オータンの「木の動物たち」
それぞれの木材の特性を活かしてつくられた木のおもちゃが子どもたちの豊かな情緒をはぐくみます
「オータンの木のおもちゃ」は、ネット販売ではなく、
直接手に触れてお買い求めいただきたく、
弊社でのネット販売は行っておりません。
以下の作品やオータンの世界にご興味のおありの方は、
株式会社 野村隆哉研究所
https://momuratakaya-institute.jimdofree.com/
〒520-2221 滋賀県湖南市三雲 1696
Tel & Fax: 0748-72-1102
E-mail: takayanomura@nifty.com
までお問い合わせをお願いいたします。
子どもたちがお父さんお母さんになったとき
あなたが示した愛情は、そのままのかたちで
新しい"いのち"に伝えられることでしょう。
やさしい色調とやわらかな感触を持つ木材は、
おもちゃの素材として最もすぐれたものでしょう。
それぞれの木が持つ質感や量感は、
生まれて初めて外界のものに触れる子どもたちの
情緒をはぐくむのにふさわしい特性です。
「木を使うということは、年輪に潜んでいる数十年、数百年の呼吸を生かすということ」
そう語るのは、オータンの「木の動物たち」の生みの親であり、
木材の性質を知りつくした科学者でもある野村隆哉氏。
それぞれの特徴がためらうことなくデフォルメされた動物たちは、
いとおしい子どもたちのゆたかな情緒をはぐくむゆりかごとなります。
何歳になっても、大人になってもその動物たちと対話ができる。
やがて父となり母となった時にもふたたび、
自分の子どもに伝えられる。親から子へ、
子から孫へ…何代も伝え続けてほしい、
やさしいぬくもりに満ちた木のおもちゃです。
オータンと木の動物たち
ブナ・ケヤキ・オークなどの広葉樹と、ローズウッド・黒檀などのカラーウッドを素材に、年輪の中に静かに眠っていた自然の美を、ひとつひとつ心を込めて取り出して形づくられたアトリエ・オータンの「木の動物たち」。
手に取ると、木の温かさと豊かさが、ほのぼのと伝わってきます。
入念な仕上げによる木肌の美しさと、デフォルメされたデザインが織りなす木のメッセージを、大切なお子様と一緒にぜひお楽しみください。
木のおもちゃが育てる子どもの情緒(アトリエ・オータン代表 野村隆哉)
親から子に伝える情緒
アトリエ・オータン代表 野村隆哉先生
健康な子どもは、生まれてから6年間で1万5千時間、一日になおすと7~9時間も遊びに興じているといいます。一方、人間らしい情緒の核になるものは、3歳までにほぼ完成されてしまうとも聞きます。それが事実ならば、幼児は日々の遊びの中で情緒の核になるものを作り上げてしまうといっても過言ではないでしょう。
初めて父親になった時、おもちゃを与えて遊ばせるよりも子どもと一緒になって遊ぶほうが楽しみでした。野山に連れ出し、ヘビもカエルもみんな楽しい友達であることを教えました。私自身、幼い頃に父からそのようにして遊びの形を教わったのです。父は押し入れの壁面に切り紙で汽車や自動車、トンボやチョウチョなどをつくって貼ってくれました。
そのようなことを通して、私は父や母から、そして自然から「情緒」を受け継いだと思います。だから私も我が子に自分の情緒を伝える義務があります。それには一緒になって自然と遊ぶだけではなく、私の父が示してくれたように、親父の情緒を具体的な形として示す必要があると思いました。生き物が好きだったので、情緒の表現のひとつとして、木の動物おもちゃを作ることにしたのです。
木をもちいることへのこだわり
木でつくることにこだわったのには、いくつかの理由があります。私の専門は木材を研究することですが、研究をしている間に、いつのまにか木の素材そのものに魅せられてしまいました。たまたま実験材料の残りや古い机、実験台などの廃材が手に入れやすかったこともあります。そして、なにより一番の理由が、子どもの情緒をはぐくむには、ぬくもりややさしさをもった木こそふさわしいと思ったからです。
