バイオノーマライザーの農場&
工場訪問レポート
フィリピンの農場&工場を視察しました!
- バイオ・ノーマライザー、その目的のためには妥協なし
- バイオ・ノーマライザー。その名が示すとおりの圧倒的な実力の根拠をこの目で確かめてきました。
- 自然と調和しながら育てられる青パパイヤが原料です
- 「安心を届けるために」怠ることのない工場での取り組み
- バイオノーマライザーの製造工程の全貌がいよいよ明らかに
- 「必要とされている方々に届けたい!」フィリピン工場訪問記
- CLINIC FOR POVERTY=フィリピンの貧しい人のためのクリニック
- クリニックにやってくる患者たちの背景
- 根本的な治癒のために欠かせない教育的指導
- 考える力をはぐくむ場。希望に満ちた「WISH HOUSE」
- バルナバクリニックにはバイオベビー、バイオキッズがいっぱい!
- フィリピンを訪問して
バイオ・ノーマライザー、その目的のためには妥協なし
2012年8月、人生初のフィリピン訪問機会がやってきました。
我が家でも家族みんなでいつもお世話になっているパパイヤ発酵食品「バイオノーマライザー」の工場視察が目的です。
実は私、パパイヤは大・大好物なのです。三食パパイヤでも数日間はご機嫌に暮らせる自信があります。南国を車で走っていても、平たい葉っぱが特徴的なパパイヤの木を見かけるたびにハートがときめきます。
それくらい大好きなパパイヤではありますが、私のなかでは、ラグビーボールよりも大きなサイズの実がスタンダード。最近は小ぶりでお上品なパパイヤを日本でもよく見かけるようになりましたが、あれらにはどうも手が伸びません。やっぱりパパイヤは南国で、ダイナミックに切ったものをがつがつ頬張るのが一番おいしいのです。
前置きが長くなりましたが、そんなわけで、「パパイヤ畑にお連れします」という今回のお誘いに乗らないはずはなく、ご機嫌モードでフィリピンへ飛び立ちました。
ところがその頃、フィリピンでは大型の台風が続き、首都マニラもあちこちで冠水の事態に見舞われていました。普段は常時大渋滞だという高速道路も、到着した夜はすいすい進み、あっという間にホテルに到着。お天気が悪いせいか肌寒く、部屋のエアコンも不要です。
・・・そして翌朝、ホテルで軽く朝食を済ませ(もちろんパパイヤが主食♪)、いよいよパパイヤ農園に出発。しかし案の定の雨模様で、残念ながら、傘とカーディガンは必須です。はてさて、南国のパパイヤたちは私をウェルカムしてくれるのでしょうか・・・
自然と調和しながら育てられる青パパイヤが原料です
雨上がりのパパイヤ農園で見つけた不思議な光景
雨は降り続き、この分では農園に着いても足元はかなり悪そうですが、天候はコントロールできるものではありません。覚悟を決めて、ときおり冠水した道路を徐行しながら、一行は北へ北へと車を走らせます。
すると幸いにも、農園まであと少しというところで雨はおさまり、「ここが契約農場です」と車が止まったときには太陽の光まで差してきました。こうなれば一転、あわててお肌にUVケアをほどこし、雨傘の代わりに手渡された麦わら帽子を深くかぶります。
農場には、人間の背よりも少し高いくらいのパパイヤの木が整然と並んでいます。食べ頃を迎えたパパイヤもわさわさと実っているのではないかと密かに期待していましたが、いますぐかぶりつけそうな様子のものは残念ながら目につかず・・・(苦笑)
それにしても、鈴なりになっている実の中間くらいに、ポロポロと実をもいだ跡があることが気になります。パパイヤは、中心の幹に実をつけながら上に上にと成長していきますから、当然ながら高いところにあるのは小粒の若い実です。つまり下にある実から収穫を迎えるはずなので、幹の途中で歯抜けになっている様子はとても不自然なのですが、その理由はすぐに明らかになりました。
収穫も仕込みも月のリズムと調和しながら
バイオノーマライザーの主原料は、青パパイヤの実です。食用になるよりもずっと若いうちに収穫されますが、ここで特徴的なのは、規定のサイズになったらいつでも収穫してよいというわけではないという点です。
バイオノーマライザーを開発した大里章博士は、長年の研究の結果、製品の持つ健康効果を最大限に高めるための必須項目として、その原料にも様々な条件を見いだしていました。例えば、
●遺伝子組み換えされていないカリカ・パパイヤの原種であること
●農薬や化学肥料等を使わずに栽培されていること
●それ以上でも以下でもない特定のサイズに成長していること
●エネルギーが最高潮に達する満月のタイミングで収穫すること、等々・・・
満月という、およそ1ヶ月に一度の収穫のタイミングまでに規定サイズを超えてしまったパパイヤは、バイオノーマライザーの農園に育ちながらも、通常の食用パパイヤとして流通されるサイズになるまで収穫が先送りされることになります。お話によると、鈴なりに見えてはいても、収穫時には1本の木あたり2~3個しか規定サイズの実はないのだそうです。だから、幹に残るのは、選ばれし青パパイヤたちの痕跡。「ちょうどこの部分が、バイオノーマライザーの材料になったのね」「ここから下は食用ね」と一目瞭然なのです。
