Ena(えな)の薄型布ナプキン
草木染めの穏やかな色合いと、薄手の装着感で気分もかろやかに
「Ena(えな)の薄型布ナプキン」は販売終了いたしました。
ご愛顧ありがとうございました。
\こちらもオススメ!/
毎日つかうものだから、肌にやさしく上質なものが使いたい。
肌に触れる感覚は、目で見るよりも真っ直ぐ心に届きます。
どんな日でも、自分らしく、美しく。
自分の身体を意識する。
たったひとつのきっかけが、「私」の世界を広げます。
『えな』とは、胎児を守る膜や胎盤のこと。
女性の体内で、子宮と一体となりいのちを養う根源です。
女性の子宮を大切に暖かく維持することは、
生まれてくるいのちを暖かく大切に迎えることにつながります。
子宮は母性や慈愛の象徴。
女性にとって、かけがえのないものです。
自分の身体を意識する
月経=身体のメッセージ
初潮から閉経までの間、ほぼ一定の周期で月に一度訪れる月経は、子宮が生まれ変わる大切な生理現象であり、同時に新しいいのちの誕生に対するからだの賢明な配慮と思いやりです。産み、守り、育てる役目を担ってきた女性にだけ与えられた大切な生理現象である月経には、実に多くの情報が秘められています。
慌ただしく移り変わる毎日を過ごし、ときには時間に押し流されつつ、家族や周囲の求めに応じて動き続ける女性たちの多くは、自分自身の身体をケアする時間の確保も難しく、いつも「私」は後回しにしがち。
そんな女性たちにとって生理は、実は大切な「身体」の目安のひとつです。
体調やホルモンの分泌量など様々な要因によって異なる生理の状態は、ときには重大な体のサインということも。日ごろから月経血もチェックする癖をつけておくと、体調の変化を読み解くキーワードがひとつ余分に手に入ります。
生理は、汚物として捨てるものではありません。
ひとりの女性である「私」。
産み、育み、守る「私」。
女性である「私」だけに与えられた、逃すにはあまりにも貴重な、月に一度身体の奥から届けられるメッセージです。
ブルーデー、その原因をご存じですか?
生理の日に何気なく使ってしまう「ブルーデー」。
「Blue(ブルー)」が、英語で「憂鬱」を意味することをご存じでしょうか?
基礎体温の波が示すように、初潮から閉経までの間、女性の身体には波が生まれます。
ホルモンバランスの変化、体調の変化、気持ちの変化・・・など、心や身体に関わる何らかの波に翻弄され、押し流され、自分自身のコントロールが難しくなる女性も決して少なくはないようです。
波に翻弄されるだけでは、心身共に疲れても当然です。
翻弄されれば、嫌になります。
鬱陶しい。面倒。だから、憂鬱になる。
けれども、その鬱陶しさや面倒さの根本的な理由はどこにあるのでしょうか。
「痒み」や「ムレ」などの不快感?
「むくみ」や「頭痛」などの身体の変調?
それとも「いらいら」と波立つ感情?
まずは、月経期間の私の悩みを書き出してみましょう。
そして、その原因を考えてみましょう。
「月経そのもの」が、ブルー(憂鬱)でしょうか?
体温と共に変動する体調と心の波が、ブルー(憂鬱)なのでしょうか?
月経は女性の身体に与えられた身体のメッセージ。
身体の波に翻弄されるのではなく、波に乗り流れを読むきっかけとなる身体の声を聞き取る方法も、また、女性の身体の中に隠されているのではないでしょうか。
昔の女性に学ぶ、女性の身体が持つ力
「私」の内に、秘めた知恵
昔の女性のおてあては?
日本ではじめて「使い捨てナプキン」が製品化されたのは1960年代(昭和30年代後半)。ちょうど高度成長期で女性が社会に進出しはじめた時期と重なります。便利さと手軽さで多くの女性から支持を得たこの製品は、後には使い捨てナプキンの代名詞にもなったほど、社会的にも一大センセーションを巻き起こしました。
けれども長い日本の歴史から考えると、使い捨てナプキンが普及したのはつい最近のできごとです。また同じように、洋服やショーツを着用するようになったのもつい最近。
今でこそ吸収力抜群のナプキンとズボンで、「慌ただしく動き回っても、モレもズレもなくって安心!」な生活を送っている女性が多いですが、使い捨てナプキンや洋服が普及する以前の女性たちは、一体どうやって月経とお付き合いしていたのでしょうか?
