜなのでしょう?
それは、昔から食べ継がれてきた素材やその組み合わせを活かし、日本の土地、風土で育った
自然の恵みをおいしくいただくことによって、太古の昔から受け継がれてきた意識の奥底に眠る
日本人特有のDNAが刺激されるからなのではないでしょうか。
私たち日本人が忘れてしまった大切な「何か」を、潜在的に思い出させてくれる、
そんな不思議な力も兼ねそなえたおいしい「地ぱん」はあなたの心と体に必要な栄養を
同時に満たしてくれます。主食にもなるほど腹もちがよく、栄養バランスも抜群で、
朝昼晩と食べたくなる、やみつきになりそうなおいしさの古くて新しい日本のパンです。 |
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日本のパン「地ぱん」 |
- どんな味なの?
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『地ぱん』とお聞きになって皆さんはどんなパンを想像されましたか?
「自然食系のパンかしら?」「自然食系のパンって体にいい材料を使っているのはわかるんだけど、お値段のわりにはポソポソしていていまいちだわ、などと思ったことはありませんか?しかし、この「地ぱん」は・・・
とってもおいしい「自然食系のパン」なのです。パンを噛めば噛むほど味わいがあり、合成食品添加物を一切使っていないにもかかわらず、もっちりした噛みごたえがあります。さらには、「素材そのものの甘さを感じられるパンなのです。トースターやオーブンなどで数分焼いたあとの香ばしい香りは食欲を倍増させてくれます。
- 特徴は?
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「地ぱん」には3つの大きな特徴があります。
●日本の食文化の継承
日本で昔から食べ継がれた素材やその組み合わせに目を向け、その知恵を生かしています。
●穀物の精
穀物の栄養素(ミネラル・食物繊維)が特に多く含まれている外皮に近い部分を穀物の命と考え、大切にしています。このことにより、穀物本来の風味が活きています。
●素材の滋養
穀物以外の素材も、その栄養と特徴を活かせるように配分してあります。バランスよく配合された素材が互いに高め合うことで、「地ぱん」は完成するのです。
- どのぐらいもつの?
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賞味期限向上のための保存料や人工素材を使っていないということは、あまり日持ちしないのではないか?と思われる方が多いでしょう。
しかし、密封して脱酸素剤を利用することで酸化を防ぎ、空気に接しないため、カビを防止します。また、水分が蒸発してパンが(通常の包材と比べて)硬くなったり、空気中の酸素を取り込んで変色したり、香りがなくなったりするなどの劣化も防ぎ、日持ちするようになっています。
その結果、開封前の賞味期限は、一番短いものでも常温で14日、長いもので30日となっています。
- 食べた人たちの感想は?
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「地ぱん」を食べた方々からは、以下のような感想をよくいただきます。
・噛めば噛むほど味わいがある
・懐かしい味がする
・なんだかホットする
などなど。
このように感じていただけるのは、日本人の深い食文化の記憶の奥底に刻まれたものに、この「地パン」の何かが響いているからではないでしょうか。
- 薬膳研究家の先生からも太鼓判♪
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長年にわたり、食と健康について研究している、ある薬膳研究家の先生からは、「日本人の食文化がパンの中に凝縮していて驚きました。身体に必要なものがぎっしりつまっていて、主食になるパンだと思います」という嬉しい感想をいただきました。
「健康な身体は、一にも二にも食生活次第」が持論だという、食と健康の専門家からの心強い太鼓判です。
- やなせたかし先生も大絶賛!
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以下の文は、アンパンマンの原作者であるやなせたかし先生が、「地ぱん」の開発者である銀嶺食品工業の大橋社長の半生を描いた『生きぬいて 命のパンをつくって』(家の光協会)刊行にあたって書きおろした推薦文です。これだけ読んでも、いかに人々をとりこにするおいしいパンなのかを感じていただけることでしょう。
- 「地ぱん」の生みの親、大橋雄二社長の人生
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「地ぱん」の生みの親は、銀嶺食品2代目の大橋雄二社長です。上記でやなせたかし先生に「パンの中に人格がしみこむ」と言わせるほど、「地ぱん」は大橋社長の生きざまそのものと言っても過言ではありません。
大橋社長は6歳で血友病と診断されました。この持病による壮絶な苦難と試練が、後の「地ぱん」づくりに大きく活かされることになります。どんな困難もプラスのエネルギーに変えてしまう大橋社長の不撓不屈の精神なしには、この「地ぱんは誕生しなかったことでしょう。
大橋社長の壮絶人生についてはこちら>>
いかがですか?地ぱんとは、どんなパンなのかをイメージしていただけましたか?