木の持っている質感、量感およびその組織構造の綾など、それらすべてが私たちの感性に対しておだやかな刺激を与えてくれます。それが「ぬくもり」、「やすらぎ」、「やさしさ」など、情緒を表現する言葉で置き換えられる特性となって、子どもの情緒をはぐくんでいくのに役立つのではないでしょうか。
私は我が子のために、木の動物おもちゃをつくりました。何歳になってもその動物たちと対話ができるように、子どもたちが父となり母となった時に、ふたたび自分の子どもに伝えられるようにと想いを込めてつくりました。
おもちゃやゲームを買い与えるだけでは情緒は伝えられないものではないでしょうか。子どもの情緒をはぐくむのは完成されたおもちゃでなくてよいのです。子どもをいとおしいと思う心が形になれば、自ずと伝わるものです。もっと平明で素直な心で、かけがいのないいのちと遊んであげてください。お願いします。
相似形の動物たちは、ものの大小や量感を認識するのに役立ちます。また、お父さん、お母さん、お兄ちゃんなどの「家族」が生まれ、対話や物語が広がります。少しの工夫で子どもの想像力は広がります。
手作りのおもちゃなら、たとえ重くても、カドがあってもよいと考えます。ケガをする危険があると思うでしょうが、重いと子どもは「落とすと足にケガをする」ということを自分で学び、用心して持つようになります。それは子どもの成長にとって、プラスに働くと私は思います。
想像力
サン・テグジュペリの童話『星の王子さま』の中で、ヘビがゾウを飲み込んでしまった絵を描いて大人たちに見せたところ、帽子の絵だと思う人ばかりだったという話があった。
人は大人になるといろいろの知識を得て賢くなるけれど、それだけ固定した考えが先入観となってしまい、子どもの頃のみずみずしい想像力の泉はだんだん枯れていく人がほとんどだ。
だから、せっかくかけがえのない子供を授けられても、我が子と豊かな対話ができなくなってしまう。
ブランコを斜めにしたのは、ミミズクが風を切ってブランコに乗っているところを表現してみたかったからだが、そう感じてくれる大人がはたして何人いるだろうか。
おもちゃを通じて問い直したい木と人との関係
木のおもちゃは情緒のゆりかご
遊びが幼児期の情緒形成に重要な役割を持っているのであれば、おもちゃとは発育途上にある子どもが持つ様々な機能の発達をうながす大切な媒体であるだけでなく、『情緒のゆりかご』のようなものといえます。それゆえに、このゆりかごにふさわしいおもちゃに用いられる材料の選択はとても重要なのです。
人間の精神面と木のかかわりは、健康な人間では具体的な形として現れにくいのですが、精神的障害をもった場合にはかなり明確に現れてくる場合があります。
たとえば、ある自閉症の子どもについて、次のような話があります。その子どもが入院していた病室の窓枠は木でできていて、いつの頃からかその窓枠をかじるのがその子の癖になりました。それを止めさせようとして窓枠をアルミサッシに変えたところ、その子は自分の腕をかみはじめ、出血してもかみ続けたということです。このケースは、自虐行為が木によって緩和されていたと考えてもよいでしょう。
他の例としては、子どもの精神障害療法のひとつである箱庭療法があげられます。これは1メートル四方の枠の中に、小道具や人形、玩具を使って、子どもたちに想像のおもむくままにいろいろな場面を構築させることによって治療効果を判断するというものです。
この療法を行うと、子どもたちの精神障害が取り除かれていくにつれ、箱庭の中に木が多くもちいられるようになります。私たちの精神的安寧感と木は、かなり深い結びつきがあることを示唆している事象の一つといえます。
木が持っているこのような情緒的機能は、おもちゃの材料として木をもちいる場合にも留意すべき点です。実際のところ、これに対する十分な配慮がなされていない場合がほとんどですが、デザイン的にも機能的にも、木のもつ情緒的側面をおもちゃの中にもっと取り入れる必要があると感じています。
木の特性を生かしきる
写真のヒヨコは、くちばしをシタン・コクタンあるいはローズウッドなど色のはっきりした唐木を用い、胴の部分の材種も変えました。子どもたちは遊びの中で、それらの木の名前、組織構造の違い、重さ、堅さの違いなどを自然に知ることになります。
