アミグダリン(ビタミンB17)の国産びわ種健康粒剤
天与の恵み『ビワの種』を乾燥させて、お召し上がりやすいように顆粒タイプにしました。
「国産びわ種健康粒剤」は販売終了いたしました。
ご愛顧ありがとうございました。
ミネラル、ビタミンを含む太古からの滋養食
『ビワ種』を飲みやすい顆粒タイプにしました
古来より伝わる経典によると、ビワの木は「大薬王樹」と呼ばれ
特にビワ種は天与の恵みとして大切に利用されていました。
後世においては、人々はビワの種を「天神さま」と呼び、
健康に寄与するありがたきものとして広く伝えられました。
「びわの種健康粒剤」は今まで飲みにくかったビワの種を
丁寧に焙煎して、飲みやすい顆粒状に加工しました。
ご家族で毎日の健康のために安心してお飲みいただけます。
ビワの歴史
ビワとは
なじみ深いようで意外と知らないビワ
ビワの学名
ビワの実
- 分類
- 被子植物門(ひししょくぶつもん)
双子葉植物網(そうしよくしょくぶつこう)
バラ目バラ科ビワ属 - 学名
- Eriobotrya Japonica Lindley(エリオボトリア ヤポニカ リンドレイ)
ビワの分布
ビワの葉
中国の揚子江沿岸や日本の関東地方より西に生えている常緑の木です。日本では石灰岩の山地に多く、埼玉県が北限となっています。
ビワの1年
ビワの花
11月になると香りの良い白い花が咲き始め、1月まで次々と咲き、冬の寒さで死ぬことがなければ6月ころに実が熟します。果実の小さい在来種では1果房当り10~15個の実がなります。ビワの生産は非常に不安定です。大きな要因は、寒い時期に開花し、幼果が寒さによって凍死することがあるためです。このため、ハウス栽培の取り組みも行われています。
ビワの品種
明治の中ごろまでは小粒の在来種でしたが、明治12年に大粒の「田中種」が誕生して以来、現在のビワはほとんどが品種改良されたビワとなっています。現在の代表的な品種は「茂木」と「田中」が2大品種といわれ、最近では「天草早生」「長崎早生」などの品種も育成されるようになりました。また、ビワは立地条件が限られており、主に温暖な地域での栽培が適しているようです。
ビワの原産地
中国の揚子江上流部の大渡河(だいとか)周辺を原産地とするのが定説です。 中国のビワ研究者は、揚子江上流に普通ビワをはじめとして、いろいろなビワ属の野生種が存在していることから、揚子江を下りながら進化していき、更に海流に乗って日本に流れ着き、自生したのではないかと推測しています。日本海沿岸に自生地が多いことでも裏付けられるといいます。
ビワの語源
果実のビワは大昔からあったのですが、その名前は形が、楽器の琵琶に似ていることから付けられたものです。植物のビワが楽器の琵琶の地位を奪って「枇杷」と表記されるようになったのは、5~6世紀ごろだといわれています。つまり枇杷が栽培されだした同時期です。
果実としてのビワ概況
平成13年度の国内生産量は、約9,890トンでした。このうち最も生産量が多いのが長崎県(3,280トン)で香川県(911トン)、愛媛県(882トン)、千葉県(803トン)、鹿児島県(794トン)、和歌山県(730トン)の順で生産されています。
※ビワの栽培に関する迷信
ビワの木には「ビワをつくるとその人は若くして死んでしまう」などの迷信があり、ビワを作る人は増えませんでした。幕末から明治以降には、ビワに対する迷信は薄らいだため、高く売れるビワを栽培する人が増えたのです。
ビワの歴史とは
古い歴史を持つビワ
ビワの実
ビワは中国で果実や葉などの利用を目的に栽培された果樹の中で古い歴史を持つものの一つです。
「中国果樹分類学」よると、西暦1世紀に書かれた中国の「西京雑記」にビワの記述があり、遅くとも後漢(25~220年)の時代には栽培されていたと記述されています。
日本に伝えたのは
禅文化研究所の文献によれば、ビワの葉療法は鑑真和上(唐招堤寺建設)が中国から日本に伝えられたとされています。特に、時の天皇である聖武天皇の后の光明皇后が730年に「施薬院」(いまの病院)を創設し、そこでビワの葉療法が行われていたとあります。
一般には、お寺の僧侶が寺の内にビワの木を植えて壇家の人々や村人にビワの葉療法を行っていました。しかし、一般には「ビワの木を植えると病人が絶えない」とか「縁起が悪いのでビワの木を庭に植えてはならない」という迷信がありました。
アミグダリン(ビタミンB17)とは
アミグダリンとは、ビワをはじめ、ウメやアンズ、モモなど バラ科の植物の未成熟な果実や趣旨、葉などに含まれる成分です。 アミグダリンが分解されると、独特の芳香を持つ成分となるため、 広く食品に利用される他、漢方の成分としても研究がされています。
アミグダリンは「ビタミンB17」と呼ばれることもあります。 これはアミグダリンが健康に有益な効果をもたらすことが研究されたためですが、 その後ビタミンの定義からは外れることが分かり、現在はかつての名残として、 いわゆるビタミンB17として名称が使われることがあります。
日本有数のお茶屋さんが作るビワ種顆粒
レトロなバス乗り場
のどかな風景が広がります
嬉野といえば、温泉にお茶に、とにかくのどかなイメージがあります。もちろん仕事は忘れていませんが、なんだかのんびりできそう…という期待を頂きつつ電車に揺られます。電車の窓から、そして最寄り駅からバスに乗り換えて目的地に向かう道すがら、予想に違わずひたすらのどか~な風景が広がります。途中の無人駅だとか閑散としたバス乗り場だとか、映画に出てきそうなレトロ感…良い感じです。
めじるしの大きな看板
広がる田畑や懐かしい感じの街並みを眺めながら道を行き、やって参りました、川原茶業さん。大きな看板が分かりやすくて助かりました。 一歩入ると、ガタンゴトン、機械の音が響いています。そして包み込むようなお茶の香り。お茶屋さんにきた!という感じです。
きれいな色です!