どこか懐かしく、でも、何だか新しい未来のパン、「地ぱん」。商品開発した大橋社長の本物づくりへかける情熱がにじみ出ている愛と感動の味。
みなさんにも、この言葉では表現しきれない、たくさんの思いが詰まったパンの味をぜひ味わっていただきたいと思います。
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現代の食生活が招いた根源的な闇 |
- 私たちは、昔に比べると本当に便利な時代に生きています。スーパーやコンビニエンスストアなどで、あらゆる食料品を簡単に手に入れることがでるようになりました。しかし一方で、生活習慣病にかかる人々やアレルギーをもった人々が年々増えており、食べ物の「甘さ」「苦さ」などの味がわからないという「味覚障害」を持つ若者や子供たちも急増しているといわれています。精神的な病も深刻で、大人のみならず、子どももすぐに「キレる」という現象までおきています。
- 失ってしまった食のバランス
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日本人の食生活は戦後、豊かになっていく一方で、さまざまなバランスを失ってしまいました。その結果、大変深刻で根源的な問題をかかえるようになってしまったのです。効率よく量産できる食べものを取り入れることで生活は便利になり、とても快適になったものの、その過程で、本当に大切な「何か」を置き去りにしてしまったからです。
- 食事は決して空腹を満たすだけの作業ではない
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忙しい現代人は軽視しがちですが、食事というのは、決して単に空腹を満たすだけの作業ではありません。人間が本来持つ自然治癒力を発揮させ、日々の活力となり、生きていくために大切な行為なのです。食べ物をしっかり時間をかけて噛むと、脳が活性化されます。その結果、素材に含まれる栄養や自然の力を体内にしっかりと活かしきることができるのです。
- 希望となりうる食の改革を
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深刻な病を持つ人々が多くいる日本の現状を、希望ともなりうる「食の改革」を通じてなんとかしたい。「地ぱん」事業は、そのきっかけになりうると考えています。食べ方や食べ物というのは、生き方とつながっている。食を整えることは生き方を整えることなのです。
- 日本の精神復興のために
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「ほんの少しでも日本の食文化を改善したい」
「苦しんでいる多くの方々が癒され、健康になるようにお手伝いしたい」
「食が持つ優しさやありがたさ、生命力や喜びをお届けしたい」
これらの思いが、「地ぱん」には込められています。
人間は、この国そのもので構成されているといっても過言ではありません。この大地に生まれ、この地でとれたものを食し、すばらしい伝統文化をこの国から享受しています。
「地ぱん」が作られる背景には、「食べ物を大切にすることや日本の食文化を再興することは、現在、病んでしまっている日本の精神の復興につながるはずだ」という強い信念があるのです。
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「地ぱん」開発に愛と情熱を注ぐ男 |
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『パンの創作は新しい命の創造です。あらゆる努力をし、自分の持ちうるすべての優しさと温もりと情熱と祈りをパン作りに込めようと思っています』と熱く語る大橋社長の言葉を通して、地パンの美味しさの秘密を皆さんと一緒に探り、共有していきましょう。
- 「地パン」の「地(ヂ、ジ)」に込められているもの
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地ぱんの「ヂ・ジ」は、
・土地・大地・地球の「地」
・滋養の「滋」
・自分の「自」
・時間の「時」
これら4つの意味が込められています。
- 神棚にある4つのお供え物がヒントに
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「日本人にふさわしいパンとは何か?」を問い続け、探し求めていたヒントになったのは、ある日、いつものように何気なく手を合わせた神棚にある「米・水・塩・酒」の4つのお供え物でした。
- 「穀物、水、塩、酵母」
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これらのお供え物は、昔から伝わる自然の恵み、食べ物の原点です。そこからヒントを得て、パンを作るのにも「穀物、水、塩、酵母」があればいいのではないか、と考えました。パンは、お米単体でできるご飯とはちがった可能性やエネルギーを見出すことができる素晴らしい食品ではないか、そう気付いたとき、大橋社長が思い描いていたパン作りの方向性が明確になり、その道が大きく開かれました。パンは、自然や命の力をさずかる複数の素材が出会い、活かし合う、可能性に満ちた食べものなのです。
