天然植物100%入浴剤・古都の湯
乾燥肌・あせもや敏感肌にもおすすめできます。
中川が自信をもってお勧めします。
すばらしい古都・京都生まれの入浴剤
合成の着色料、防腐剤、香料は一切使用していません。
その上漢方薬湯とは思えないさわやかな香りと入浴感。プレマの密かな人気商品です。
木酢液との併用でスキントラブルや冷え性を克服!
効果・効能
ニキビ、ひび・あかぎれ、冷え性、肩のこり・神経痛、しっしん・あせも、
疲労回復、腰痛・リウマチ、荒れ性(ひじ・かかとなど)、痔
本品は医薬部外品です!
中川が皆さんに推薦!
当地京都の伝統の知恵が生かされたやさしい本物入浴剤です。薬草が原料とは信じられない爽やかで暖かい香りが、あなたの疲れと傷みがちのお肌をやさしく包んでくれるでしょう・・・
天然植物100%でつくられたお肌にやさしい入浴剤です。
合成香料・防腐剤などを全く用いず、天然植物のみをふんだんに使った”古都の湯”には自然のエネルギーが凝縮されています。
入浴するたびにその成分が全身に行きわたり、心身の様々な面で効果を発揮し、健康に美しく体をリフレッシュさせます。
にきび
ひび・あかぎれ
冷え性
肩のコリ・神経痛
あせも・しっしん
疲労回復
腰痛・リウマチ
荒れ性(ひじ・かかとなど)
痔
これらの他に「お肌のトラブル」のある方はお試しいただきたいです。 中川
- ソフトな香り
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薬草の入浴剤といえば、煎じ薬くさいのが普通ですが「古都の湯」は香りがソフトなので赤ちゃんからお年寄りまで喜んで入っていただけます。メントールの香りが心身を包込んでリラックスさせてくれます。
- お肌にやさしい
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「古都の湯」に入っていただきますと、素肌がよみがえり、しっとりしてきます。しっしん、にきび、荒れ性、あせもに効果があります。特に、アトピーによる「しっしん」にも是非お使いください。かゆみも楽になって直りが早くなります。お年寄りの乾皮症、背中のかゆい方にもどうぞ。
- よく温まる
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体を芯から温めますので肩のこり、神経痛、腰痛、冷え症、リウマチ、痔、疲労回復に効果を発揮します。
- お湯が汚れる
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初めて「古都の湯」にお入りになった方から、お湯が黒ずんで見えるが大丈夫かというお問い合わせがありますが、これは「古都の湯」が垢、角質を取り去る作用が強いために、今まで石鹸で洗っても落ちなかった垢、角質がお湯の中にとけだして、お湯がふだんよりも汚れるためです。特にお年寄り、赤ちゃん、肌荒れのひどい方ほど最初の頃は特にお湯の汚れがひどいようです。
- ひじ、ひざ、かかとの角質がとれてシットリ
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角質をとりますので、いつの間にかひじ、ひざ、かかとがシットリとしてきます。ひじ、ひざをはじめ、「古都の湯」の袋で体をパッティングして下さい。
- 「古都の湯」の上手な入り方
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「古都の湯」を効果的にご使用いただくためには、「古都の湯」を入れて直ぐにお入りになる場合は、お湯につかりながら「古都の湯」の袋をよくもんでいただきますと、成分が早くお風呂の中にゆきわたります。お顔には袋で軽くたたくようにしてお使いください。
少量の木酢液と併用いただくのもおすすめです。ぜひ一度お試しください。
