ひとつひとつ全て手作り、熊野本宮「釜餅」
伝統製法をそのままに、手作りならではの温かさを届けます
よもぎ、古代米、くるみ。
熊野本宮に伝わる製法を受け継いで、今に届ける「釜餅」。
伝えたいのは、熊野の自然。
残したいのは、優れた伝統。
過去から今へ、そして未来へ。
癒しの地、熊野が育む食をお届けします。
熊野が育む「癒しの食」
「可能な限り、このあたりで作っている食材を使って作っています。」
熊野鼓動 代表の横瀬さんは、どこか恥ずかしそうに、けれども誇らしげに云われます。 「日本書紀」の中にも名が記される熊野は、和歌山県西牟婁郡から三重県北牟婁郡にかけての森林資源が豊富な地域の総称で、古くから修験道の修行の地とされました。浄土宗が隆盛を得た平安時代後期には、熊野の地は「浄土」とみなされ、上皇や法皇が熊野街道を辿り、盛んに熊野(熊野本宮大社、熊野速玉神社、熊野那智大社の3社)を詣でたとの記録が残っていますが、鎌倉時代に庶民や武士の間に熊野詣が急速に広まって以降、更に多くの修験者や参拝者が訪れたと云われています。その流れは現代にも脈々と引き継がれ、世界遺産に登録されてからは、国内外を問わず多くの観光客が訪れる日本を代表する観光地にもなりつつあります。
最初から「食べるひとの健康に100%思いを馳せた」ものづくりをしていた訳ではありませんでした。「私がこの場所に勤め始めた頃は、化学調味料(アミノ酸)や複数の酸味料、果糖ブドウ糖液糖などを使っていました。」 山間地「熊野」の活性化のために、地元の人が中心となって土地の収穫物を加工するというコンセプトは同じでしたが、お土産物として製造を始める段階で、量販店に多く並ぶ他の商品と類似する合成原料が使われていました。
働いているひとの多くは、近隣に住まう、いわゆる「地域住民」。彼らは意図して化学調味料や保存料を加えた訳ではなく、「商品化」に向けて受けた指導の過程で、アミノ酸や酸味料を使うような商品が出来上がったのでしょう。これは過去の他の多くの「町おこし」の商品にも見られる傾向で、「アミノ酸」が入っている理由を尋ねると、「入れるように指導があった」と答えられたことも少なくはありません。2002年、経営者の急逝により加工所は一旦解散。機を同じくして同年に移住し、製造に関わり始めた横瀬さんは、地元の土産物店以外にも熊野の商品を知ってもらえるモノづくりをしたいと原材料や製法を変更しようと尽力されました。
有志により再結成された新しい組織は、熊野で出来る農産物を加工し、山間地である熊野の活性化を図るという意志を引き継ぐと同時に、「より身体が悦ぶ食づくりを」という新しい目的を持って次の一歩を踏み出し、2005年には「熊野鼓動」としての活動を開始しました。
昔からの精神文化・やり方という意味を持つ「古道」に、命の根源的な営みである心臓の「鼓動」をかけて名付けた「熊野鼓動」という社名には、過去からの良き伝統を受け継ぎながら、未来に繋がることに取り組んでいこうという気持ちが込められています。熊野地方に生きる人々の力添えを得て、次の3つのお約束を掲げ、『熊野でしかできない、熊野にしかできない』を意識した次のモノづくりをとおして、古代から続く癒しの地である熊野の魅力を発信し続けています。
【熊野鼓動の3つのお約束】
- 1.安心・安全な食を届ける
- 主に地元熊野で栽培・採取された、作り手の顔が見える原材料を使用しています。製造過程においても化学合成された添加物の使用を控え、伝統的な製法を用いると同時に、農薬を使わない方法で、一部の原材料の生産に関わっています。
- 2.商品をとおして、縁を繋ぐ
- 商品をとおして、熊野の歴史と豊かな自然の息吹をお伝えできるよう心がけています。 寄せられる意見を商品づくりに反映し続けられるよう、消費者と原料生産者、そして私たちの間で、良好かつ継続性のある関係を構築できるよう尽力しています。
- 3.お金で買えない価値を求める