- この使命を果たすために、常識にはとらわれない
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【戦後のパンの常識】
パンは戦後、日本の食文化の中心である家庭と学校給食にものすごい勢いで広がっていきました。戦後日本の豊かで輝かしい象徴でもあったのです。当時、パンをつくる小麦はアメリカからの輸入が当然とされていました。その小麦は作業効率や見た目の白さ、美しさを重視した結果、栄養が豊富な部分をはぎ取り、小麦の中心部分だけを大切にしたものだったのです。一方で国産小麦はパン作りには向かないということが常識でした。
【見失われていった視点】
バブル景気のころになると、グルメ志向が強くなり、やわらかくて口当たりのいい洋風の食べ物が好まれるようになりました。いいパンの基準はスーパーで一番よく売れるパンであり、そのことを追求した結果、栄養価よりも見た目の白さが重視され、メーカーが効率よく量産できる安価なパンがどんどん作られていったのです。それにともない、本当に「人」にとって、「身体」にとって、そして「農業」や「産業」にとってもいいパンという視点が、見失われていきました。
【人に良いものであってこそ食べ物のはず】
『日本人のための「地ぱん」はパンの常識にとらわれない日本人の気候風土が育てた国産の小麦や、米・雑穀・水・塩で作ろう、しかも有機原料を使って、合成添加物不使用にしよう』という大橋社長の発想は、大きく時代に逆行するものでしたが、それでも、身土不二(しんどふじ:人の身体と生まれ育った土地は一体のものという意味)、医食同源(いしょくどうげん:日頃からバランスの取れた食事をとることで病気を予防し、治療しようとする考え)を目指しました。「人」に「良い」と書いて「食」になる、つまり人に良いものであってこそ食べ物のはずだという信念があったからです。
【日本の伝統的な食文化の力を伝えるのが私の使命】
昔、日本人は、雑穀を主食とし、根菜や海藻、豆類を食べてきました。雑穀は縄文時代から栽培されていたという説もあり、栽培が容易でありながら栄養価も高く、これらの食事で昔の人は健康な体を培ってきたのです。ですから、「粟」や「ひえ」「きび」といった雑穀を復活させてパンに取り入れてみようと大橋社長は考えました。
【マイナーな雑穀を認めてもらうことで多様な個性を認めてもらおう】
大橋社長の発想に対する当時の評価はひどいものでしたが、評価が低い雑穀という存在が障害をもつ大橋社長自身の姿とも重なり、「雑穀を認めてもらうということは、多様な個性を認めてもらうことに繋がるのではないか」と考えたのです。
大橋社長の壮絶人生についてはこちら>>
いろいろなものが存在するということは、さまざまな価値観があるということです。「地ぱん」に雑穀を取り入れた背景には、この国が豊かに存続していくためにも、多数派、少数派にかかわらず、多様なもの同士が共に認めあって生きていくことが大切なのではないか、というメッセージも込められているのです。
銀嶺食品工業株式会社
代表取締役 大橋雄二 |
本来、皆様の健康や喜びにつながる「食」づくりなのに、売れること、儲けをだすことが最優先になってしまったのでは本末転倒です。私がパンをつくる目的は、人々へ心身ともに健康になっていただけるような食べ物を世に送り出すことです。
私は、単にパンが売れればいいという考えではいませんし、そういう考えの方とはお取引をしません。私たちのような加工業者は農家や素材メーカーや流通業の方々などのご協力があってはじめて成り立ち、目的を達成することができるのです。損得勘定や、法律に触れさえしなければ何をしてもかまわないというような目的を度外視した考え方ではいい食べ物は作れません。
ビジネスをという枠を超えたミッション使命をしっかりと共有できるパートナーと一緒に、命をかけて仕事をしたいのです。成功というのはただ単にお金が儲かるこということをいうのではないと私は思っています。この認識なしには、成功はあり得ないというのが私の考えです。 |
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「地ぱん」とのシンクロニシティー |
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銀嶺食品
大橋雄二社長 |
金沢大地
井村辰二郎代表 |
プレマ株式会社
中川信男 |
それはある有機栽培食品の展示会場で起きたシンクロニシティー(出来事)。「地ぱん」の開発・製造をしている銀嶺食品の大橋社長は、偶然にも大親友である金沢大地代表の井村氏と会場内でばったり会ったそうです。
金沢市郊外に広がる河北潟干拓地で有機農業を営む井村氏は、弊社でも、「農産工房 金沢大地の国産有機小麦粉、国産有機小麦全粒粉」でお馴染みです。
- 「同志」は出逢うようになっている
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あっ、大橋社長!
