天照ル君ノ ゴールデンシルク 養蚕家さんを訪ねて
ゴールデンシルクを紡ぐ養蚕家さんを訪ねて、弊社中川がタイへ飛びました
クーデター下のタイを中川が行く!
知られざる美しい山里と養蚕が紡ぐ時間
2014年5月。国軍によるクーデター下のタイに訪問し、
実際に養蚕家の皆さんと時間を共にしてきました。
山里にはいつもと変わらぬ平和があり、
黙々とかわいいお蚕さんに桑の葉を与え続ける、
美しい光景を眺めたのです。
ゴールデンシルク養蚕プロジェクトのいま
現在、江上さんのすすめる養蚕プロジェクトは、タイ北部、ランプーン県トゥンフワチャン地域で、約20軒の養蚕家によって進められています。
約10年遡ったプロジェクト当初には、「日本の養蚕技術が学べる」「買い取りしてもらえる」などの噂から、60軒近い農家が養蚕に手を上げましたが、やる気のあるなしや、改善努力のあるなしなどの要因で淘汰され、現在は約20軒の農家さんが継続して安定した質の養蚕を進めています。
この場所は、チェンマイ市内から2時間近く山岳地帯に入ったところで、清浄な空気に満たされ、都市部の汚染とは無縁の環境が広がっています。従来、この地域では斜面が多いうえに道路が整備されるまでは都市部のアクセスが悪かったために、米作や野菜の生産は非常に難しく、木に結実する果実「ロンガーン(龍眠)」の栽培だけが唯一の現金収入でした。今も斜面を生かしておおくのロンガーンが栽培されていますが、収穫の季節が限られていることで、安定した収入にはなっていません。
そのような、自然環境には恵まれていながらも、農産、工業の両方が難しい場所ではありましたが、江上さんはその魅力をこう語ります。
「当初は、タイ東北部の貧しいエリアで、なおかつ養蚕の実績がある農家さんと、純粋な日本式養蚕をすすめ、原料を確保する方向であちこちを回りました。1年で10万キロ近く、自分で車を運転して販売から加工、養蚕まですべてを自分でやっていた時期もあります。ただ、従来から養蚕をやっている農家では、低い生産性、安定しない品質が常に問題として残っていたのです。固定観念が、新しいやり方を邪魔してしまうのです」。
このような問題は、日本における無農薬栽培や自然栽培と同様に、既存の農家からは「生産性が上がらない」「面倒だけが増える」「買ってくれるところがない」などの反応が返ってくるのと似ています。農学をしっかり勉強した人ほど、知っている知識からはみ出すようなやり方に対する抵抗は強いのです。栄養学ですら、日本の栄養学は世界的にも周回遅れと言われており、未だカロリーやビタミンベースの栄養学で、微量ミネラルの価値や食べものの性質にまで言及されることは少ないのです。これが日本で冷凍食品や添加物が「栄養学的に問題がないから」と非常に安易に用いられるのと似ており、どこの国にいっても「既成概念」というものの壁の厚さを感じるところです。
未経験者だからこそ、柔軟に取り組める
そんな難しさを根本的に変えてくれたのが、トゥンフワチャンの皆さんです。養蚕の歴史も技術もないこの地域だからこそ、日本式の卓越した養蚕技術をそのまま実現することが可能になりました。
山深いこの地域では農業が難しいことは前に触れたとおりですが、そんな地域であったからこそ、シルク手織り(手機・てばた)が盛んでした。当初、繊維製品を作ろうと考えていた江上さんは、非常に繊細で手がかかる手織りが可能な場所として、この地域とのつながりがあったのです。
ここタイでも伝統衣装の衰退は日本の着物同様、深刻なものとなっています。当時から、伝統衣装には絶対に必要な手織りの技術も、養蚕そのものも失われつつあるのは、日本と事情が似ています。
「織物は作れても、蚕を育てたことはない」という地域だからこそ、江上さんの言葉がスポンジに吸い込まれる水のように、きちんと吸収されていきました。タイに昔から伝わる原種の蚕と比べ、日本種との交配によって産まれたTM-201種の養蚕は困難を極めます。より厳密な温度や湿度管理、より多くの手間、より繊細な薬剤に対する感受性、より病害虫に対する弱いこと、より大きく育つためにより多くの桑を与える必要性……実に難しい養蚕を可能にしたのは、養蚕の全く素人なのです。