和紙、木綿、絹、脱脂綿・・・時代や暮らし向きに合せて使われた素材は様々ですが、女性は昔から詰めたりあてたりして、おてあてをしていたといいます。
和装が普段着だった時代には今のような便利な下着もなく、ふんどし様の布で押えてあてものを固定していたのだとか。しかし身体を動かして立ち働く女性たちは、あてものではどうしてもモレやズレが避けられず、膣のほんの入り口に詰め物をしていたといいます。詰め物というと「タンポン」を連想しがちですが、実際には腹部にちょっと力をいれると月経血と一緒に排泄できてしまう程度の「軽い」フタだったようです。
使い捨てナプキンの便利さに慣れ、経血を流れるがまま排泄し、高い吸収力で受け止める処置を当然のように捉えている多くの現代女性にとっては、「軽くあてる」だけの方法で、本当に処置ができたのか、本当に大丈夫なのかと疑念を抱く以前に、まるで冗談のような話かもしれません。けれども歴史的に考えればほんのつい最近、3世代ほど前までは、膣口に軽くあてものをするだけで月経期間を過ごす女性たちもいたのです。
服装が変化し、生活様式が変化し。
技術の進歩にあわせ種々様々に移り変わっていく世界に、私たちの身体も「今」にあわせて変化してきました。与えられた環境への順応は、生き物がもつ素晴らしい能力のひとつであると同時に、とても自然で当たり前の営みではありますが、「順応」を繰り返す中で抜け落ちてしまったものもあります。
そのひとつが、「女性の身体に秘められた知恵」です。
意識を変える、がキーワード
身体の代謝にあわせて自然と尿意を催すように、本来は月経血も排泄のタイミングを感じ取れるものなのだといいます。排泄のタイミングを関知できる女性たちにとっては、膣口のあてものはいわば「保険」のようなもの。決して経血を吸い込むためのものではありません。そしてお手洗いは、「あてものを交換する場所」ではなく、「月経血を排泄する場所」でもありました。
月経血を溜め込んで、お手払いで排泄する。
とてもシンプルなこの方法は、女性が本来持つ「身体の知恵」のひとつであると考えられています。尿意を我慢するように月経血を溜めるので、いつもよりこまめにお手洗いに足を運ぶ必要はありますが、ムレやカブレの原因となる「肌面の濡れ」は軽減されます。なによりも、今までなりゆきに任せるしか無かった排血を、たとえわずかでも「自分の意志」をもって制御できるのであれば、心理的にも自由度が増すのではないでしょうか。
まずは意識を変えてみましょう。
自分の身体の内側へ。身体の声に耳を傾けて。
私たちの中には、「身体の知恵」が宿っています。
中心軸から「私」を見つめる
意識を身体の内側へ、「私」を見つめる目をもとう
生活の変化は、社会の変化でもあり、技術の変化でもあります。
近代の技術の進歩は、より深く、より広い世界への一歩となりましたが、結果、私たちの意識は外へ外へと向かっています。医療、科学、工業・・・様々な分野で、「プロフェッショナル」と呼ばれる人々が専門知識を蓄積し、社会構造が複雑になればなるほど役割分担は進みます。細分化され便利になったその反面、私たちは無意識のうちに、自分の身体そのものでさえ、外へ外へと依存する生活を送っているのかもしれません。
「身体の知恵」に耳を傾けることは、自分の身体の内側に意識を向けることからはじまります。
日々の変化に注意を払い、内なる声を聞き取る感受性を高めること。
外へ外へと引き出された意識を内へ内へと導いて、自分自身とじっくり向き合い、身体そのものを見つめ直すよう習慣づけてみましょう。好ましいと思う相手には自然と優しくなれるように、正面から向き合おうとする相手には、身体もより明瞭な声で語りかけ、一層明確なサインを送ります。日々繰り返し声を聞き、サインを読みといていくうちに、いつしか身体の変化に以前よりも敏感に反応する自分自身に出会えるかもしれません。
内へ内へと目を向けることは、同時に己の中心を掴むことでもあります。
身体の中心。
心の中心。
中心を掴むことは、ブレのない自分を掴むこと。
ブレのない自分は、自分自身の波を掴む土台でもあります。
そして自分が秘めた可能性や能力に、気がつくきっかけへと繋がるでしょう。
意識しよう、身体の中心!