きっとこちらでお会いできると思っていました。 |
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おお、井村君じゃないか!
そうだね、いつも井村くんとは会えるとは思わないで会えるよね(笑)。 |
二人は以前から、「いずれ機が熟したら一緒にパンを作ろう」と約束をしていたそうです。
それから数年がたち、たまたま居合わせた会場で、機が熟したのでしょう、どちらからともなく「そろそろはじめようか」という話に。静かな場所に移動して続きの話をしようとした矢先に、登場したのが弊社の中川でした。
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あっ、井村社長?! |
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あっ、中川さん!そうだそうだ、友人の面白いパン屋さんがいますからご紹介します。
ちょっとかわったパン屋なんです(笑)。 |
ちょうど、パンを取り扱いたいと思っていた中川は、井村社長に紹介された大橋社長にさっそく質問。
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どんなパンをつくっていらっしゃるのですか? |
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のちほど資料をお送りしますね。
ここは理屈を説明するよりも、まずは食べてみてください。 |
- 驚愕の太っ腹 愛の味に中川のほっぺが落ちる
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数日後、試食用にと大橋社長から送られてきたそのパンの多さとおいしさに中川は大興奮!
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中川のツイッターより…。
Part.1
「地ぱん」の銀嶺食品さんの大橋雄二社長と、先日偶然にも出会いがありました。そして大量の純国産パン・パン・パン!が会社に到着。驚愕の太っ腹加減に、ほんとうにビックリ&感謝感激です。出来るだけ早く取り扱い開始しますo(^-^o)
Part.2
スッゴい国産パン・パン・パン!社長の情熱を感じる巨大な箱です。ああ、オーブンで焼かれるようなホットなこの気持ち(^^)/ ご縁の主は金沢大地の井村社長でした。 |
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さっそく、中川はTwitterに続き、大橋社長にも感激メール
「大橋社長、パン最高でした!本当に優しくて、ふくよかな味がするのでびっくりしました。子どもたちにも大好評で妻も本当に驚いておりました。自然食系のパンとはとても思えない「愛」の味がしました。」
大橋社長からもさっそくのお返事が
「この縁の結びの神が尊敬する井村君。本当に素敵でゾクゾクします。この御縁が大きな円に、心の和が人の輪になり、喜びと感謝、愛が広がることを祈ってすぐにお会いしましょう。京都でも東京でもお呼び下さい。」
有意の人はここそこに。中川と井村氏は、以前、フランクフルトで航空会社のストライキに遭遇し、ともに空港内に閉じ込められたところからのご縁なのです。
「たぶん何かおおきな意味があると思っていたが、当時は、まさかこういう形になるとは想像していなかった」と振り返る中川。こうして「地ぱん」プロジェクトが動き始めたのでした。
- なぜ、大橋社長は弊社をパートナーにと思ったのか
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大橋社長は、弊社のWebサイトを見て、中川が書いた以下の2箇所に大変共感したといいます。
不思議な助力は決して直接的にはやってきません。それは必ず人を介してやってきます。新しい出会い、新しい解釈、新しい方向性を人が運んでくるからです。私はそのような人でありたいと常に願っています。
私は何かに運ばれてここまでやってきました。もしもう一つ願いが叶うのなら、私の意識はあなたのそばにいて、あなたの大切にしている人を、あなたが幸せにできるように寄り添っていてあげたいと、こう思います。私自身には力はありませんが、私には大いなる味方が常に一緒にいます。
プレマ株式会社と縁あるあなたへ(全文)
>> |