当然、最初は失敗の連続です。失敗したから、繭が得られないからといって、何も支払いません、では養蚕を志した人は生活できず、続々脱落していきますし、「ほら、日本人のいう面倒くさい蚕など育てるのは大変なだけで、儲かりもしない」と三行半を突きつけられかねません。そうならないために、仮に病気や不作で繭が得られなかったとしても、江上さんは満額の半分程度の最低生活保障のためのお金を支払い、同時にうまくいかなかった理由を共に考え改善を重ねることで、地域の新養蚕家の信頼を集めていきます。改善も、経済的なバランスの支えなしには、単なる金持ち日本人のいう「きれい事」になってしまうのです。
2003年から失敗と成功、努力と根気を注ぎ込みながら、共に泣き笑いしてきた養蚕家を訪問しました。
2013年の最優秀養蚕家
最初に訪問したのは、2013年の最優秀養蚕家であるチャンウタマさん、72歳です。プロジェクト当初からこの試みに共鳴し、共に汗を流した仲間です。
彼は養蚕が大好きだ、といいます。タイでは温暖さもあって、年に6~7サイクル養蚕が行われます。訪問時点では、蚕は5令目を迎えていました。蚕の成長過程では、もっとも大きくなる5令目に8割の桑を食べます。桑の葉を採取して、与えても与えても、旺盛な食欲で5令目の蚕はどんどん桑を平らげていきます。そのスピードは、見るものを驚かせるほどです。
チャンウタマさんは忙しく桑の葉を蚕に与え続けています。
蚕室には、約5万頭の蚕が「シュカシュカ……」という音を立てながら、桑をひたすら飲み込んでいく姿が広がっていました。おそらく1頭の蚕が餌を食べている音を聞こうとしても全く聞こえないのでしょう。蚕室全体で生きる蚕が一斉に桑を食べると、葉擦れの音なのか、もしくはむしゃくしゃと食べる音なのか、小さなさざ波が聞こえてきます。子どもに読み聞かせたことのある「はらぺこあおむし」ならぬ「はらぺこおかいこさん」の合奏曲です。
蚕室の周りには、少しの薬剤があってもいけません。とくに半分は外来の遺伝子をもつTM-201種は農薬、化学物質などにとても敏感です。タバコの煙はもちろん、お酒をたくさん飲んでいる人が入っても弱ってしまうくらいに、蚕は敏感なのです。桑の葉に農薬がかかっていても、蚕は生きていくことができません。逆に言えば、TM-201種の周りには、化学物質があってはいけないし、もし化学物質があれば、TM-201種の蚕が自らの命をかけて教えてくれるのです。いかに、この蚕を育てることが自然環境のバロメーターとして機能しているかをイメージして頂きたいのです。
そんな、化学物質や農薬とは無縁な桑畑も見せていただきました。蚕室のまわりを桑が囲んでおり、強い紫外線を受けながら旺盛な抗酸化物質を内包した桑が青々と育っています。日本の整った桑畑の景色とは違い、大小折り混ざった桑たちが、思い思いに自生してるかのような光景です。ちょうど、甘くて酸っぱい桑の実(マルベリー)も実っていました。都会育ちの私にとって、桑の実をもぎって直接食べるなど、とても贅沢な瞬間です。フレッシュな桑の実は、濃い紫で、いかにもアントシアニンいっぱいという姿でした。
ちょうど時間はお昼にさしかかり、チャンウタマさんのご自宅でお昼ご飯をごちそうになりました。お昼ご飯を作ってくれたのは、料理上手なチャンウタマさんの息子さんのお嫁さんです。彼女は政府が支援する一村一品運動のリーダーで、桑の葉を使ったお茶やジュースの加工も行っています。地域にしっかり根ざした、聡明でアクティブな女性です。
フレッシュすぎるマルベリードリンクも食卓に並びました。彼女から市場に6バーツ(約20円)で卸され、市場では10バーツで販売されているそうです。非常にフレッシュで質の高いマルベリージュースがたった30円少々と考えると、毎日何本でも飲みたくなりますね。もちろん、お手製の食事も最高に美味しかったです。「アローイ マークマーク(とてもおいしかったです)」とお礼をいって、次の養蚕家を訪問します。
清潔かつ繊細な養蚕
ナンタさん(67歳)宅は、こぢんまりとしながら、非常に清潔にされている場所です。ご自宅に隣接している蚕室やその周辺も、大変よく手入れが行き届いています。
幼少の蚕は、病気や害虫に弱いので、温・湿度管理はもちろん、清潔な環境と害虫が入ってこないことがとても大切になります。ナンタさんの蚕室の周りには細い水路がひかれ、蟻が入ってこないように常に地下水が流されています。水路はまるでお城のまわりに掘られたお堀のような存在です。天井にいたる空中には、ヤモリが落ちてこないようにネットが隙間なく張られ、大切な蚕を守っています。