- 自発的に生活の場を都会から田舎に移すことを選択した私たちは、自然の豊かさと表裏一体に様々な問題を抱える山村で暮らしはじめ、仕事とは何かを考え直す機会に恵まれました。仕事を単に金銭を得る手段、会社をそのための装置と捉えるのではなく、仕事をとおして自己の成長を心がけ、会社を地域が抱える問題に取り組む場所とし、地域に必要とされる存在となるように努力しています。
熊野の地を次の世代に引き継いで、100年後も同じように耕作をして暮らし続けていけるようにするには、今、ここにある大地が命の源であり続けなければなりません。今この瞬間のために薬剤を使うのではなく、今販売するために薬剤を使うのでもない。食は命を繋ぐものであり、同時に次世代を育む身体を、そして精神(心)を育むものだから、共に暮らす人々と手を取り合って、「自分たちが食べ続けたい」「子供や孫、大切な友人たちに届けたい」と思う食品だけを作り続けています。
昔からの伝統や知恵が入った郷土の味を、人々の精神の安らぎとなった土地から、食を届ける。
熊野鼓動の食品づくりは、まさに過去から未来に繋がる一本の橋のようなものです。
「釜餅」~熊野が伝える癒しのひととき
古くから伝わる製法で作られた伝統のお餅「熊野本宮 釜餅」もまた、
熊野鼓動から発信される「過去と未来を繋ぐ食」のひとつです。
釜餅は、熊野本宮でしか味わえない知る人ぞ知る幻のお餅。
餅といっても、杵と臼でつきあげる粘りの強い餅とは全く違います。見た目は道明寺粉を使った関西風の桜餅にも似ていますが、食感は全く違い、ふんわりとしています。広く知られる餅はもち米を蒸篭で蒸した後に臼と杵でつきあげますが、熊野ではご飯を炊くときのように炊飯用の釜で炊いて、炊き上がりをそのまますりこ木で搗く風習が残っています。この伝統の製法のままに、もち米のつぶつぶ感が残るくらいに搗きあげたふんわりとした餅で、小豆あんをくるんだのが釜餅です。
ふんわりした食感のポイントは、搗き加減。炊き上がったばかりのもち米を、力を加減しつつ素早く、絶妙な搗き加減に仕上げるのが職人の技の見せ所です。もち米を炊く以外は、全て手作業。数時間前から浸水させた2升4合のもち米を、約1時間かけて炊き上げて、すりこ木と大きなしゃもじを巧みに使いながら、10分程度で搗きあげます。
搗きあげたもちは、今度は手作業でひとつひとつ「釜餅」に仕上げられます。適量のもちを手に取って、内側に小豆あんをいれて手早くもちで包みこんだら「本宮 釜餅」の出来上がりです。柔らかなもちの食感を殺さないよう、手早く「くるん」とひとつずつ、手際良く包み上げていくのは、熟練の職人たち。捏ねないように、練らないように、もちをちぎる瞬間から気を配るから、柔らかな食感がお客様に届くのだと彼らが云います。
内側に包み込んだ小豆あんも、もちろん自家製です。北海道産の小豆のみを使用して、自社の「あんこ職人」が丁寧に炊き上げた上品な甘さの小豆あんです。甘いだけの小豆あんとは違い、小豆の旨味が十分感じられる「熊野鼓動」自慢の隠れた名品です。甜菜糖で控えめに甘み付けをしてあるせいか、刺激的な尖った甘さがなくまろやかな味わいです。
出来上がった釜餅は、その場ですぐに急速冷凍装置に入れて、香りや食感、風味を閉じ込めます。お召し上がりになる前に自然解凍して頂くと、搗きたての美味しさがよみがえります。
熊野本宮 釜餅 ~よもぎ~
炊き上がったもち米に、地元で採れたよもぎをたっぷりと突き込んだ「熊野本宮 釜餅 よもぎ」は、息をのむような深くそれでいて鮮やかな緑の美しい姿です。口に含むと鼻に抜けるよもぎの香りは、とても印象的。よもぎもちやよもぎ大福など、春になるとよもぎを使った和菓子が沢山目に留まりますが、「熊野本宮 釜餅 よもぎ」は、香りも風味も共に、田舎のおばあちゃんがつくってくれたような豊かな香りと風味のよもぎもちです。よもぎの風味は濃いですが、かといって濃すぎて「田舎くささ」とは無縁なうえに、小豆あんとのバランスが絶妙な品の良い仕上がりです。はじめて釜餅を召し上がる方には、まず召し上がって頂きたい印象的な一品です。