「こういうことを理解し、感じていてくれる人をいかに日本に、世界につくりだしていくか、という仕事が目的であって、パンは手段でしかないのです。そういうお気持ちを持っている方、何とかしようと思って実践している方とは仕事がなんであれ、お付き合いを深くしているんです」という大橋社長は、中川と出会った瞬間、「ああ、この人だったら間違いない」と、直感的に思ったといいます。
さらに、中川の持っている波動が、一対一の波動もさることながら、尊敬する大親友の井村代表のご縁を通じてということもあり、強力で、おもしろいと感じたそうです。
さらに、大橋社長は熱く語ります。
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同じ方向を向いて仕事をしていく、もっというと大きな力の流れ(サムシンググレートという存在)に自分たちが動かされている感覚になってくるときがあるのです。そういう大きな力の流れに対して、協調現象、共振現象が起きて、広がっていく。点と点が結びついて面になり、今は面が立体構造になりかけている時代です。
人にはそれぞれ役割があり、その役割をもって世の中の何かに対して、人に対して、「何ができるのか」という時代の中にいるのです。
そのような意識を持ちながら、我々のパンを本格的に託せるパートナーを探し続けていました。そこで出会ったのが中川社長です。「何のためにやっているのか」ということが、一緒に見えてきそうな予感がしました。
確かに会社経営という面では、売り上げになる、利益になるということも大切ではありますが、我々がパンを作らせていただき、それを小売店さんがお客様へ販売していくという流れの中で、今まではただ単に、「もの」と「お金」が動く関係しか築けなかったのです。
直営店での販売も試みましたが、理想とするものにはなりませんでした。では今後どうするのかというときになって、これまでの教訓が、我々のパンの意図を汲んでくださる方はどういう方々なのかを本格的に見直す機会を与えてくれました。
その教訓をもとに動き始めると、いろんな形で結集してきたのです。私が本当にしたいこと、それは、本当に世の中をいい方向に向けていくということです。そのために我々ができることはパンやお菓子づくりですし、その先で、お客様との接点をもつ場を提供していただきたい、その役割を担っていただきたいと思ったのが中川社長だったのです。スタッフにもお客様にも喜んでもらえるようなコラボレーションができるのは、この人だろうな、という直感があったのです。
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弊社スタッフ一同、大橋社長の言葉に、感動、感激したのでした。
弊社ショールームにて、大橋社長と。
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地ぱんの美味しさの素の素 |
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「地ぱん」のおいしさを十分に語るには、生みの親である大橋雄二氏の壮絶人生をご紹介する必要があります。なぜなら、大橋氏の壮絶人生から見出された気づきの数々が、「地ぱん」のおいしさのルーツだからです。
- 授かった血友病という試練の中に学びがあった
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大橋氏は幼少のころから病弱でした。よく、ぶつけた箇所がすぐに内出血をおこし、腫れがおさまらないことが多々あったので、6歳のときに上京して検査をしてもらった結果、遺伝性血友病と診断されました。血友病というのは血液が固まりにくく、出血するとなかなか血が止まらなくなる病気です。
現在では、血液製剤によってその症状が抑えられるようになりましたが、当時はまだこれといった治療方法もなく、毎日が痛みとの闘い。果てしない絶望感と不安感に襲われたといいます。小学校のときには寝たきりになり、高校進学は断念せざるをえませんでした。
- 救いを求めた玄米菜食主義
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大橋氏はこの病を治したい、健康になりたいという一心で玄米菜食主義を提唱している団体に入りました。そこは、風邪薬も鎮痛剤もすべての医療治療を一切断ち、肉や魚、乳製品や砂糖、なども食べてはならないという方針でした。
玄米を主食にして、旬な野菜をみそやしょうゆで調理し、しっかり100回噛んでから飲み込む。大昔から日本人が食してきた豆や海藻を食す。この方針を信じて、20歳まで玄米菜食生活を続けたのです。
