宮古ビデンス・ピローサ取材レポート
「宮古ビデンス・ピローサ」の研究・製品開発を行っている「うるばな宮古」さんを訪れました。
レポーター河村が見た宮古島の宮古ビデンス・ピローサ
さんご礁に浮かぶ宝の島
レポーター河村、今回の訪問先はなんと南国宮古島です!この地で「宮古ビデンス・ピローサ」の研究・製品開発を行っている「むさしのイミュニティーグループ」うるばな宮古さんを訪れました。
「宮古島」ってとにかく魅力的な響きです。沖縄本島には行ったことがありますが、それより南は憧れの地にとどまっていた私にとって、今回の訪問は仕事ながらきらきらに輝くイベントでありました。
訪れたのは12月のまっただ中。京都では底冷えのする厳しい寒さが続く頃です。ところが宮古島についた瞬間、「あったか~い!」。ところどころのクリスマスイルミネーションがなんだか不思議な感じです。島を囲むエメラルドグリーンの海、さんご礁、イメージ通りの明るい美しさが広がっています。
宮古島空港にてうるばな宮古の砂川さん、平良さんのお二人にお迎えいただき、まずは吉田社長はじめ皆さんとお食事をしながらお話を、ということになりました。
宮古島での出会い
ビデンス・ピローサ、元気に茂ってい
ます。その生命力とは裏腹に白い花は
可憐です。
お店に入ると、皆さんが温かく迎えてくれました。吉田社長は、温かさの中にインパクトのある方です。これは深いお話が聞けそうだと期待も高まります。
吉田社長はもともと経済関係の仕事をしていたそうですが、40歳を機に、医学を志して独学で勉強を始められたそうです。そして世界中を回る中で、たまたま宮古島に出会いがあり、ビデンス・ピローサの生命力とそこに秘められたエネルギー、宮古島という土地の可能性に惹かれて、今の事業が始まりました。
事業を始めるにあたっては、さまざまな研究を行いデータを蓄積し、また各方面の人脈をつないで、大学の先生やお医者さんなど、一人だけでなく複数の立場から検証を重ねていきました。それは今でも貫かれているやり方です。
宮古ビデンス・ピローサの栽培・収穫・製品化は、データに基づき、いつ何をするのがより良い製品を作るのか、細かなタイミングを逃さずに行われています。天然のものを扱う際の難しいことのひとつに、品質のばらつきがあるのですが、それをなくすためにも研究とデータが活用されています。気候の問題などで基準をクリアする品質のものが育たなかった場合は、生産者さんから買い上げはしますが、製品を作ることはしないそうです。その上で、供給がストップしないよう考えて在庫の管理もされています。これはとても苦しいことなのですが、ここまでするからこそ、本当に安心して製品を使うことができるのです。
製品の安心・安全と並んで吉田社長が大切にしているのが、宮古島の地域興しです。宮古島でこれまで主流の産業は、サトウキビや葉タバコ栽培、また公共事業頼みなところもあります。これらと違う宮古ビデンス・ピローサ栽培は、環境に負荷をかけず、宮古島だからこそできる他には真似できないものであり、宮古島の人が主体となって自立して行うことができます。
そのためにも、うるばな宮古さんの事業活動には、地元の方もしっかりと参加しています。吉田社長と地元の方の付き合いも長く、揺るがない信頼関係が築かれていることがうかがえます。今回はありがたいことにお話を聞くことができましたが、基本的には吉田社長は前に出ず、あくまでも宮古島の地域興しが成るよう、次世代に繋げるよう、支える役に徹して動いているそうです。
吉田社長が思い描いているのが、宮古島をユートピアにすること。今でも宮古島の美しい自然はユートピアそのものと思わせるものですが、開発が注目される楽園ならではの様々な問題も抱えており、それが自然を損なうことにもつながっています。けれども宮古ビデンス・ピローサの栽培は、確かに、それを解決する新しい道になるのではないかと思います。吉田社長にとって、宮古島との出会いは偶然のようで偶然でない、必然、あるべくしてあったものであるようです。
お話の中で特に印象に残ったのは、「明日があると思うな」ということです。明日があると思うから怠ける心がでる、ずるいことをする、けれども明日がないという心持ちで物事にあたれば、常にまっすぐに正直に生きることができる。その信念がまさに宮古ビデンス・ピローサ栽培に表れているように思います。
土地選びから始まる徹底したこだわり
翌朝、ホテルの窓からは感動的な朝日を眺めることができました。なんだか幸先良い感じです。
この日はまず、宮古ビデンス・ピローサの苗を栽培している畑に案内してもらいました。広々と開放的な大地、宮古島には山がなく、平らな島であるため、風も強く吹きます。風力発電の風車も見えました。
まず畑を作るにも、畑自体だけでなく、周りからの影響も考慮に入れて土地を見定めます。たとえば、農薬を使うことの多い葉タバコの畑、また畜産場なども近くにないよう気をつけます。畜産は一見関係がないように思えますが、今の畜産はホルモン注射や、飼料には海外産のものや農薬で栽培されたものが使われるため、その牛馬の糞尿が排出されることで、周りの畑にも影響を与える可能性があるそうです。とはいえ宮古島では葉タバコの栽培や畜産は主流の産業であるため、それを避けるとなると土地選びも限定されてきます。