丹田(たんでん)に力を込め、身体の中心をとおる一本の軸に沿うように背筋をすっと伸ばす。
身体の中心を意識すると、自然と姿勢が変わります。
武道にしても、バレエにしても、ヨガにしても、大切にするのは「中心」軸の考え方です。「体軸」と呼ばれたり、「センター」と呼ばれたり、「ニュートラルポジション」と呼ばれたりと様々ですが、中心軸は骨盤や身体そのものが前後左右均等にバランスを取れる1本のラインです。一番理解されやすい例が、背骨でしょうか。
背中の中心を物理的に一直線に貫く背骨(脊柱(せきちゅう))は、中心軸の概念にもっとも近い身体器官であり、はじめて「中心軸」の概念に触れた人々にとっては、意識を向けやすい器官でもあります。地球上に住まう生き物は等しく重力の影響下に置かれているわけですが、中心軸をもつことで、この重力すらも味方に付けることが可能となります。
つま先を軸に、身体を素早く何回も回転させるバレエダンサー。
相手が頭上に掲げた木の板を、跳躍し蹴り割る武道家。
肩や前腕を支えに逆立ちをし、何十分もブレないヨギー。
どれも中心軸がしっかりと保たれ、身体がリラックスしてはじめて可能となることです。
そしてこれらの人に共通した特質は、インナーマッスルと呼ばれる体幹部の筋肉「深層筋」が非常に強く保たれています。そして外尿道括約筋や外肛門括約筋などの骨盤底筋群も、強靱に中心軸を支えているのです。
身体の「中心軸」を据えた姿勢は、仙骨を引き下げると同ときに恥骨を引き上げ、背筋を天へとすっと引き上げ伸ばします。日々和装で過ごしていた時代には普通だったこの立ち居姿も、服装の移り変わりとともに日本人の生活から抜け落ちてしまったもののひとつです。
近代における和装から洋装への変化は、女性たちのより闊達な行動を可能にしましたが、同時に「中心軸」の存在を希薄にしました。また生活様式の変化は、日々の生活における足腰への負荷を軽減しました。
畳からフローリングへ、座布団や卓袱台から椅子やテーブルへ、布団からベッドへ。
現代の日本人は床面から離れて生活し、床の雑巾がけはもちろんのこと、昔は足腰や身体を使った作業に満たされていた洗濯や炊事も、飛躍的に楽で軽度な作業へと変化しました。
より利便性の高い道具が普及するに従い、生活様式が変化するに従い、日々の生活をとおし無意識のうちに鍛えられていた身体の様々なパーツは、便利さと引き替えるようにその強さを失ったとも考えられるかもしれません。
街を歩くと目に付く、猫背の人たち。
電車のホームや車内、その他様々な公共の場に、場所を問わず座り込む人たち。
時代の変化とともに「普通」の風景となりつつあるこれらの人の姿も、もしかすると生活洋式の変化と何らかの関わりがあるのではないでしょうか。
身体に中心軸を持つ和装の立ち居姿は、外尿道括約筋や外肛門括約筋などの骨盤底筋群にも自然と力が入る姿でもあります。そして、自然と力が入った骨盤底筋群が、身体の中心を支えます。
中心軸があるということは、身体が自然と緩むことでもあります。
身体の前後、左右、上下のバランスを整えて中心軸を確立すると、重力は軸を貫き身体を通り抜け、私たちの身体を柔らかく緩め解放してくれます。そしてよりコントロールしやすい身体へと導いてくれます。
「骨盤底筋群」を意識しよう
骨盤底筋群って?