病気の治癒の代わりに得たものは結果的には残念ながら病気が完治することはなかったものの
・食べ物のおいしさを味わう味覚
・肉や砂糖を食さなくても元気でいられるという事実
・よく噛んで食べることの大切さ
をこの長年にわたる実体験により、知識としてではなく、体感として学んだそうです。
- 原体験が今の自信と強さの根源に
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「近頃は、噛まずに食べられるような食品が多く出回っています。しかし、これらはたとえ空腹を満たすことができても、決して自分のものにはなりません。かえって身体に不必要なものまで取り入れてしまう可能性すらあるのです。しかし、よく噛んで食べるということは、しっかりと脳を刺激しながら唾液と混ぜて食べることになるため、食べ物の中のデンプンが糖に分解されて甘くおいしくなり、さらには、体内に必要な栄養をたっぷりと取り入れることができるのです」と大橋氏はいいます。
これらの闘病生活の原体験が「現代の食文化を変革したい」と切に願う大橋氏の大きな自信と強さの根源となり、のちの「地パン」づくりに活かされていくのです。
- 私が拒絶していたものは病でもあり自分自身でもあった
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20歳を過ぎたころ、大橋氏はある考え方に至ります。それは「病とは、打ち負かす対象ではない。折り合いをつけるべき友人だ」「光も影もすべては自分自身なのだ」とうものです。「このことに気付いた頃から、自分の病気をようやく受け入れ、感謝できるようになった。自分が本当にほしかった“自分の生きる力や自信”が、何も願わず、求めなくなったことで、初めて手に入ったように思う。このころから、自分のことが心の底から好きになれたと大橋氏は振り返ります。
- それでも社会復帰を目指す
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その後、非常につらいリハビリにひたすら打ち込んだ結果、寝たきりの状態を克服しました。しかし、やっと一人で外出できるまでに回復した矢先に、今度は、転倒して左足を骨折。その骨折した左足は快方に向かうどころか、骨肉腫の疑いがあって切断せざる負えなくなったそうです。それでも大橋氏は社会復帰を目指し、両親への感謝の思いを胸に、父親が経営していたパン製造会社の営業と商品開発の部門で働くことになりました。
- 障害者雇用に積極的だった両親
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「1980年代、銀嶺パンの創業者である父は、私の存在もあったからだと思うのですが、ハンディキャップがある人たちを積極的に雇用していました」と話す大橋社長。当時、銀嶺パンは製造原価に占める人件費がほかに比べて突出していたそうです。ご両親は大橋社長の闘病生活を通して、日本の障害者雇用が大変たち遅れていることを知り、お母様は結婚前まで盲学校の教員をしていたことから、福祉に強い関心があったのだそうです。
- 偏見を乗り越えて、他社ではまねのできないものを
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しかし、障害者を雇用するには、バリアフリーなどの環境整備費用がかさんでしまうという現実。依然として障害者への偏見もあり、“銀嶺パンはまずい”というマイナスイメージが定着していたそうです。非常に悔しい偏見に追い打ちをかけるように、経営的にも大きな岐路にたたされていました。
他社には真似のできない何かを生み出さなくては、この経営危機は乗り越えられないし、悪い会社のイメージを塗る変えることもできない。どうすればいいのか・・・そのとき、ヒントを与えてくれたのが、病気を治したい一心で続けた食事療法だったといいます。
- 身土不二 一物全体
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大橋氏が病気を治すために続けた玄米菜食主義。この経験から得た「身土不二」「一物全体」という考え方が、「地ぱん」づくりの土台になります。大橋氏は次のように説明します。
【身土不二】