- 残り湯は、循環式風呂には・・・
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残り湯は洗濯に使えますが、すすぎは十分になさって下さい。循環式のお風呂でも使っていただいても差し支えありませんが、フイルターの交換や掃除の回数は増えます。
シャワーパッティング
シャワーのあとに肌を軽くパティングすればいっそう効果的です。 (アトピー性皮膚炎の方はシャワーは使用しないで湯船で)
心安らぐ自然の香り
浴室いっぱいに心地よい自然の香りが広がります。
まろやかな湯あたり肌はシットリ
赤ちゃんからお年寄りまで刺激の少ないまろやかなお湯です。 湯上がり感はサッパリ、肌はしっとり
「古都の湯」のうんちく(長文)
日本人は清潔好きの民族であるといわれている。我が国に来た外国人、特に欧米人たちの日本見聞に関する記録、報告書には、必ずといっていいほどに日本人は清潔民族であると嘆称し、その説明の例証として、人々はみな入浴を毎日でも好み、各町の銭湯は常に繁昌し銭湯のない田舎でも一枚の戸板で囲って女性がタライで行水している姿をよくみかけるほどで、また乗船の者も船が港に停泊の時間を見はからって上陸し、急いでその町の銭湯に馳せて行くと記してある。
例えばアメリカ人エドウイン・アーノルドの見聞談『日本人の潔癖』のなかに「日本人は世界でもっとも清潔な人民で、入浴は主に彼らの情欲の一つである。東京には湯屋の数1500を下らず、ここで身体を洗うのである。彼らはまたしばしば温泉の出る山地へ湯治にゆく。日本人の湯を好むや、むしろ驚くべし」と記載されている。(明治25年=1892年=発行『庚寅新誌』第53号)
日本人に入浴を愛好する習慣を植えつけたのは、仏教伝来(538年)による寺院の浴堂であった。もちろん、それまでに温泉浴とか主として瀬戸内海の各地に散在していた石風呂(自然の岩窟を利用した蒸気浴)などが存在し、保健と衛生の見地からこれを愛好するとともに、さらに心身の洗浄化をはかっていた。
我が国の温泉は現在千あまりといわれ、温泉天国といってよい。昔の人たちは火山の火煙を御神火と呼び、温泉は御神湯と称して神のご加護によって健康を保ち心身を浄化するものと信じていたのである。
さて、日本人が冷水を沸かして入浴するのは仏教伝来からである。寺院の七堂伽藍には必ずといってよいほど温室(温堂)、すなわち浴場があり、始めは仏像を清めるため、また修行僧の潔斎浴のためであった。また寺院には医術を心得る僧医がいて、病人を治療し、必要によってはこの温室を利用させた。まだ町湯も一般的ではなく、内風呂もなかった時代に「施浴」(入浴を施す―恵みを与える)が一種の慈善事業としてなされた。
「浴仏功徳教」や「温室教」などの仏典には、入浴を重視し、一般大衆にもすすめた。したがって、寺院に建てられた浴室で、多くの入浴への需要に応えることが、寺院にとっても重要な行事であった。仏法を広く一般に伝えるために、大湯屋と呼ばれる相当大きな浴堂が作られたともいえるのである。奈良の東大寺や法華寺、京都の大徳寺や東福寺など、日本の著名な寺院の遺構や記録などに、そのことが残されている。温泉地から遠い庶民にとっては、仏教寺院で行われる施浴が唯一の入浴の機会であった。
この寺院施浴も、兵乱の渦や寺運の盛衰などによって、後には実施が途中で立ち消えになったところもある。これは主要都市には営業を目的とした町湯が普及しはじめたことから。貴紳の一部には自家内に次第に風呂桶を備えつけるようになり、わざわざ寺院の大湯屋に遠く足を運ぶ必要がなくなったことも、寺院施欲衰退の一因として忘れてはならない。
とにかく施浴の全盛期とみるべきは鎌倉時代(十三世紀)である。(なおこの時代は、日本国土の気象寒暖統計統計からみると、最極寒期にあたる)