骨盤の底で、内臓を下から支えている筋肉群が骨盤底筋群です。
骨盤底には筋肉だけではなく、靱帯や組織がハンモックのように膀胱や尿道、子宮、直腸などの下腹部にある臓器を、重力に引き下ろされないようにしっかりと支えています。その中でも、立ったときに内臓の重みを支えている筋肉群をまとめて「骨盤底筋群」と呼んでいます。この骨盤底筋群には、骨盤底に収まる臓器を支えるだけでなく、直腸の活動を助ける役割や、尿道や膣、肛門を引き締める役割も果たしています。
骨盤底筋群が弱ったり、靱帯や組織が弛緩・損傷したりすると、骨盤に収まる臓器が下垂してしまうことがあります。生まれつきの体質や加齢、便秘、肥満など、骨盤底の機能が脆弱になる要因は様々あるようですが、特に女性は妊娠・出産により骨盤底筋群に無理な力がかかる可能性が高いといわれます。骨盤底筋群が脆弱になると、尿道を引き締める力も弱くなり尿漏れが起こることがあります。くしゃみや咳、力むなどして腹部に力が入ったときに尿が漏れる腹圧性尿失禁(ふくあつせいにょうしっきん)も、この骨盤底筋群の弱まりが原因として考えられます。また子宮が膣の方へと垂れ下がる子宮下垂や、体外へ飛び出てしまう子宮脱も、骨盤底筋の損傷や緩みが原因のひとつとして挙げられています。
キーワードはひし形?
「骨盤底といわれてもイメージできない!」
もしそう思った方がいたとしても、問題ありません。
自分の身体でありながら、「未知」と「謎」に満ちているのが私たち人間の身体ですから、これを機会に簡単にイメージできる方法を身につけてみましょう。
まずは、ひし形を頭に思い浮かべます。
大きかったり、小さかったり。人によってイメージする大きさも違うでしょう。
思い浮かべたひし形を、自分の手のひら程度の長さに調整し、それをそのまま膣の入り口が中心になるよう会陰(えいん)のあたりへ移動させましょう。
このひし形が、骨盤底筋群の「ハンモック」です。
実際には、前後は恥骨から尾骨まで、左右は両座骨の端が、骨盤底の位置の目安です。
この部分にある筋肉を、骨盤底筋群と呼びます。
骨盤底筋群を感じてみよう!
ひし形がイメージできたら、おしっこやおならを我慢するときのようにちょっと力を込めてみましょう。
骨盤底筋群は、まさに尿道や肛門、膣に関わる筋肉ですから、「我慢する」は同ときに骨盤底筋群を感じる方法のひとつでもあります。
女性の場合は、ひし形の中心を身体の中心に向けて垂直に引き上げるイメージを描いてみましょう。4つの頂点に結びつけた2本の糸が、交差している「中心点」をつまみ上げるイメージでもいいかもしれません。つまみ上げるイメージを音で表現するなら、「きゅーっ」でしょうか。音も一緒にイメージすると、骨盤底筋群もより感じやすくなりませんか?