人間は生まれたその瞬間からそれぞれの風土や環境によって生かされます。その土地の空気、水、その土地の食べ物をいただくことで、私たちの身体は土地と同化していくのです。「身土」の身は私たちの身体、土は大地や環境。この二つは決して切り離せないもので密接につながっている「不二」のものです。だからこそ、その土地で育ったものをいただくとおいしいと感じるのです。つまり、その土地の気候風土と水質を考慮することは、日本の食を考えるとき必要不可欠なことなのです。
【一物全体】
現代では、不足しているものを化学的に作られたサプリメントで補うような寄せ集めの食べ方をすることが多く見受けられますが、そのような食べ方では、食べ物のもつエネルギーを最大限に得ることはできないでしょう。「一物全体」とは根も葉もひげも、丸ごと全部食べることで、そのものの命がもつエネルギーを最大限に取り入れることができるという考え方です。
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志やロマンを乗せたタスキの渡し合い |
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大橋社長が大切にしている考え方があります。それは「食は駅伝」という考え方です。力強い大和魂の一方で、おごることなく、皆の協力があってこそはじめてひとつのことをなしえるのだという謙虚な大橋社長の姿勢からは、私たち、日本人のDNAが素質的にもっている「和の心」を感じます。
以下、この「食は駅伝」という大橋社長のメッセージを最後にご紹介します。
銀嶺食品工業株式会社
代表取締役 大橋雄二 |
パンの素材を生産する農家の人、その素材を加工する人、加工した素材でパンを作る人、そしてそのパンを売る人、食べる人.....。それはまるで駅伝のランナーのように、思い(志、ロマン)を乗せた“襷(タスキ)の渡し合い”で成り立っているものです。
「銀嶺」のような食品加工業も、何かが生み出されていく長い時間の流れの中の、一区間を走らせていただいてる存在。しかし、ただパンを作るというだけの会社ではなく、この“襷(タスキ)”を持った人たちの輪を結ぶ“つなぎ役”でありたい。私はそう考えます。
パンを通じ日本人の心を豊かにし、日本の文化のエッセンスを継承することが、「銀嶺」に与えられた使命です。過去の文化・伝統の重さを感じ、受け止める一方で、そこに進化や発展と呼べうる、新しい何かを加えられる事を祈って……。 |
こんなに日本の国を想って作られたパンを、今まであなたは食べたことがありますか?幸せな家庭の食卓に、愛情あふれるおいしい「地ぱん」はいかがでしょうか?
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皆さまたいへんお待たせいたしました。地ぱんの販売を再開いたしました。
弊社では、2011年3月11日に発生した東日本大震災以降、福島市内に工場のある銀嶺食品工業株式会社が製造する健康パン「地ぱん」の取り扱いを一旦中止しておりましたが、銀嶺食品工業株式会社における原料調達および生産体制がほぼ整いましたので、5月26日より、「地ぱん」の販売を再開いたします。
(使用される原料のほとんどは福島県外産で、一部、福島県産の粉類と味噌については、22年度産のものであることをあらかじめ確認済みです)
【本日の放射線レベル】 http://twitpic.com/photos/ginreishokuhin
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地ぱんを製造する銀嶺食品工業では、現在、工場内の包装ラインおよび成形ラインにおける放射線レベルを、放射線測定器で毎朝簡易測定し、その数値をウェブ上で公開しています。 |
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中川自身も、工場内の放射線を測定 |
大橋社長&地ぱんマンとスリーショット |
【中川の福島県現地レポート】 (13分38秒)
(以下、抜粋)
海外から見たときに、日本全土が危ないかというと決してそうではないということは、実際に放射線量を測定してみたら確実にいえることです。その事実を海外の人々に理解してほしいと私たちが願ったり、表現したりするのと同様、福島に関しても、すべての地域が危ないのではないということを、私たちは理解する必要があります。
放射線量や実際の汚染状況は場所によってまったく違います。(線量が)高いといわれていても、実際には低くて安全な場所もあれば、またその逆の場合もあります。「風評被害」と、「ほんとうに危険な状況」とは、きっちりと仕切り分けて考えなくてはなりません。
