1年半以上の歳月をかけて改修された京町家の母屋と蔵「プレマルシェ京町屋@京都三条」
”昔ながらの景色が眺められる”京都の町並み。京町家をプレマ流にアレンジして更なる癒しの場を造り上げました。
“建て替える”のではなく修理し続けて千年もの間、
”家を持たせる”という考えで建てられたのが町家です。
町家の素材は、木、土、草、紙……と
身近なもので作られていて、すべてが土に還る材料。
そうして守られてきた京町家の伝統を大切にし、
持続可能な方法で再建しました。
京都市内中心部では、歴史ある京町家が次々と解体されています。
また、改修されている場合にも、かなりの物件が円安の影響もあって外国人に買われてしまい、表面を取り繕ったいい加減な改修がおこなわれることも少なくありません。
そのため雑な改修が老朽化したときにはとてもみすぼらしくなってしまい、遠くない将来にまた解体しようと思われてしまうような町家が大半です。
物件の管理者が変わったとしても「これだけ正しく丁寧に改修されているのだから、壊さないで今後も維持するようにしよう」と思ってもらえる改修にしていこう。
これまで有限で貴重な素材を取り扱い続けてきたプレマだからこそ、京都の歴史を見守ってきた京町家の持続可能性に本気で取り組んでいきます。
京町家の現状と今後
※伝統構法とは、大工さんが一本一本の材木に「継手」や「仕口」といった凸凹を施し、金物を使わずに木を組んだ「木組み」の軸組構法のこと。
京都の歴史的街区にある伝統構法(※)で建てられた都市型の住居のこと。
京都の町は蛤御門の変の大火でほとんど焼けてしまったため、幕末以降に再建されたものがほとんどです。
日華事変下において木造建物建築統制がかかり、昭和26年に建築基準法ができ、町家の再生産ができなくなったので、約150〜80年前に建てられたものを総じて町家と呼んでいます。
プレマルシェ京町家は専門家に「明治期の様式としては、辻褄があわない」とご意見を頂いていることから、推定江戸末期に建てられたとされています。
1.京町家の魅力
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“建て替える”のではなく修理し続けて千年もの間、”家を持たせる”という考えで建てられたのが町家です。
戦後は住宅供給政策により30年ごとに建て替えるプログラムで建設されたものとなり、大掛かりなメンテナンスが容易にできない建物が増え、修理して長く使い続けるのが難しくなってきています。
- 町家の素材は、木、土、草、紙……と身近なもので作られていて、すべてが土に還る材料。土壁の土は、もう一度、練り直して使えるし、材木も使い回しの材料がたくさん使われています。土蔵などが解体される現場があれば、それを回収して練り直して使ったりもしています。昔は、京都の七条か八条あたりにも古い材料ばかり扱っている材木屋さんがあり、リサイクル・リユースの精神が当たり前にありました。
2.京町家を取り巻く現状
今回、プレマルシェ京町家の施工をお願いした京都町家作事組さんにお話を伺うと、木舞を編む人など、専門にしていた人は減っているのだそう。プレマルシェ京町家も先達に畏敬の念をもって、「人見梁(ひとみばり)」や「とんとん葺き(ぶき)」といった代々受け継がれている技法を使い、町家を再建しています。
※木舞とは・・・土壁において使われた左官下地、もしくは組み上がった状態。貫に木舞として細い竹や割り竹を縦横にからめ、それに壁 土として荒木田を塗りつけて、そのうえに仕上げ塗りをする。木舞は柱との結合が弱く、蹴飛ばせば壊れてしまうほどだった。また、土壁は散り際が切れやすく、散り廻りの補修が必要になった。木舞下地の壁を木舞壁とも呼んだ。現在では大壁となり、しかもラスボードが普及したので、木舞はすたれた。
(出典:建築用語集HPより抜粋)
3.これからの京町家
京町家作事組設計士の末川さんは、”京町家の改修は元通りに戻すことが持続的に町家を残すための最善策だ”と言います。例えばリサイクルの面。京間の畳の寸法や、建具の幅や高さなどサイズがに決まっているので、使い回しが効きます。 かっこいい町家を参考にして見た目だけ新しくしただけでは、町並みが戻ったとはいえません。工務店と設計士の先生でちゃんと調査して、復元した図面を設計士の先生に描いていただき、全体のバランスなど一緒に見て、その通りに施工する。そのプロセスが町家の修復において大切なこととなります。
京町家を改修するにあたりプレマが大切にした6つのこと
- 耐震性を含めた構造改修をしっかりおこなう。
- 後代にぐちゃぐちゃにされていた改修を原型に近い形に戻す。
- 連棟となっている隣家が解体された場合にも自立するようにする。