風の強い日には勢いよく回っています。
見落としてしまいそうな小さな双葉。
工場長代理を務める安仁屋さん
宮古ビデンス・ピローサは農薬や肥料を投入せずに栽培されます。土地の調整には緑肥を使い、収穫が終わると、豆科植物を育て、その後畑にすき込んでいきます。これを二回行います。一回でも十分なのですが、二回行うことで、さらに確実に土地の余分な栄養を吸収させ、土地の活力を十二分に引き出すことができるそうです。そうして土地が整った頃に、また次の栽培が始まります。生産者の方々は一年中フル稼働で畑と向き合っていきます。
農薬や化学肥料を使うことが当たり前になっていた農家さんの場合、作物の育ちが悪いと、悪気はなくつい農薬や化学肥料を使ってしまうこともあったそうです。万が一そのような原料、その疑いのある原料が混ざったときには、製品はすべて破棄、焼却処分されます。苦しい辛い決断ですが、製品の安全性を保つため、徹底して行われます。そこを理解してもらうため、毎月生産者の協議会を開き、意識の共有にも努められています。
説明をしてくれる安仁屋さん。
畑の未来が広がります。
実際、道ばたに生えているビデンス・ピローサと、きちんと管理栽培された宮古ビデンス・ピローサとでは、見た目こそ似ていますが、中身はまったく違います。道ばたのビデンス・ピローサは畑のものより葉の緑が濃いのですが、これは余計なものが溜まってしまっているから。葉をかじってみると、道ばたのものはえぐみのような味が残ります。一方畑で栽培されたものは、すっきりとした草の味がします。「食べ比べてみますか?」といわれおそるおそる葉を食べ比べてみたのですが、本当にはっきりと味が違いました。ちなみにこのビデンス・ピローサ、それほど頻繁にではありませんが、お料理にも使われることがあるそうです。
安仁屋さんと砂川さん。
出来を真剣に確かめます。
また、葉を水につけておくと、道ばたのビデンス・ピローサはそのうち腐って溶けてしまいますが、畑のものはかなり長い間形を保っているそうです。それだけ生命力も違います。さらに、根っこを観察してみると、道ばたのビデンス・ピローサの根は、中身がスポンジ状ですかすかになっているのですが、畑のものはぎっしりつまった根をしています。あげればきりがありませんが、つまりはそれだけ徹底して品質が保たれているというわけです。
この宮古ビデンス・ピローサ、宮古島の地域興しを担った植物なのですが、実は海外から持ち込まれた種といわれています。畑を熱く案内してくれた工場長代理の安仁屋さんは、入社する前は、「外来種を扱うとは何事だ」と反対の立場だったそうです。ところが吉田社長と出会って話を聞き、宮古ビデンス・ピローサの畑を自分の目で見、考えが変わっていったのだとか。ビデンス・ピローサは確かに外来種、けれども放置しておけば嫌われものの雑草で、除草剤を使っても駆除しきれない、それを有効活用できれば、環境も汚さない、人の役に立つ、経済性もあり、公共事業頼みの宮古島が変われる、そんな可能性を生んでくれるのです。安仁屋さんは、宮古ビデンス・ピローサと出会い、反対するだけでは無責任、反対をするなら代替案を持ち双方が苦しまない道を作らなければいけない、そんな風に考えるようになったのだとか。
宮古島でも農業の高齢化は進んでいますが、組合には若者も何名か入り、宮古ビデンス・ピローサの栽培を希望する人も増えてきているようです。宮古ビデンス・ピローサの今後、宮古島の今後が楽しみです。
生産者さんのおかげ
苗畑を見せてもらった後、今度はうるばな宮古の皆さんから「盛三郎さん」と気さくに呼ばれる、宮古ビデンス・ピローサのベテラン生産者さんの畑に案内してもらいました。畑に着いたところ、トラクターに乗って作業中の様子。日々丁寧に畑のお世話をされているようで、素人目にも畑の整った感じが分かります。
さっそくお話をということで、資料を準備してくださっていた盛三郎さん。宮古ビデンス・ピローサ関連の新聞記事の切り抜きから各種資料まで、豊富に用意されています。この仕事に対する愛情が伝わってきます。
まず畑を作るにも、畑自体だけでなく、周りからの影響も考慮に入れて土地を見定めます。たとえば、農薬を使うことの多い葉タバコの畑、また畜産場なども近くにないよう気をつけます。畜産は一見関係がないように思えますが、今の畜産はホルモン注射や、飼料には海外産のものや農薬で栽培されたものが使われるため、その牛馬の糞尿が排出されることで、周りの畑にも影響を与える可能性があるそうです。とはいえ宮古島では葉タバコの栽培や畜産は主流の産業であるため、それを避けるとなると土地選びも限定されてきます。
宮古島の青空の下、整えられた畑が美しく広がります。
盛三郎さんのトラクターから資料が出てきました!