骨盤底筋群を感じられるようになったら、次は意識してみましょう。
締める、緩める。
単純な意識の切り替えを日に何度か、毎日続けているだけでも、始めたばかりの頃よりはずっと簡単に骨盤底筋群の動きを感じられるようになるでしょう。
最初は5~10秒程度、締めて、緩めて・・・を繰り返してみましょう。
外からは見えませんが、骨盤底筋群はとても大切な部分です。
大切な部分を意識することで、「私」の中のなにかが変わるかもしれません。
骨盤底筋群を意識する3Q(キュウー)体操
骨盤底筋群を意識するには、こんなやり方もあります。
立って、座って、寝転んで。
どんなときにでもできる簡単体操だから、「ながら」で十分。
テレビを見ながら、片付けをしながら、電車やバスに乗りながら。
気づいたときに、気が向いたときに、たとえわずかなとき間でも、積み重ねから生まれるのが変化です。
- 立って行なうとき(PDF)
- 座って行なうとき/寝て行なうとき(PDF)
変える、変わろう、変えてみよう
時代がうつり、技術が変化し、多くの「あったらいいな」が身近になった現代は、より早く、より便利になったと同時に、より「自由」になったと感じる人も多いでしょう。確かに箒で畳を掃き清め、雑巾で拭き掃除をし、かまどでご飯を炊き、徒歩で移動する生活から比べると、どの仕事もうんと時間も短縮されて楽ちんで、得られた時間は「自分がやりたいこと」へと費やせるようにはなりました。その反面、本来の「自律/自立」した生き物としての本質は、私たちから少しずつ遠ざかっているのかもしれません。
生活環境が変化すると、必要がなくなった「能力」は身体の奥へと身を潜めます。けれど「失われた」わけではありません。日々の営みの中では気がつかない、どこか奥深くに確かに存在しています。例えば、なにかのきっかけで。例えば、日々の繰り返しの中で。何がきっかけになるかは定かではありませんが、まずは「意識」してみましょう。そして意識を変えてみましょう。
私たちの身体の中には、素晴らしい能力が宿っています。
それは、刻一刻と変化していく時代の中で忘れられた「身体が本来持つ力」です。
身体と心は相関関係にあるといいます。身体が不調であると、心も曇りがち。心が萎縮すると、身体もどこか不調です。人の身体は複雑で、「身体が先か、心が先か」の問いに対して、明確な答えがないのが真実ですが、自信がなく心が負けそうになったときに、丸まった背中を伸ばし、伏し目がちな視線を意識して上に持ち上げるだけでも、気持ちの向かう方向が少し変わるのもまた事実です。
身体の中心は、心の中心。
かたちのない「心」の中心を掴むのは難しいですが、物質としてそこにある「身体」の中心ならより身近です。目に見える「物質」である身体を意識し、身体の変化を感じることができたなら、その変化はやがて心の変化へと繋がっていくかもしれません。そして、私たちの身体の中に「秘められた知恵」を目覚めさせるきっかけにも繋がっていくかもしれません。
胞衣(えな)、いのちの礎
子宮に宿る、いのちの礎
後産で産み落とされる「さい帯」(へその緒)や「胎盤」は胞衣(えな)と呼ばれ、280日間にわたり胎児に酸素や栄養を与えて養い守る生命誕生の礎です。
遙か昔、胞衣(えな)は、汚れたものとみなされる一方で、新生児の分身ともいえる神秘的なものとも考えられてきました。相反する価値観は戸惑いを生みます。その結果が、各地に残る信仰や伝承です。日本百名山のひとつとして知られる「恵那山」もまた、その名前を「天照大神の胞衣(えな)が埋められた」場所であるとする伝説に由来するものです。
平安時代には胞衣(えな)を壺にいれ、生まれた子供が元気に育つようにと願いを込めて、住居の近くに埋めたといいます。各地の遺跡から、ときには銅銭などの副葬品と共に発見されるこれらの胞衣壺からも、なにか神聖で犯しがたいものとして丁重に取り扱われていた様子がうかがえます。岡崎城跡には家康公の、南魚沼の樺沢城跡には上杉景勝公の胞衣塚(えなづか)が残るように、全国各地に残る胞衣塚からは、平安時代以降も依然として胞衣(えな)が何らかの畏怖の対象であったのではないかと推測されます。
受精卵が着床するとともに形成されていく胎盤は、母胎に対して妊娠を継続するための各種ホルモンを分泌すると同時に、酸素と栄養素を母胎から胎児へ、老廃物を胎児から母体へと運ぶ重要な役割を担っています。最新の医学をもっても、妊娠22週以前の胎児が母胎の外でいのちを繋ぐのは難しいといわれるように、胎盤はまさに胎児にとってのいのちの礎であると考えられるでしょう。
医学が進歩し、胞衣(えな)が単なる「得体の知れない畏怖の対象」ではなくなった今でもなお、胎児を育む母体とその母胎に与えられたいのちの礎は、神秘的で愛おしいものであることには変わりはありません。
女性の営み、いのちの礎
新しいいのちを育む礎は、子宮に宿ります。
初潮がはじまってから閉経するまでの間、おおよそ28日周期で訪れる月経は、新しいいのちを育むための身体の営みでもあります。女性と切り離しては考えられないこの身体の営みも、身体がいのちの連鎖を守るために「生まれ変わる」月に一度の神秘的な儀式であるともいえないでしょうか。
女性の秘めた力を取り戻し身体の波を感じ始めると、心のあり方が変化します。
「勝手」に起きているだけの身体の営みに流されていては「無力感」と「諦念」が募るだけですが、周期や傾向を読み取れるようになれば「心構え」と「対策」をもって「受け止め」られるようにもなるでしょう。
排卵から月経開始までの間に、月経前症候群(PMS)としてひとくくりにされる種々様々な身体・精神面での症状に悩んでいる女性たちにとっては、「無責任な!」と憤慨したくなる考え方かもしれません。しかし、症状のつらさに流されて「嫌だ、痛い、無くなってしまえ」と思い続けていたのでは、その思いに引きずられ一層つらく鬱陶しいものになってしまいはしないでしょうか?