さらに安定した交配種を育成するためには、極めて清潔で低温な部屋に対する設備投資が必要になりますが、江上さんのなかでは「もう少し販売が進んでから」という堅実な思いがあります。銀行借り入れに依存したり、海外・政府援助に頼ったりするようなやり方ではなく、種の維持、養蚕、加工、製品化、販売までの全てのプロセスを安定したプロジェクトとして持続可能に展開するために、江上さんは慎重です。同時に、この大切な卵や、少し育った幼少の蚕を天敵、病気、あらゆる化学物質から守るのは、我が子を育てるような養蚕家の努力が不可欠です。ナンタさんは、約2万頭の5令になった食欲旺盛な蚕に、実に丁寧に桑を与えていました。
蚕は生き物ですから、糞も尿もします。そのため、数日に2回は養蚕ネットを新しいものに交換する必要があります。これは非常に手間のかかる作業です。蚕が吐き出す絹が製品となっていくため、養蚕環境の清潔維持は、質の高いシルクセリシンおよびその製品を作り出すために必須なのです。高温で処理する他社製品と違い、シルクセリシンを変質させず、しっかり取り出すために、低温で処理してもなお臭いや雑菌が残らないように、江上さんとそのプロジェクトに関わる養蚕家は、徹底した努力を続けています。
お届けするシルク活用製品は、実に美しい金色をはなち、そして、当然ながら悪臭などはありません。養蚕の清潔、低温処理、そして抽出に用いる水の活性化など、工程のすべてで「より輝くお肌のために、安全な製品を作る」ということが一貫して実行されているのです。
「売ることは、最も難しいこと」
世界中のあちこちで、誰かが何かを支援し、貧困や不公平を解消しようと支援の手をさしのべ、それらのプロジェクトはときに国家予算で、ときに寄付によって支えられています。その思いは崇高なものであり、何ら否定されるべきものではありません。しかし、私たちが実行しようとする同様のプロジェクトで、常に問題になっていて、かつ解決されない最後のプロセスが「販売する」というところです。とくに、政府やNGOやNPO主体の国際支援などでは、充分な設備や技術が教えられ、製品ができるところまではこぎ着けられても、必ず必要になる「販売」という部分はケアされることが少なく、プロジェクトそのものが途中で頓挫しているケースが多いのが実情です。
私たちが関与してきたブータン、ミャンマー、タイ、ラオスのどの国でも、多額の予算や熱心な人々が自己犠牲のうえに支援を続け、ものや技術レベルが上がっていることはまちがいありません。しかし、「販売して現金を得る」というところが欠落しているだけで、次の自立可能なプロセスには到達できず、結局、もてあますような立派な設備や、使えない技術が残っているだけ、という悲しい現実もたくさん見え隠れします。
江上さんは、一貫して製品をつくることはもちろん、徹底して「売って、現金を得て、そしてまたそれを製造や関与するパートナーに投資する」ということを追求しています。いろいろな国際支援の限界を感じてきた私にとって、江上さんのような、ほんとうに持続可能な共存モデルを実践されているのは、ボランティア以上に志のあるビジネスだというケースがたくさんあります。
『理念はお金が回ってこそ』『だからこそ、売ることに執念を燃やす』『そのために、さらによりよい製品を作り出す』という江上さんの10年を超えるこの地での営みの苦労と喜びが感じられます。
江上さんはいいます。「売ることは、結局一番難しいんです。だからどこの協力組織も二の足を踏むのです。国際協力の目的を否定はしませんが、売れなければ、そこで全部終わりです。税金も寄付金も生きることなく、立派な先生に多額の日当が支払われて終わり、では悲しいじゃないですか。そんなので自己満足していたら、ほんとうの喜びなど、誰にももたらされず、いい設備ができた、で終わりです。どこかの国の実情と一緒ですよね」。
まさに、同感です。
私たちは、このプロジェクトが持続可能な、社会性のある真のビジネスとして成立し続けることができるよう、販売に着手することになりました。お客様が美しくなること、それに加えて、どこかの誰かが何かを作ること喜び、そして生活を向上させることができることが、すべて同時に叶うのです。-滅私奉公的なボランティアよりも、ずっと続く具体的なお金の流れを作り出す- これが、私たちができる最大の貢献だと考えています。