では営業用の町湯がどの時代、いつ頃から出現したかは、はっきりしていない。ここで町湯と称するものは、街なかの庶民の家屋が密集し、しかも沸かす水利のよい場所に、営業を目的として建てられた浴場(沸かし湯を入れた浴槽による入浴)ならびに蒸風呂(湯気にあたる蒸し風呂)の総称である。これまでの研究によると、十一世紀から十二世紀にかけて平安時代の物語や公家日録に散見される史料によって町湯の始まりは平安時代であろうと推定されている。
また町湯のあるところが、地名として残っている資料としては、鎌倉時代のものがある。
室町時代(十四世紀半ば頃)に入ると公家の多くは皇室の衰微とともに生活が困難になったので、自家で湯を沸かすことはなく、多くは町湯を利用し、しかも一時的に時間を限って買い切り、一人ではとても買い切る費用はないため、一族数名ときには十名ほどをかたらって入浴することもあった。洗湯では止め湯、風呂であれば止め風呂といった。
このように町湯が発展してきたのは、もちろん都市の拡張、人口の増加などにもよるが、従来、庶民の利用してきた寺院の施湯が、その寺院が遠く離れていて交通が不便なこと、さらに入浴にいろいろとわずらわしい掟や作法があったためでもある。(施湯の場合、『温室教』等の仏典に示されたとおり、入浴作法が厳格で、温室に入ればまず安置された仏像に合掌、ついで浴衣に着がえ、高声の談声を戒めて静かに入浴する。入浴時間は時刻をはかる香の煙の絶えるのをみてあがり、衣服をつけ、再び仏像に礼拝してから出る、といった具合である。)
また、施浴であっても、華香かそれに代わる布施を納めたのであるから、湯銭を払えば町湯は街なかにあり、しかも掟や作法もなく自由であり、公家以外はほとんどが混浴であったから庶民に喜ばれ、これを利用するものが多いこと、また公家たちもわずかな湯銭を出し、数名の一族と共同すれば止め湯の方法もあって、自家風呂よりは経済的であり、かた苦しい寺院よりも気楽で、歓談や飲酒もできることから、ますますこれを利用するようになったのである。
こうして町湯すなわち庶民の共同浴場である銭湯は、江戸時代(十七世紀から十九世紀半ばまで)になればおおいに繁昌する。
さて、古今、洋の東西を問わず、人類はひとしく長寿を願っている。わが国でも昔から長寿延命の法の一つとして薬草を煎じたものを服用するとともに、それらを煮出して湯に入れて入浴する法が伝承されている。平安時代や鎌倉時代にも、寺院に薬浴室を設けて衆人に施浴し、また病人を治療したとの記録がある。室町時代でも薬湯の利用は多く、子弟の教科書として知られる『庭訓往来』にも「五木八草湯の湯治」の文書が見えるくらいである。
この五、八の数字は湯治に用いる薬種、すなわち草根木皮の数でたとえば1559年刊行の『延寿撮要』には「正月一日、五木湯に浴すべし、五木と桃、柳、槐、楮、なり」とある。ほかの諸書によると梅、桃、柳、桑、杉、または、槐、柳、桃、桑、構、ともあるが、とにかく五種類の木という意味で、その葉、木皮を陰干しにしたものを煮出すわけである。
また八草も八種の草の葉根を乾かしたもので、これまた諸書によって異なっている。このため宮中の薬草園には里となる多数の草木が植えられており、また江戸時代は将軍家の御用としての薬草園が市中にあり、これと同じく各藩でも藩主一家の用として、それぞれ薬草園が設けられていた。
江戸時代に入ってから、古法による草木の入手が困難なことから、手近なもの、柚、無花果、楠、樟、桃。うど、大根の葉、よもぎ、そば粉、松葉、杉葉、米ぬかなどが日常に使用されていた。なお杉葉はカッケに効果があるということで、昔から多くの人々に利用されており、湯槽や湯桶の材料に杉が用いられてのはこのためである。
この時代、江戸をはじめ各地で営業の薬湯は、湯屋の規模が一般浴場に比べて小さく、浴室の湯槽も二つあり、一方はやや熱く、他方は幾分ぬるくしてある。また別に水湯の小湯槽があり、薬湯に入る前にあらかじめここで十分に身体の汚れを流すところもある。