これにメンドリをくわえればニワトリの親子の会話が始まります。また同じ動物でも相似形のものをいくつか用意しておくことによって、家族を構成することができ、子どもたちの物語の世界は広がります。
このような形での玩具の与え方は、幼児の発育過程で想像性を高めるのに効果があり、つねに木の動物に触れることにより、木のぬくもりを感じ、形を通しても"やさしさ"を表現することによって情緒面の発達に寄与しうるでしょう。
ただ単に、おもちゃの材料として木を使うのではなく、木材等素材の特性と、おもちゃとしての機能を十分考慮しながら、適材適所に用いることが大切です。
針葉樹よりも広葉樹のほうががおもちゃの材料としてすぐれているのは、材質そのものが針葉樹に比べてねばりがあり、割裂しにくいものが多く、また樹種によって材質が著しく異なるため、おもちゃの使用目的によってそれぞれ適切な材料を選択することができるからです。さらに、デザインや色彩という点からも、材色の異なる木の組み合わせが可能です。
木は私たちが豊かな発想を持ち、ていねいに使えば、際限なくいろいろの楽しみを与えてくれる材料といえるでしょう。
紙・パルプや住宅産業、木材工業用の原料として木材が用いられる場合は、生産効率や経済効率に目をうばわれ、木のもつよさをその用途において生かしきれないことがほどんどです。
むしろおもちゃのような小さいものの材料として木を用いる場合のほうが生物材料としての木のよさや特性を豊かにひきだし、木を身近なものとして感じることができるのではないでしょうか。
長い間、木の文化を生活文化の基盤においてきた私たち日本人は、ここでもう一度、身近な生活周辺での細やかな木とのかかわりを問い直してみる必要があるように思われます。
燻煙熱処理木材とは
木材を素材(ムク材・ソリッドウッド)として使うには、それぞれの木材が樹木として育つ段階で樹体を維持するために木材組織内部に作り出された成長応力や水分が原因となって生ずる狂いや割れが起こらないように工夫しなければなりません。
その方法の一つである燻煙熱処理は、木材廃材を燃やした時に発生する煙(燃焼ガス)の熱と煙に含まれる色々の熱分解生成物と木材組成分との化学反応による相乗効果によって狂いや割れの原因を取り除きながら乾燥し、木材の寸法・形状を安定化させ素材のままで使えるようにする技術です。
従来の蒸気式乾燥、その他の乾燥技術よりもこれからの低炭素化社会で省エネのみならず木材本来の機能を活かせる素晴らしい技術で、野村隆哉氏が京都大学木質科学研究所時代から30年掛けて確立した技術です。
木材素材の機能
私達の生活居住空間での最も快適な湿度は65%前後といわれています。この湿度範囲では居住空間での浮遊細菌数が最も少なく、これよりも湿度が高くても低くても浮遊細菌の数が増えるという実験結果があります。
私達人間が快適と感じる湿度は、実は森林の中の湿度と同じなのです。森に入るとさわやかに感じるのは森林を構成する樹木相互が快適な空間を作り出すために湿度をコントロールしているのです。
これに加え、これら高等植物が病原菌などに対して個体防御のためにフィトンシドと呼ばれる抗菌性物質も放出しています。私達の祖先である猿は、今から2400万年から500万年前にこの森の環境で生まれ、育って来たため、森林が作り出した快適な湿度環境をDNAの中に記憶してきたのでしょう。
人間に進化してもこの湿度環境は最適なものとして受け継がれてきたのではないでしょうか。木材素材は、不思議なことに樹木が作り出す湿度環境を再現する機能を失っていないのです。居住空間に適量の木材素材を使うことで、除湿器や加湿器を使わなくとも半永久的に快適な湿度環境を作り出すことが出来、素晴らしいエコ住宅が出来ることを知っていますか。
『オータンと木の魔法』
木を科学することによって、それぞれの樹木の性質を解明し、そこからスギやケヤキ特有の樹形をしているのはなぜかという疑問に対する答えを引き出す。それが人間との様々なかかわりのなかで、シートンの動物記、ファーブルの昆虫記と同じ博物学の世界として、私の植物記となる。