- 職人には正当な対価を支払い、かつ納期は無理をいわないことにより、伝統的な技法を承継できるような機会にする。
- 可能な限り新建材は用いない。
- 代表の中川の死後や、やむを得ない状況で売却された場合の対策
本来の京町家の持続可能性をとことん追求しました
京町家作事組設計士の末川さんは、”京町家の改修は元通りに戻すことが持続的に町家を残すための最善策だ”と言います。例えばリサイクルの面。京間の畳の寸法や、建具の幅や高さなどサイズがに決まっているので、使い回しが効きます。 かっこいい町家を参考にして見た目だけ新しくしただけでは、町並みが戻ったとはいえません。工務店と設計士の先生でちゃんと調査して、復元した図面を設計士の先生に描いていただき、全体のバランスなど一緒に見て、その通りに施工する。そのプロセスが町家の修復において大切なこととなります。
左官の様子
京町家と附帯する蔵の復元にあたっては、現代的な左官材料や下地に工業生産された石膏ボードや合板などを一切使用せず、もともとの状態の土壁構造のままで新たに左官を施すことで美観を回復しています。
専門家の視察の様子
ファサード(外観)の修復においては、商店街アーケード設置の際に軒を切り取られてフラットな防火性のある看板建築にされて風情の失われた往事の状態に戻すべく、京町家の専門家がほぞ穴などをつぶさに観察して、建築された当時の面影をなるべく正確に復元しています。
オルタナティブアース施工の様子
京町家本体の可能な箇所には、オルタナティブアース・カーボンシートを敷設し、中にいる人が不要な高周波から守られ、カーボンシートの放つ遠赤外線や還元力が行き渡るように工夫をしています。
根接ぎとそれに伴う左官の様子
母屋は全体に左側に傾いていたため、徹底した構造改修を行い、耐震性を再現するとともに、腐敗した柱下部には根接ぎと呼ばれる技法でビスや釘などを一切使わない、伝統的な組み木による復元を行っています。
また、構造改修によって開口した壁面についても、セメントや合成建材を一切使うことなく、伝統的な竹組みによる土壁の回復を行いました。
建具等ファサードの塗装の様子
外観においては、新設の建具や柱等の木部が露出した箇所には一切の現代的なペンキを使わず、ベンガラを何度もすり込むことで江戸末期から明治期に行われた塗装の伝統技法によって色を出しています。
手間と時間がかかる方法ですから、ペンキを使う方が何倍も早いのですが、徹底的に伝統技術を取り入れることを目的としているため、安易な方法はとらずに改修を行いました。
解体の様子
今回の改修までは、京町家としての外観は備えておらず、内部も現代的な合成建材による改修が幾重にも施されていたため、それらをすべて撤去しています。
専門家によるファサード復元打ち合わせの様子
改修の全体像を決定するため、京町家作事組の専門家集団による検証が何度も行われ、本京町家や建てられた当時のほぞ穴などを辿ることで、「なんちゃって改修」ではない工事の基本方針を決定しました。
京町家作事組・末川協建築設計事務所 設計士
末川 協(すえかわ きょう)
1964年京都府京都市生まれ。大学時代は京都の歴史的景観の保全を専攻。11年間の設計事務所勤務では各地の公共文化施設の設計監理を行う。3年間のブータン王立司法裁判所勤務の後、2004年設計事務所開設。京都の町家を主とした伝統構法による建物の改修設計を手掛ける。その他、2014年巡行復帰した祇園祭大船鉾の木部設計、2022年巡行復帰予定の祇園祭鷹山の木部設計を担当。
末川協建築設計事務所:https://www.kyosue.com/
京町家作事組 副理事長 施工担当・株式会社大下工務店 代表取締役 大下 尚平(おおした しょうへい)
“「元に戻せないような改修はしたらあかん」と僕は教えてもらっている。”
1980年京都府京都市生まれ。父親の後を継ぎ、京都で工務店を営み、年間を通して京町家に携る。平屋、厨子二階から本二階、仕舞屋、長屋、大店と借家、また織屋、花街、銭湯や工場など、営まれる職種により様々な特徴がある京町家をひと括りにすることなく、常に復元を念頭に置き、日々作事に励む。
水琴窟によるイヤシロチ化
庭を本来の日本庭園に復活させただけではなく、屋外型の大型水琴窟を埋設して、水が奏でる自然音としての高周波を敷地と建物に充満させました。そのことにより風だけではなく、可聴、不可聴両方の癒やし振動が、訪れる人を包み込む設計になっています。
水琴窟