材料入手の関係上、毎日かえることなく、七日あるいは十日ごとにかえ、その日は戸口に「今日新湯」の木札を掲げ、浴客はこれを待って入浴するので、その一両日は相当な繁昌であったという。入浴料も薬湯とあって五割以上も割高であった。
十九世紀の半ば頃、東京・品川の辺で一般の銭湯五件に対し、薬湯は一軒の割となっているが、この薬湯も明示十年代(十九世紀の終わり頃)までが最盛期であった。ただ、一般の家庭では、夏の土用中(七月の二十日頃から八月の初旬まで)の桃の葉をいれて浴する桃湯はアセモを治すのに効果があるとされ、これらは今日でも行われている。
このように日本人が清潔好きで入浴を好むのは、まず日本が湿度の高い国のせいである。特に梅雨期から夏にかけては、室内にすわっているだけでも身体がじっとりと汗ばむ。こういうときは、やはり一風呂あびてさっぱりしたい。それが日本人の心情というものだ。身体を洗ってきれいにするということもさることながら、一日の勤めから解放されてほっと一息つきたいがためである。つまり身体の清潔感と同時に精神の開放感を味わいたいためにほかならぬ。
温泉にでかけることを、湯治にゆくという。湯治とは字義どおりにいえば、温泉に含まれているいろいろな化学成分で身体の不健康な部分を治療することだが、一般の庶民の感覚からすればそういう意味あいのほかに、物見湯山的気分がつきものである。のんびりと温泉につかることで、日頃のわずらわしさから解放されることのほうが、むしろ湯治の主要目的のようになっている。医学的というより、娯楽的意味が強い。温泉そのものが身体に与える効用にもまして、温泉のある場所・土地柄の醸し出す雰囲気(さまざまな娯楽施設、いろいろな土産品の買える商店街)が精神衛生上に及ぼす影響が問題なのである。
見ず知らずの者でも、たまたま一つ湯舟につかったことで、お互いが自由に話し合える。湯に入れば平生の身分・階層にとらわれない、格式ばったつきあいとは違った、のびのびとしたくつろぎが得られる。風呂場が平等なつきあいの場として、そのまま一つの社会を形成しうるところに、日本の風呂の特色がある。銭湯はまさにそうしたものだ。庶民の共同浴場である銭湯が、社会的効用をかねた快楽の場として存在していたのに対し、奈良の三院の湯屋などは、たとえば室町時代には入浴の際かずかずの趣向がこらされ、風呂のなかで茶の湯を催したり酒飯を供し、その興をますために書画をかけ香をたいたりしたという。風呂場が客間や食堂の役目をはたしたわけだ。それは、今日のヘルス・センターの先行形態とみることもできる。
このように日本の風呂の伝統のなかには、生理的な意味以外の社交的要素が非常に強い。『菊と刀』(The Chrysanthemum and Sword. 1946年刊)の著者ルース・ベネディクト(Ruth Fulton Benedict)がいみじくも指摘しているように「日本人が毎日入浴するのは、アメリカと同じように清潔のためでもあるが、なおそのほかに世界の他の国々の入浴の習慣には類例を見出すことの困難な一種の受動的耽溺の芸術としての価値を置いている。」のである。
バスにトイレを結合させたのは、アメリカ人の知恵だそうだ。アメリカ人にとって、入浴は朝起きて歯をみがき、便意をもよおせばトイレにゆくのと同様に、一つの生理的行為にすぎない。しかし日本人にとっては、湯舟のすぐ横に便器が見えていては、どうも具合が悪い。入浴にタンデキできなくなるわけだ。日本人の風呂感覚には、生理主義より文化主義が優越しているのである。
日本人が家を新築する場合、風呂の位置にいろいろと思案し、出来るだけよい場所を与えようとする。便所の位置をきめるようなわけにはいかぬ。旅館などでは最も眺めのいいところに風呂場をもってくる。そして「ネオン風呂」とか「空中風呂」「大展望浴場」とかが、お客をひきつけるキャッチ・フレーズになっている。それは日本人が入浴に精神の解放・快楽を求めているからである。銭湯にはよく、風呂場の壁に松原越しの富士山の絵が描かれていた。ふだんの入浴においてさえ、温泉場に行ったような気分になって風光を賞でたいという庶民の願望の現れである。