宮古ビデンス・ピローサの花。
花びらが八枚以上のものを育てています。
盛三郎さんはもともと農業をやっていたわけではなく、先輩がビデンス・ピローサ栽培をしていたことから、定年前に次の仕事として始めたそうです。農業の人ではなかった分、逆に、農薬や化学肥料を与えず、徹底した管理の宮古ビデンス・ピローサ栽培のやり方も受け入れやすかったそう。とはいえこだわりの宮古ビデンス・ピローサ、栽培はそう簡単にはいきません。一番大変なのは雑草を抜くことと刈り取り。雑草が混ざったまま刈り取りをしてしまうと、製品化の際、雑草を取り除くために大きく手間がかかってしまいます。そのため、栽培の段階でこまめに雑草を抜いておくのですが、当然除草剤は使わないので、ひとつひとつ手作業になります。他にも、石を取り除いたり、周りの畑の農家さんにも、農薬の影響が及ばないよう気をつけてもらったりと、注意することはたくさんあります。それでも盛三郎さんは情熱をもって宮古ビデンス・ピローサ栽培を続け、「これ命かけていますから」との言葉。その証拠にその畑はどこよりも手入れが行き届いています。
穏やかになる笑顔です。
栽培への愛情が伝わってきます。
宮古島ではサトウキビ栽培が主流なのですが、サトウキビ栽培は農薬や肥料などを活用して行われます。そのため、こだわりの栽培は、周囲の人からはなかなか理解してもらえないそうです。けれども、これはただの草じゃない、とても繊細な製品になるものだからと、それを押し付けるわけではなく穏やかに、根気強く説明されている盛三郎さん。その姿勢にビデンス・ピローサたちも応えてくれている気がします。
誰よりも宮古ビデンス・ピローサの
歴史をご存じかもしれません。
新聞記事にもなっているように、宮古ビデンス・ピローサ栽培は、見学や体験などの会も開いています。そんなとき、土を触ったこともないような子どもが、親子で活き活きと畑に触れてくれるのを見ると、とても嬉しくやりがいになるのだそうです。また、製品の販売者の方も訪れて、製品を買ったお客さまの声などを伝えてくれるそうで、その喜びの声にも励まされるそうです。生産から製造、販売、それぞれが分断されるでなく、円く手を取り合っていることがうかがえます。
うるばな宮古さんとしても、いくら研究や製造にこだわっても、そもそもの栽培がきちんと行われていなければ意味がなくなるため、盛三郎さんのような理解と情熱のある生産者さんは本当にありがたいのだとか。本当にたくさんの人の想いのおかげで、宮古ビデンス・ピローサ製品はできあがっているようです。
宮古ビデンス・ピローサのつよみ
吉田社長と弊社山下。熱いお話が聞けます。
畑を回った後は、うるばな宮古さんの事務所にて再び吉田社長にお話を聞く機会に恵まれました。
畑でもお聞きしたことですが、宮古ビデンス・ピローサの栽培は農薬や化学肥料を使わないことなど、管理を徹底しています。そのために毎月生産者協議会を開き、毎回三十名ほどの生産者の方が集まり、真剣に話し合いをします。
これも宮古島だからこそできること、と吉田社長はいいます。
宮古島の土壌。
石のようなさんごの岩盤が基です。
まず土壌的には、研究を重ねた結果、宮古島の土壌は余所と比べてずっとビデンス・ピローサの栽培に適していること分かっています。宮古島の土壌は、サンゴと黄砂が混ざったもので、石も多く、少し掘るとサンゴの岩盤に行き当たります。豊かな土壌といった感じではありませんが、だからこそ適するという場合もあります。その土地に合わない植物を無理に育てるから農薬や化学肥料などの手を加えることが必要になるのであって、その土地に合った植物を育てれば、自然に育てることができる、というのが吉田社長の考えです。だからこそ宮古ビデンス・ピローサは、土地のエネルギーをしっかりと吸収し、生命力たくましく育ち、それが製品となり人間の体にもエネルギーを与えてくれます。
記念写真をぱちり。
宮古島らしく皆さん明るい笑顔です。
宮古島のための事業、それを実現させるのが、うるばな宮古さんはじめ「むさしのイミュニティーグループ」が、ノウハウ集団であるということです。長年多くの研究を重ね、そのデータ、技術を特許により守っています。他には真似できず、かつ、自分たちだけでさまざまな要望に応えることができます。利益のためでなく地域のため。そして企業優先、人間優先ではなく、他の生き物、植物を大切にする、という姿勢。それがベースにあるからこそ、この事業は偏ることなく循環しているようです。