その植物記の主人公が、オータンの木の動物たちと友達になり、今、私のなかで、ひとつのメルヘンが生まれつつある。『オータンと木の魔法』という童話の主人公の名前は「オータン」、森の木や草、動物や昆虫と友達になりながら、美しい自然と人間のかかわりを物語にしていきたいと考えている。
だから、せっかくかけがえのない子供を授けられても、我が子と豊かな対話ができなくなってしまう。
今日、科学技術が高度化し、生物学の領域でも生命の機構の解明のために学問が専門分化していくなかで、生きとし生けるものを総合的統一的にとらえ、それらの調和を体系づける領域の研究がなおざりにされている。この調和こそ美の根源であり、この調和をどのように伝えていくかということが、私たちの大切な使命であるはずだ。新伝統産業として位置づけられたオータンの木の動物たちに、美しい自然と科学技術の調和という夢を託してみたい。
"やさしさ"と"おもいやり"を根底とした科学の創造を
洋の東西を問わず、人間は極端から極端に走るようで、なんとも厄介な生き物です。これからの21世紀は既存の宗教にも自然科学にもおもねることのできない時代になるはずです。私たちは長い歴史の試行錯誤の教訓として、「こころ」と「もの」を統合した統一的で根源的な物差しが必要であることを学んだはずです。
これは、とりもなおさず本当の意味での"文化の時代"を作ることではないかと思っています。
・・・これからの科学は、"やさしさ"と"おもいやり"を根底にした科学が生まれてこなければなりません。私の属する分野でいえば、木や竹をものとして研究の対象にするのではなく、共生感をもって接することです。
人間のからだそのものが精妙な共生体であることに気づくべきです。人間だけが意志をもっているのではないのです。すべての生きとし生けるものに意志があるのです。私たちは、もう一度全ての自然と対話しなおす必要があります。そうすることによって、次の時代への新しいパラダイムが見えてくると考えています。
京都大学農学部林学科卒、京都大学木質科学研究所退官後㈱野村隆哉研究所、アトリエ・オータン設立。1939年生まれ。専門分野:木材物理学、木文学。木工作家 木のオモチャ作りは70年頃から始めた。73年に大阪の「ギャラリー・ブラウン」で第1回個展。これまでに140回以上の個展、企画展を開催。朝日現代クラフト、旭川美術館招待作家。グッドデザイン選定、京都府新伝統産業認定。
ラオス紀行「メコンの時間」より
私たちはいつの間にか西欧かぶれして西欧文明がすべてと思い込んでいるふしがある。このため、どこにでも西欧文明の時間軸を持ち込もうとする。西欧文明の亜流ですらこうであるから、本家本元はもっと露骨である。
れぞれの国にはそれぞれの文明と文化の時間軸がある。この時間軸を基準にして考える必要があるのに、自分たちこそ選良の民と思っているのか、それとも押しつけがましい底抜けのお人よしなのか。
(略)・・・スピードが上がれば上がるほど、ドライバーの視野は狭くなり、ハンドルにしがみついていなければ、一瞬にして奈落のそこである。
何のために、そんなに急ぐのか理解に苦しむが、世界中が経済成長率とGNPを競うことが生き甲斐のようになってしまった。その一方で、地球規模の環境破壊が忍び寄っているというのに。
・・・それにしても、飛行機とは不思議な乗り物である。365日の時間軸の国と1秒の時間軸の国を苦もなくつないでしまうのである。 現代に生きる人間はどこにいても必ず一度は西欧文明の先例を受けざるを得ないようである。これは宿命のようだ。問題は、その後、いかに早く自国の文化に目覚めるかにかかっているようだ。
オータンの「木の動物たち」との出会い
虫と友達になる
小学校5年のころ、父の本棚に並んでいたシートンの動物記を夢中になって読んだのが、私と動物たちとの最初の出会いである。その後、6年の国語の教科書で、中西悟堂がスズメを家の軒先で飼育した話を読んだとき、動物記の主人公たちが身近なものになった。父にせがんでスズメのひなを育てる中で、モコモコした羽毛に包まれた小さな命のぬくもりが、私の生涯の方向を決定してしまったようである。自然界のすべての動植物に興味をもち、これまでに色々の生き物との出会いを作ってきた。