リラックスする、睡眠をいつもよりたっぷりとる、ゆっくりとお風呂にはいる。
月経前の過ごし方を工夫すると共に、意識を変えてみる。
それだけでも、なにかが変わったりはしないでしょうか。
月経は、次の世代にいのちを繋ぐかけがえのない身体の営みです。
そして私たちの身体には、その営みを楽しむことができる「潜在能力」があるのです。
Ena(えな)で変える、Ena(えな)で変わる
ひし形は骨盤底筋群のかたちです。会陰(えいん)部にあるひし形は、実際にそこに目安があれば、よりイメージしやすくなります。
Ena(えな)のひし形は、骨盤底筋群の形状を示した型紙です。実際に会陰(えいん)部にあたるひし形が、骨盤底筋群のかたちを目に見える、よりイメージしやすいものへと変えてくれます。
Ena(えな)を使うと、また別の意識も生まれます。
それは「汚したくない、汚せない」という、無意識の緊張感。
超薄型で防水布も使っていないEna(えな)は、「たっぷり」「しっかり」吸収する「吸収体」の役割ではなく、意識を変化させる「きっかけ」の役割を担っています。骨盤底筋群を意識すること、そして「排経」を意識すること。どうしても募ってしまう緊張感は、優しい自然の色合いで緩和しましょう。大地と空が育んだ植物の柔らかな色合いは、「自然」がもつパワーと共に、心の奥からサポートしてくれます。
最初から上手くできなくて当たり前です。
まずは気持ちを変えること。
Ena(えな)は、新しい一歩を踏み出すひとつのきっかけです。
自然からのおくりもの、「草木染め」
主に植物の葉や茎、根、実などを煮出した液で、繊維を染める草木染め。
化学染料がもつ鮮やかさはありませんが、身近な植物が意外な色合いを醸し出したり、同じ植物が季節によって異なる色合いを生み出したりと、草木染めの世界は無限に広がります。
大地と天に育まれる草木に宿る力は、また大地と天の力です。
「私」に秘められた「知恵」を引き出すために、柔らかだけれど力強い草木の力を借りましょう。
古くから世界各地で栽培されてきた紅花。古名は末摘花(すえつむはな)やくれない、英語ではサフラワーと呼ばれます。繊維の種類や染液の濃度、媒染料剤の種類などによっても異なりますが、ベニバナで染めるとピンク色から濃い紅色に染まります。
油や染料など多くの用途で使われるこの植物は、第12期王朝頃の遺跡からベニバナで染めたとみられる織物が発見されているなど、古代のエジプトでは既に染料として活用されていた様子がうかがえます。日本への伝来時期は4世紀から6世紀まで諸説ありますが、シルクロードを経由して伝わったといわれており、平安時代には日本でも栽培されていたようです。源氏物語に登場する赤い鼻の姫君「末摘花」も、ベニバナに由来した名前といわれますし、万葉集にも夏の季語として「くれない」が登場するなど、長きにわたって日本人にとって身近な植物であった様子がうかがえます。
中国では紅花(こうか)と呼ばれ、古くから血液の流れを改善する生薬として乾燥させたベニバナが用いられてきました。現代でも、女性特有の悩みや打撲などの外傷に用いられていますし、少量のベニバナを食用にすると「養血美肌」の作用があるとされ中国薬膳でも頻繁に登場します。