こだわりの製品を送り出す場所
事務所を訪れました。実は仮設中です。
吉田社長にお話をうかがった後、事務所に併設されている工場を見せていただきました。大きな規模ではありませんが、全国に出荷するだけの製造をまかなっており、管理も行き届いています。
収穫された宮古ビデンス・ピローサは、二時間以内に工場へ運ばれ、洗浄、裁断、蒸しの工程に回されます。宮古ビデンス・ピローサはとても生命力が強いため、素早い処理が必要とされます。以前収穫した後陰干しをしていたところ、ビデンス・ピローサが危機を感じてすぐに種をつけてしまい、せっかくの成分が失われてしまったことがあったそうです。
まず洗浄ですが、第一洗浄と第二洗浄があり、第一では泥などを落とし、第二で雑草などをより分けます。製品の品質を保つため、雑草など異物は徹底的に取り除いていきますが、量が多いと非常に手間がかかるため、生産者さんたちの協力が必要です。このようなことも毎月の生産者協議会で共有し、注意も促します。洗浄された宮古ビデンス・ピローサは蒸した後、乾燥させます。この工程では工場内はとても高温になり、体力をかなり消耗します。蒸しから乾燥へと原料を移す際には、クレーンを操作するのですが、この操作にもコツが要り、熟練の技術が必要となるそうです。また、蒸しの工程では、原料をほぐして空気を含ませるのですが、空気の入り具合いによって蒸しあがりが違ってくるそうで、とにかく手を使って、丁寧に繊細に製造が進んでいきます。
宮古ビデンス・ピローサを使って製品を作っていくこの工程は、吉田社長の話にもあったように、特許を取られているそうで、それにより他では真似できない、宮古島ならではの製品が守られています。そのベースにはまず地域興しがあり、どんなに人や環境に優しいものを作っても、安く流されてしまうと結果的に人も環境も守れない、地域に貢献できなくなる、そんな想いがあります。だからこそ、宮古ビデンス・ピローサは、生産者から製造、販売、お客さままで、関わるすべての人に喜ばれるものとなっているようです。
また来たいところ
また来たいな~。山下と河村です。
宮古ビデンス・ピローサが栽培され製品となる過程を見させていただき、お話をうかがい、さらに宮古島の良さをと、砂川さん、平良さんのお二人には、宮古島とその周辺の各所を案内してもらいました。
とにかくどこに行っても感嘆の声の連続。自然の豊かさ、宝の島だということが実感できます。宮古島でも開発が進んできてはいるのですが、そうではない宮古島らしい生き方として、宮古ビデンス・ピローサは本当に大きな可能性を秘めていると感じます。
おそらくこれは宮古島を訪れると一番はっきりと触れることができきる感覚なのですが、実際に訪れることができなくても、そのエネルビーを運んでくれる宮古ビデンス・ピローサ製品が、少しでも皆さまのお役に立てますよう願っております。
直接お話しを聞かせていただきました
宮古BPの栽培農家 友利盛三郎さんにインタビュー
南の島から、みんなの幸せを願う
昨年の12月、宮古ビデンス・ピローサ(以下、宮古BP)製品を製造する沖縄県宮古島のうるばな宮古さんを訪問した際に、原料の栽培農家さんにもお会いすることができました。皆さんから「盛さん、盛さん」と親しみを込めて呼ばれている友利盛三郎さんは、定年前は地元の学校にお勤めだったそうですが、現在は、うるばな宮古さんからも絶大なる信頼を置かれ、第一線で活躍する農家さんです。そんな盛さんが宮古BPにかける想いを、今回はご紹介いたします。
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「老後は畑でも耕そう」と漠然と考えていた私は、宮古BPの栽培農家を募集していることを知って、「これだ!」と思いました。うるばな宮古さんの活動は、新聞記事や地元放送のニュースなどで目にしていましたし、すでに栽培を始めていた数軒の農家のなかに私の先輩がいたこともあって、その取り組みについてはいろいろと聞いていました。