ファーブルが教えてくれた虫の世界では、玉押しコガネなどの牛馬糞をえさにする糞虫(くそむし)にひかれ、はるばる姫路から播但(ばんたん)線に乗り換え、生野高原までダイコクコガネムシを採集に行ったこともある。野次馬ならぬ野次牛に囲まれ、ホッペタをなめられながら牛の糞を夢中で掘り返し、ダイコクコガネを見つけたときの喜びは天にも昇る気持ちであった。あまりにも見事な虫の姿に殺すのが惜しくなり、牛の糞と一緒に弁当箱に詰めて持ち帰り、飼育しているうちに、いつの間にか友達のようになっていった。
このような虫や植物との出会いのための山歩きが嵩じて、大学では林学を学び、その中で知らず知らずに木にひかれて木材学の道を歩くことになった。長女が生まれたとき、自然の美しいものを全て伝えようと、野山に連れ出し、ヘビもカエルもゲジゲジも皆、楽しい友達であることを教えた。庭中に花を作り、彼女の幼い友達のために我が家の庭を遊び場として開放した。その遊びの中で必要な玩具、積み木や人形の机、椅子などを、大学で捨てられる古い机や実験に使った木端で作ってやることが、いつの間にか父親の余暇の仕事になっていった。
木の動物たちは娘の要求がどんどんエスカレートしていく中で、ゾウ、キリン、カバと次から次へ増えていく。素人が木で動物玩具を作るのであるから、その作品たるや幼児が描くゾウと一緒である。しかし、子供にとって、鼻が長ければゾウに間違いないわけで、その方がむしろ、イメージを豊かに育てることができる。気がついてみると、娘の周りには木の動物たちがいっぱい溢れていた。
オモチャ村の誕生
その頃、中学時代の恩師が画廊をやっておられたので、生来の茶目っ気もあって、木の動物ばかりの展示会をやらせてもらうことになった。驚いたことにこれが評判となり、コンペで賞をもらったり、通産省のグッドデザインに選ばれたりして一躍有名になってしまった。これを契機に私の夢がふくらみはじめた。
「美しい大自然の中で育った木の一本一本に私の夢を託し、多くの子供たちに木のぬくもりを通して、自然の豊かさを伝えていこう。森や木を知り尽くしている山村の人々に、その心を木の動物で表してもらおう。その中から色々な物語が生まれてくれば、どんなに楽しいだろう」
このような思いがいっぱいになったとき、京都大学の演習林がある芦生(あしゅう)の原生林の中の小さな集落にオモチャ工房を作ることを思いついた。
この原生林は由良川の源流にあり、大学の演習林としてこれまで大切に保存されてきた。トチノキやカツラの大木が亭々としてそびえて覇を競い、四季折々の自然の変容の美しさは、訪れた人々の心をとらえて放さないものがある。この美しい自然の思い出を伝えるものとして、芦生の村人たちが木のオモチャを作り、訪ねた人々の記念にもとめられるようなものにすれば、山村地域の振興にもなり一石二鳥であろうと考えた。オモチャ村の誕生である。
このオモチャ村を作るのには三年近くの年月を要した。山の人々が雑林としか考えていないような木々にも命を与え、作られたオモチャが親子何代にもわたり、手あかにまみれ、使い込まれて、それぞれの世代の思い出が込められるようなオモチャを作ることを願った。
「オータン」の名前の由来
木の動物たちを中心としたオモチャの商標登録をする際、どのような名前にするかで悩んだ。そもそも、親父の情緒をわが子に伝えるために作りはじめた玩具であるから、その由来にふさわしい名前にしたかった。そのとき、次女の明子(さや子)がちょうど片言を話し始めていたときで、母親を「アータン」父親を「オータン」と呼んでいることを思い出した。
これを使わせてもらおうと、とっさのひらめきであった。親父の情緒の表現にぴったりだと思えた。