バラ科の植物であるびわは、中国原産といわれますが、日本でも関東地方以西で古くから生育していた植物です。染料として使うと、繊維の種類など条件によって、桜色のような薄いピンクからスモークピンク、深い赤茶色まで様々な表情を見せます。
仏教の経典のひとつ「大般涅槃経」(だいはつねはんぎょう)の中では、びわの木は「大薬王樹」(だいやくおうじゅ)、びわの葉は「無憂扇」(むゆうせん)と呼ばれ、生物の万病を癒す力をもつ植物であると書かれています。ビワは葉・樹皮・種を薬用とし、日本でも古来より民間療法の妙薬として用いられてきました。びわの葉を使ったお茶やびわ灸、浴湯剤、化粧水など、今でも残るものは多くあります。特にびわの葉は、炎症を抑え、咳を鎮める作用があるとされ、生薬として用いられています。
草木の芽吹く春一番に、芽を出すよもぎは野性味溢れる独特の香りをもった大地の恵みです。日本各地で山野や道ばたに群生しており、染料として用いると媒染料剤や染める繊維にあわせて、淡いベージュやカーキなど幅広く複数の色合いを生み出します。
よもぎには邪気を払う力があるとされ、日本では3月には葉を搗きこんだ「蓬餅」(よもぎもち)を食べたり、端午の節句には菖蒲と一緒に束ねて軒先に吊したりする風習が残っています。また中国や韓国でもよもぎには霊力があるとされ、よもぎを食した動物が人に転じる故事が残るなど、古くから人の身近に存在した植物である様子がうかがえます。食養では、よもぎには寒気を払う、傷みを止める、女性の腹部を温める、湿疹を納め痒みを鎮めるなど様々な力があるといわれます。また中国漢方においては、よもぎの葉を「艾葉」(がいよう)と呼び、特に女性特有の問題に使用されたり、「胎児を鎮める」作用をもつと妊娠に関わる悩みに処方されたりと、女性と縁の深い生薬でもあります。
ハート型の四枚葉をもつあかねは、中国・朝鮮半島・日本に分布する多年生植物で、日本では北海道以南の林や道ばたに自生しています。乾燥した根は赤黄色をしており、「あかね」という名前はこの根の色「赤根」に由来するといわれています。染料として用いると、灰汁の濃度や繊維の種類などによって、黄色から「あかね空」のような美しい緋色(ひいろ)が現れます。
中国に現存する最古の本草書といわれる「神農本草経」(しんのうほんぞうきょう)には、「茜草根」(せいそうこん)という名であかねが記されており、血の滞りを改善したり、過剰な出血を止めたりと、止血・浄血に用いる生薬であると説明されています。
「神農本草経」とは、「医薬品として使う」ことを主眼において、自然界にある動物や植物、岩石、鉱物などを分類した百科事典のようなものであり、「漢方薬のカタログ」ともいえる書籍です。
草木染め製品のお手入れについて
草木染めは、天然素材でしか味わえない微妙な色の変化や移り変わりを楽しんで頂けます。
柔らかな色合いを長く楽しんで頂くため、ご購入後は下記の点にご留意のうえお手入れしてください。
- 最初の1~2回は色落ちする可能性がございますので、他のお洗濯ものとは分けてお手入れしてください。
- お洗濯の際は中性洗剤やせっけんで手洗いしてください。
水洗いが望ましいですが、汚れが気になる場合は人肌よりも低い温度のぬるま湯で洗ってください。熱いお湯は、色落ちの恐れがあります。 - お洗濯後はできるだけ衣料の形を整え、陰干ししてください。