ルーツを探ると、江戸時代まで遡ることができます。水琴窟の音は水滴の落下音と言う全く自然なサウンドをもとに、倍音生成の原理を応用して倍音を含む高周波の塊(自然周波)としたものです。 この自然周波には人間の脳幹と視床下部を活性化して、ストレス性ホルモンの減少、免疫活性の増大、ストレス対抗性の向上など自然治癒力を高める効果があるとされています。
(出典元:特定非営利活動法人 日本水琴窟フォーラムHPより抜粋)
水琴窟を埋めるための穴を掘るところ
作業の様子1
作業の様子2
来客者を癒すため特注で設置された水琴窟
水琴(みずごと)自宅に水琴窟を設置したいとき
日本独自の文化である水琴窟(すいきんくつ)をヒントに、大橋智夫が独自に開発して誕生した癒しの音響装置、水琴(みずごと)です。
水琴が奏でる水滴の響き合う音は、自然界にあふれている豊かな高周波を住空間のスペースにもたらしてくれます。不規則に落ちる水滴の響き合う音は、高周波な倍音をたくさん含み、自然界と同じ高周波を生みだします。
自宅に水琴(みずごと)の設置が難しいとき
CDには京都4箇所の水琴窟の音。本にはイメージ写真、水琴窟の解説、宮本亜門さんのエッセイなどを収録。全国からぐっすり眠れるなどのお便りを多数頂いた話題作。
旧家から移設した「おくどさん」
移築前のおくどさんの様子
伏見区の農家で長年使われてきたおくどさんが改修によって不要になったとの京都市まちづくりセンターからの情報で、このおくどさんを移設することを決め、三条会の京町家に移設、保存しています。
慎重に調査をする様子
一つ一つに番号を振っていきます
番号順に1つ1つ元に戻します
日本の台所を支えていたおくどさん
おくどさん(竈)とは
京都伏見地域の、ある農家さんの京町家には、ひっそりと「おくどさん」が佇んでいました。今でいうシステムキッチンにあたる「おくどさん」。
1950年頃まで「おくどさん」は現役で日本の食卓を支えていたものです。そんな「おくどさん」をれんがの一つひとつに番号をふってから慎重に解体してバラバラに運び入れ、また番号順に組み直して私たちの京町家に大事に大事に移築しました。
この世から消えてしまいそうだった明治期のおくどさんを承継することができました。
人見梁とは
見せるための梁(はり)人見梁
表の胴差部にある梁。昔はこの梁に蔀戸が吊られていたためヒトミ(人見)と呼ばれるという。事実京町家で差鴨居(鴨居にした梁)を使うのはここだけである。(出展元:京町屋net)
とんとん葺きとは
普通は隠す”とんとん葺き(ぶき)”は全て手作業
今では滅多に見かける事のない特殊な防水方法のこと。ヒノキ科の一種である”サワラ”の木を薄くスライスしたもの。サワラは水に強く腐りにくい上にしっかり防水し、湿気は逃がすというような優秀な素材で、現代で言う”透湿防水シート”のような役割を持っている素材。とんとん葺きは長年修練を積んだ熟練の職人でしか葺く事はできず年賀状サイズの木の板を重ねて張っていく為、非常に工期が掛かります。
(出展元:髙橋板金工業)
母屋とともに改修をおこなったおぞうさん(土蔵)
母屋の奥に控える「おぞうさん(土蔵)」は従来、近隣の住民3件分の蔵だったもの。内部に入るとゆっくりとした時間が流れ、しばらく滞在すると気持ちが落ち着いてくるのが分かります。
入口を開けた状態のおぞうさんの外観
おぞうさんの内部(1F)
2Fにもくつろげる広いスペースがあります
土壁が崩れるので椅子は柱に立てかけます
自然が織りなす音響効果
土蔵の壁は約20~30㎝の厚みがあります。土壁は米穀、酒、繭などの倉庫や保管庫として、防火、防湿、防盗構造の性能が高い構造になっていますが、実は上質な音が楽しめる音響空間としても注目が集まってきています。木と土からなる天然素材で築かれた土蔵の中は、奏でた音を和らかい音質に変換するだけでなく、消えゆく音の余韻をしっかり聴講者の耳に残します。
マイナスイオン生成器を設置
土蔵の壁は約20~30㎝の厚みがあります。土壁は米穀、酒、繭などの倉庫や保管庫として、防火、防湿、防盗構造の性能が高い構造になっていますが、実は上質な音が楽しめる音響空間としても注目が集まってきています。
木と土からなる天然素材で築かれた土蔵の中は、奏でた音を和らかい音質に変換するだけでなく、消えゆく音の余韻をしっかり聴講者の耳に残します。
プレマルシェ京町家@京都三条 活用事例
京町家ウィーク プレマルシェ京町家レポート(1)-プレマのほんもの発掘ブログ-
京町家ウィーク プレマルシェ京町家レポート(2)-プレマのほんもの発掘ブログ-
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プレマルシェ京町家@京都三条 へのアクセス
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