福島を自然の豊かな美しい土地に再建していくために、人々がまた笑って暮らせるようになるために、いまこそ日本中、さらに世界中のすべての人々が支え合い、あらゆる知恵と技術を結集していかなくてはなりません。
微力な私たちにできることは、ほんとうにわずかなことでしかありません。それでも、いまほんとうに必要なことは、ごく普通の人たちが、今回の地震・津波、そして原発事故の問題を、次の世代にどのように伝え、新しい時代をつくりあげるためにどのように生かしていくのかを真剣に考え、行動していくことではないでしょうか。
この美しい福島が、その名前のとおり、ほんとうに「福の島」になることを、希望を込めて切に願っています。
プレマ株式会社 代表取締役 中川信男
(2011年5月11日 福島県飯舘村にて) |
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銀嶺食品工業より「放射能(放射性ヨウ素換算)検査報告書」が届きました。 |
検査及び判定法:
厚生労働省「緊急時における食品の放射線測定マニュアル」に基づくNaI(Tl)シンチレーションサーベイメーターによる放射性ヨウ素の測定法(I-131換算による放射性ヨウ素測定法)
分析結果:
放射性ヨウ素、放射性セシウムは検出されませんでした |
【NaI(Tl)シンチレーションサーベイメーターを用いた放射性ヨウ素の測定法とは】
この方法は、「緊急時における食品の放射能測定マニュアル」において第一段階モニタリングにおける測定法として定められているものです。
この方法では核種分別ができないため、放射性ヨウ素・セシウム等すべての放射性核種をヨウ素131として測定します。このためセシウム137などの放射性核種が存在する場合は、放射性ヨウ素としての数値が高めに測定されますが、暫定規制値よりも十分に低い試料に対しては迅速な測定、および評価ができる測定法とされます。
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銀嶺食品工業より新しい「放射能検査報告書」が届きました。 |
検査及び判定法:
Ge(ゲルマニウム)半導体検出法
※SEIKO EG&G社製 Ge半導体検出器を用いて測定
分析結果:
放射性ヨウ素、放射性セシウムは検出されませんでした |
【Ge(ゲルマニウム)半導体検出法とは】
ゲルマニウム半導体検出器は、NaI(Tl)シンチレーション検出器と比較してエネルギー分解能が優れており、γ線を放出する多種類の核種を同時に測定できます。 |
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2011年6月某日、福島の地に現れた地ぱんマン。道ですれ違う人たちに手を振りながら、てくてくどこかへ向かっていきます。地ぱんマンと手をつないでいっしょに歩いているのは弊社代表の中川です。なぜ2人が?そして2人はいったいどこへ向かっているのでしょう?
見えてきたのは「銀嶺のパン」の看板。地ぱんマン、自分の分身を見てちょっと興奮気味です。
実はこの地ぱんマン、京都生まれで福島にはこの日はじめてやってきたのでした。
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震発生。続く余震に津波、そして原発事故。その事態の深刻さに、日本中がショックを受け、大きな不安に包まれました。
そんな中、銀嶺食品工業では、困難な状況を乗り越えて美味しいパンを焼き続け、被災した人たちの元に届けていました。震災直後から、ただ懸命に祈りを届けていた私たちでしたが、大橋社長をはじめとする銀嶺の皆さんから逆に大きな元気と勇気をもらえたことは言うまでもありません。
「私たちこそ今行動しないでどうする?」「被災地に、そしてこの日本にもっと元気を!」そんな想いを託して、被災地に向かった我らが地ぱんマン、いよいよ大橋社長と喜びの対面です!銀嶺の社員の皆さんも笑顔で出迎えてくれました。
福島にやってきた地ぱんマンは、これから様々なイベントなどで大活躍することになりそうです。
ガンバレ!地ぱんマン。子どもたち、たくさんの人たちに、美味しいパンと笑顔を届けてね。
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銀嶺食品工業の皆さんと記念撮影。「銀嶺食品よろしく~!!」 |
【動画】地ぱんマンがやってきた!!in福島
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