お茶を頂きました
ご挨拶を済ませ出されたお茶が、さすがはお茶屋さん!目に鮮やかな翡翠色、すっきりとかつ深さのある味、香りはふっくらと、思わず笑顔になります。「水も良い水なんですよ」と、水出しでもお茶を頂きました。水出しといっても専用の道具があるわけではなく、普通に急須に水を注ぐだけ。それなのにとってもおいしいんです。地下水を使っているので水の透明度が高く、氷も澄んだ色をしています。製品はそれ単体ではなく、産まれた土地も含めてひとつの製品になるんだなあ、と実感します。
川原社長と突撃隊長山下
さて今回の訪問の目的は、この川原茶業さんの製品、びわ顆粒「びわの種」を皆さまにご紹介するため。びわ顆粒への関心は以前から高く、ご要望もしばしば頂いておりましたので、早く皆さまにご紹介したいと意気込んでの訪問です。
どーん!びわの種
川原茶業さんはもともとお百姓さんで、お米作りをしつつお茶も栽培している、というスタイルだったのですが、減反などでお米作りを取り巻く状況が厳しくなる中、今の社長さんがお茶専門へと家業をシフトしたそうです。そして単なるお茶屋さんでは既存の大手お茶屋さんにはかなわないと、オリジナリティのある製品、特に健康関連の製品を大きく扱っています。
それら製品のひとつが「びわの種」。文字通りびわの種を顆粒状にしたもので、味噌汁や飲み物の中に入れて、気軽に摂ることができる製品です。びわは、その実はおいしく頂けて、葉はご存じのように、お茶や湿布などとしてさまざまな場面で役立ち、あますところなく活躍してくれる植物です。
そして肝心のびわの種。実はこの種の皮というのが、種の実以上に栄養のあるものなんだそうです。ただし皮をまるまる入れてしまうと、びわの顆粒が黒くなってしまうので、皮は半分だけを残して入れています。このひと工夫のおかげで、さらに身体に嬉しい製品に仕上がります。
たくましく働く職人さん
川原茶業さんの強みは、その技術と経験。製品を作るためのノウハウはすべて持っているので、どんな原料でもほとんど依頼に応じることができます。技術に加え、社長の長年の経験から、その原料が製品になるかどうか、どのようにブレンドしたら良いかも分かってくるそうです。その技術と経験を活かして、直販はもちろんのこと、全国各地のお茶メーカーや店舗にも原料や製品を供給しているとのことで、もしかするとこれまで知らずに、川原茶業さんのお茶を飲んでいたのかもしれません。
品質管理の要!
中は常に真冬です。
川原社長いわく、お茶やその他の製品も、原料とその保管方法がおいしさを決定するとのこと。どんなに良質の原料でも、保管方法が悪ければ製品はまずくなってしまうし、逆にどんなにきちんと保管しても、原料の質が悪ければおいしくなりようがない。その基本をまじめに守っているから、川原茶業さんの製品は、安定した品質を保っています。
製造工程以外にも、川原社長はじめそこで働く方々の人柄も、製品の質に反映されている気がします。たとえば川原茶業さんの、お茶を飲む女性のマーク。実はこれ、社長の奥さんがモデルになっているそうです。ご夫妻は本当に仲が良くお互いを大切に思う様が側でも感じられ、それがそのまま社内の雰囲気も温かくしています。そんな場所で産まれる製品には、やはり温かな気持ちがこもっているのではないでしょうか。