島民が「むつうさ」と呼ぶビデンスピローサは、島中の至る処で見かける野草です。どれだけ踏まれても起きあがってくる嫌われ者の雑草ですが、そのたくましい生命力に可能性を見いだして製品化した、うるばな宮古・吉田社長の着眼点のすばらしさには非常に関心していたのです。
ビデンスピローサにもたくさんの種類があり、健康効果が期待できるものは8枚以上の花びらをもつ種類だと言われます。さらに吉田社長からは、世界各地のビデンスピローサを調査した結果、宮古島のものが一番すぐれていたと聞かされました。
こうして私は土地を耕し、宮古BPの栽培農家として第二の人生をスタートしました。一番大変なのは除草作業です。刈り取り時に雑草が混ざると製品化の際に大変な手間がかかるため、小さな雑草でも常に取り除くようしています。あとは、水を切らすとすぐにしおれてしまうので、いつもたっぷりの水をあげることですね。
当初は、「雑草を栽培するなんて」と呆れられたものです。「うちの近くにいっぱいあるからあげようか」と言われることもありました。そのたびに私は、「皆さんの健康を守る製品になる特殊な作物を育てているんだ」と説明してきました。
ほかの農業を知らない私にとっては、うるばな宮古さんの指導に従うことは難しいことではありませんでしたが、サトウキビや葉タバコなどから転作した農家は、方針を理解するまで2~3年はかかったんじゃないでしょうか。長年慣行農業をしてきた彼らは、手入れや発育にちょっとした支障が出るたびに、「農薬や化学肥料をなぜ使ってはいけないのか?」という疑問が生じるわけです。化学肥料を与えれば簡単に育つものを、緑肥をすぎこんで土を肥やすように指導され、中には「やっぱりキビ作のほうが気楽だ」と、途中で挫折する農家もあったようです。
たとえ手間はかかっても、長年の研究の末にたどり着いた今の農法でなくてはだめなんです。製品に最大限の効果をもたせるために、当初は会社も厳しくならざるをえませんでしたが、今ではみんなしっかりと理解してくれていて、非常によい環境で栽培できています。
販売店さんには安心して販売してもらいたいし、お客様には安心して使ってもらいたい。そのために私たち生産者は、あらゆることに気を遣って丁寧に栽培する必要があります。近隣農家にも声を掛けて、農薬散布には十分な配慮をお願いしています。そういった理解が得られるようになったのも、宮古BPが島興しを担う産業として認められつつあるからこそでしょう。
私自身、宮古BPの栽培に命をかけていますよ(笑)。もしもキビ作をしていたら、「キビに命かけてます」とは言えなかったはずです。宮古BPとの出会いはほんとうにありがたいですし、皆さんが元気で幸せになってくれることを願いながら、日々楽しく取り組んでいます。
宮古BPに関する新聞記事をずっとスクラップし続けている盛さん。その量はもしかするとうるばな宮古さん以上?と思われるほどです。「歴史を一緒に歩んでいる実感があるから、とことん打ち込める」と、宮古BPの歴史のファイリングも楽しみのひとつだそうですが、何よりも、宮古BP製品がいろいろな方々の健康に大きく役立っているという内容の記事を目にするときが最高に幸せだそうです。
盛さんは、宮古ビデンスピローサの研究成果が発表されるシンポジウムにも積極的に参加しています。ちなみに、シンポジウム後の大学の先生方を交えた会談の場では、講演では聞けなかった裏話も知ることができ、「この製品はほんとうにすごい!」と実感したとのこと。
それは、どれだけ優秀な研究者であれ、研究材料が安定したものでないと、正しい研究結果は得られないという話でした。その点において宮古BPは、他に類を見ないほど品質にばらつきがなく、一貫してすばらしい結果がでるのだそうです。宮古島という限られた土地で、特定の生産方法をしっかりと遵守して栽培していることが、宮古BPの安定した品質に大きく貢献しているのでしょう。
宮古島の地元放送局の取材を受けることもあるという盛さん。島の皆さんから、「テレビ見たよ~」と声をかけられるたびに、「またお茶も買ってね!」とちゃっかり宮古BPを宣伝しているそうです(笑)。
らくなちゅらる通信vol.43
『突撃隊長が行く!』より