熊野本宮 釜餅 ~古代米~
もち米に地元で育てた古代米(黒米)を加え、ご飯のように釜で炊いて、そのまますりこぎで搗いてもちにしました。もち米より炊き上がりが少し固めの黒米を混ぜることで、お赤飯のような薄い紅色の美しい色合いと、ナッツのような風味と古代米特有の粘りが加わった独特の食感に仕上がっています。コクのある古代米入りのもちと、甘さを抑えた小豆あんもまた、一度知ると癖になる個性的な味わいです。
「いね」は「命の根」、「こめ」は生命力を「籠める」と言われています。古くから単なる主食にとどまらず、伝統・文化と深いかかわりのある名を与えられ、命の根源とされてきた米の原種である古代米を、悠久の時を流れてきた熊野川の辺、神々と癒しの里である熊野の地で育み、次の世代に繋がる食文化のひとつとして皆さんにお届け致します。
熊野本宮 釜餅 ~くるみ~
くるみの黄色い色合いは、地元和歌山県産の番茶の色合いです。米を炊くときに番茶で炊くと、オレンジのようなカーキ色のような鮮やかな発色の米が炊き上がります。くるみを突き込むだけでは決してきれいな色に仕上がらないのですが、当地で昔から伝わる「茶がゆ」から着想を得てこの方法に辿りつきました。茶の産地といえば、宇治(京都府)や掛川(静岡県)、狭山(埼玉県)、西尾(愛知県)などが知られていますが、山岳地ともいえる和歌山は、昔から茶の生産が身近にありました。その反面、米作に適した土地が乏しく、昔は収穫した米のほとんどが年貢に消えたのだと云われます。手元に残るわずかな米を、少量でも美味しく食べられるようにと生まれたのが「茶がゆ」の文化です。和歌山県南部や奈良県南部では、昔からかゆといえば「茶色」が普通で、白いかゆには馴染みがないのだといいます。また普段から食される機会も多いため、当地域独特の文化でありながら気が付かない方も多いのだとか。かつては各家庭で茶の木を育て、焙じた茶でかゆをつくっていたといいますが、「熊野本宮 釜餅 ~くるみ~」に使われている茶は、熊野本宮の山間で栽培され、初夏の良質な茶葉だけを使用した、深みのある香ばしい香りと爽やかな味わいが特徴の釜炒り茶です
【お召し上がり方】
自然解凍しお召し上がりください。解凍後は賞味期限に関わらず、お早目にお召し上がりください。
※時期により解凍に要する時間は異なります。冬場であれば常温で2~3時間を目安にしてください。また冷蔵庫等で長く保管しすぎると、もちが固くなる可能性がございます。
熊野本宮 釜餅の材料たち
熊野本宮の味を再現したいとの強い願いもあり、なるべく土地の農作物をと近隣の農家と連携した商品づくりを心掛けています。釜餅に使われているもち米やよもぎ、古代米、番茶はすべて近隣の農家にお願いをして、育てて頂いているものです。
もち米
熊野本宮 釜餅に使われているもち米は、中世の昔には本宮大社が建っていた大斎原(おおゆのはら)で栽培されています。明治22年の大洪水で本宮が流され、現在の地に移転されましたが、当地には今でも大鳥居がどんと建っています。この大鳥居の前に広がる水田で丁寧に栽培されたもち米は、収穫され釜餅の味を決める大切な材料です。山間地では特に過疎化や高齢化が進み、耕作を放棄された水田が増えています。これから人口も減少の一途を辿るのかもしれませんが、かつて本宮大社があったという聖地で米を栽培できる水田だけは、せめて次の時代に引き継いでいきたいとこの水田での耕作を続けています。
※大斎原(おおゆのはら)のもち米の他に、同町内で収穫されたもち米も使用しています。また収穫量が釜餅の需要を下回る場合は、協力産地のもち米を使用する場合があります。
番茶
熊野本宮の山間で大切に栽培されたお茶の、初夏の良質な茶葉だけを使用して作る釜炒り茶です。収穫後の生葉を釜で炒って、ていねいに揉んで天日で干す、昔ながらの手法に倣って手間暇をかけ、他にはない深い味わいを生み出しています。地元の方にも「番茶と言えばこの味と香りでないと」と云われるような、深い味わいの番茶です。