七瀬の谷の大きなトチノキや、内杉谷の主のようだったブナが、数百年の経験をその材質の中に刻み込んだ、その材料を使って、メンドリやヒヨコ、ミミズクのおしくらまんじゅう、ゾウ、カバ、バク、ネズミ、イノシシ等々、色々の木の動物たちが堰を切ったようにイメージの世界から飛び出してきた。
その後30年近く続いた芦生のオモチャ村も、集落の高齢化および工場長の家庭の事情で閉鎖を迎え、京都大学退官後に創設した研究所に附設する形で現在に至っている。
かもし出す
息子の亮介が、話し言葉をようやく覚えだした二歳のころである。朝早くから起きだして、「これ何」「あれ何」とそれはうるさいほど質問する。ちょうどフキノトウが庭のあちこちに芽生えだしたころのこと。これに興味を持ったのか、私を庭に引っぱり出しては、フキノトウを指さし「これ何」「フキノトウ」、「あれ何」「フ・キ・ノ・ト・ウ」。いくつも出ているのを見つけだしては、片っ端から聞く。
「亮介、これはフキノトウ、フ・キ・ノ・ト・ウ、言ってごらん」返事はない。そのくせ他のものには目もくれず、フキノトウにこだわりつづけた。二日目もまた、同じ質問を繰り返し、自分では決して声に出さなかった。私は幾度も「フキノトウ」を言わそうとしたが、頑固に答えなかった。四日目の朝、私の手を引っぱるようにして庭に出てゆき、「これ、フキノトウでしょう」と、自分から話した。
今思い出しても、その折の息子の得意な表情が鮮烈である。この時、「かもし出す」という言葉の意味を大きく感動を持って息子から教えられた。
子どもたちの笑顔をつなぐ社会貢献
あなたのお買い物が、
日本とラオスの子どもたちの情緒を育てます
木のおもちゃ「オータン」の売上げの10%は、ラオス支援活動の一環として弊社が2009年に建設した中学校「プレマシャンティスクール」の運営資金の一部として寄付し、主に中学校の基盤整備などに役立てていきます。
今回の寄付に協賛くださった野村隆哉先生ならびに、現地での各支援活動をサポートする特定非営利活動法人テラ・ルネッサンスとともに、私たちは、日本の子どもたちとラオスの子どもたちの元気な笑顔がひとつに重なり、さらに大きな世界の平和につながることを切に願っています。
皆様からお預かりした費用は、弊社から特定非営利活動法人テラ・ルネッサンスを介して、現地の活動組織に届けられ、ラオスの子どもたちの支援に役立てられます。
「オータン」の売り上げの10%は、2009年に弊社がラオスに建設した
中学校「プレマシャンティスクール」の運営資金の一部として寄付します
野村隆哉
親父の情緒をわが子に伝えたいと作り始めたオータンの「木の動物たち」を、縁あってプレマから販売させていただくことになりました。販売に当たり、この作品が生まれた目的である「情緒の伝達」に沿って、製作者、販売者、購入者が三位一体となって売上の一部を世界中の恵まれない子供たちの情緒の育成に役立てようと考えました。
たまたま、プレマの中川社長が特定非営利活動法人「テラ・ルネッサンス」と協力してラオスに学校を作ったと聞き、この学校を卒業した子供たちがラオスの豊かな森林資源を活用する一つとしてオータンの「木の動物たち」を作ることを通して新たな地域産業の育成にこの寄付金を役立ててもらえたらと思っています。
代表取締役
中川信男
子どもたちを健やかに、そして幸せに育みたいという気持ちは、世界中に共通した親の心からの願いです。
子どもは未来そのものであり、また希望そのものだからです。
世界には、子どもたちの命ですら危険にさらされ続けている現実があります。
その、目を覆いたくなるような現実のすべてに対応することは確かに難しいでしょう。
しかし、どれだけ小さな歩みであったとしても、それは続ける必要があるのです。たとえ砂漠の砂を運び出すような作業であったとしても・・・・
野村先生は、まさにそのことに共鳴をいただき、オータンの作品が広がるごとに、子どもたちの未来があらゆる方向に広がることを希望されました。
オータンを手にする子どもや親だけではなく、どこか遠くの誰かの希望を少しでも広げることができるのなら。
だから、私たちはこのオータンの世界は、四方八方に広がると強くイメージしているのです。
世界の子どもたちの未来が、大きく広がっていきますように。