西洋ではいまや個人風呂が原則で共同浴場はまずあるまい。ところが日本では個人浴室もあれば家族風呂も銭湯もある。個人浴室が個人の快楽の場であれば、銭湯は一つの社交機関であり家族風呂は一家だんらんという家庭主義の支柱ともなる。
風呂といえば、もとは、湯につかるという、きわめて素朴単調な行為から、さまざまの機能と価値を生み出し、全体として一つの“風呂文化”を形成する。だいたい都会のどまんなかに○○ヘルスセンターとか、△△温泉といった、大きな近代建築をつくり、その中にいろんな趣向・形式をこらした多くの浴場(薬湯、ジェット風呂、すべり台風呂など)を設けるほか、ピンポンなどのできるゲーム・センターや娯楽室、食堂、土産物売場などがあり、それ自体巨大な保健・娯楽施設を形づくっているのは日本ぐらいなものであろう。
1999年の日本における流行語の一つは「癒し」であった。
癒しとは、精神的・肉体的な安定・安静を求めることである。高齢化社会になるほど、心身両面の調和・安定を求める人々が多くなってくる。癒しが流行語になったのも、日本がまさに高齢化社会を迎えていることの現れであろう。その癒しに欠かすことの出来ないものの一つが、入浴である。生理的欲求だけでなく、精神的な欲求も満たす、日本の風呂の伝統である精神の解放快楽は、高齢化社会の現代なればこそ、見直されるべきではなかろうか。いまアロマデラピーが世界的な流行だという。これも癒しが求められているからである。古い歴史をもつ日本の薬湯もまた、世界的な高齢化社会現象のなかで、新たな脚光を浴びて然るべきであろう。
ここに紹介する『古都の湯』や『観峰泉』はこうした風呂および薬湯の社会的・文化的文脈のなかで生み出されたものである。日本では日本人の入浴好きを反映して多種多様の入浴剤が製造され、販売競争はまことに激越である。しかし、そのほとんどは合成着色料、合成香料、防腐剤などの添加物を使っており、生粋の薬用植物だけの入浴剤はあまり見かけない。『古都の湯』や『観峰泉』は、天然植物100%の数少ない入浴剤と言えそうだ。
薬草の入浴剤がなぜ少ないのか。それを製造するには、まず成分となる薬草についての正しい知識をもっていなければならない。次に、その調合にあたって人体に与える生理的効果、精神的影響を的確に判定するする必要がある。また、色や匂いが、これを使う人たちの趣向に合致するよう努めなければならない。
さらに、合成着色料や合成香料がマス・プロであるのに対し、薬草は天然自生物であるから、材料費のうえでどうしても高価になるのを、いかに低く押さえるか。
こうした諸々の障壁をクリアーして作り出された例えば『古都の湯』―その成分は天然の薬草である。古来の伝統・文献をふまえたうえで、それを現代にマッチするように、薬草の種類や配分については最新の工夫と改善が行われているのである。『古都の湯』や『観峰泉』の生理的効果の第一は、肌をしっとり、すべすべにすることだ。入浴の回数を重ねるごとに、たとえば肘、膝、踵の荒れが自然にきれいになっていく。そのほか、しっしん(アトピーのしっしんにも)にきび、あせも、荒れ性に効き目がある。
それに、身体を温める。肩のこり、神経痛、腰痛、冷え性、リウマチ、痔、疲労回復に効果を発揮する。一方、精神面での影響といえば、ソフトな香りがもたらす、ゆったり感であろう。浴槽のアロマテラピー効果といってもよい。その香りは、袋を鼻の前に持ってくれば始めて匂う程度の、きわめて控えめな香りである。それでいて、気分を落ち着かせてくれる。東洋的神秘をたたえた香りといってよい。『古都の湯』や『観峰泉』は世界の人々に日本から贈られる“癒しの入浴剤”である。