また、上述の最低条件は満たしても、実を切ったときに白い酵素液が「ピューッ!」と勢いよくほとばしるものでないといけません。そしてこの勢いは、時間が経てば経つほど衰えていきます。そんなわけで、収穫は契約農家ではなく、原料の善し悪しを見極めることができる工場のスタッフたちが自ら行っていて、収穫後はすぐさま工場に搬送します。工場に戻るなり、ひとつひとつ手作業でカットしながらさらに選別し、そのまま仕込み工程に入るのです。どうやら現地スタッフの皆さんにとっての満月の夜は、美しく神秘的な月の光とたわむれる夜とはずいぶん異なりそうです。
カリカ・パパイヤの原種だけを育てるための努力
「限りなく自然に近い食品」というのがバイオノーマライザーの特徴ではありますが、自生のパパイヤを使うことはありません。現地では、フィリピン国内の大学が管理する遺伝子組み換えでない在来種の株を都度入手し、遺伝子組み換えパパイヤが混入しないように徹底した分別生産を行っています。
そもそもパパイヤは生命力にあふれ、強力な分解酵素を蓄えているため病害虫の被害も少ない果物ですが、唯一の脅威がウイルス病でした。その対策となる遺伝子組み換えパパイヤが出回るようになってからというもの、もはや地球上の大半のパパイヤは、自生種もふくめて(遺伝子的に優性な)遺伝子操作されたものに置き換わってしまっているのだといいます。
現在は契約農家による管理栽培ですが、まもなく現地工場が直接管理する自社農園が完成するとのこと。その予定地も視察しましたが、とにかく広大です。それでも、一本の木から収穫可能な「原料になる実」は限られていること、そして日本国内に限らず拡大し続けている需要にしっかりと応えるためには然るべき面積なのかもしれません。
パパイヤの神様に歓迎されたのか、まったく雨に降られることもなく、契約農園と自社農園予定地の視察を無事終えて、さて次はいよいよバイオノーマライザーを製造する工場に向かいます。
「安心を届けるために」怠ることのない工場での取り組み
安心してご愛用いただきたいから、すべてをオープンに
バイオノーマライザーを製造する工場は、マニラ中心部から車で約1時間ほどの位置にある、バタンガス州サント・トマス市内の日系工業団地、ファースト・フィリピン・インダストリアル・パーク内にありました。フィリピンの経済発展の一助となるべく、フィリピン政府の要請に応える形で日本の住友商事と現地財閥が共同開発したこの新興工業団地では、グローバル基準を満たす、フィリピン国内最高級レベルのインフラが整備されています。総面積315haの敷地内には、本田技研や住友重機械工業等々、フィリピンに製造拠点を持つ大手日系企業の多くが集まっています。
株式会社三旺インターナショナルが、その企業規模からは決して安価とは言い難いこの地を現地の拠点として選んだのには理由がありました。それは、「どのような環境で製品が作られているのかを、いつでも、誰にでもご覧いただけるように常にオープンにしておく」という企業姿勢を実現するための条件がすべて揃っていたからです。
事実、国際基準を満たすこの工業団地では、排水も、空気の循環も、すべてがしっかりと管理されています。ベースにあったのは、「フィリピンでしかバイオノーマライザーを作ることができない以上は、基準を高めなくてはならない」という信念であり、コストダウンのために海外に工場を作る多くの日系企業とは、根本的なところから違っていたのです。
「設備は整っているのか」「衛生面はどうなのか」「どんな人間が携わっているのか」等々、もはや日本国内産の製品でさえも消費者の信用を得ることが難しくなってきている時代です。たとえ収穫したばかりの新鮮なパパイヤをすみやかに加工する必要があるからとはいえ、日本から遠く離れたフィリピンに工場を置くとなると、お客さま方が抱かれるであろう戸惑いや不安・疑問を解消するための取り組みは避けるわけにはいかなかったのです。
「製造工程に自信があるから、隠したくないんです。誰がきてもオープンに見せていますよ」と語るのは、今回の視察に同行していただいた三旺インターナショナル代表の前田健司社長。「日本国内の大手メーカーでは、工場見学はやっていて当たり前の時代です。ましてやここはフィリピンですから、皆さんが不安に思われるのもやむを得ない。その不安を払拭するには、すべてをオープンにする以外にないんです」と、前田社長は言葉を続けます。
現地に駐在する澤村工場長も、「私たちは常に、皆さんに安心していただける環境を整えています」と自信に満ちた表情です。工場にはガラス張りの見学通路が設けられていて、工場内の衛生レベルや各設備の状態、そして全製造工程をガラス越しに見ることができます。実際のところは、私たちのような販売者はともかくとして、バイオノーマライザーを愛用される一般のお客さま方がフィリピンまで工場見学に来られるケースはまずないようですが、それでもなお、「いつでも開示できる準備」は怠らないというのが、フィリピン工場の示す姿勢なのです。
工場の取り組み指針として
後で詳しく述べますが、微生物を扱う工場としては、雑菌の混入を防ぐことは重要な課題です。そのため、発酵の現場に一般の見学者を迎え入れるというのは難しいものです。しかしながらバイオノーマライザーの工場では、設計の段階から見学通路の確保を見据え、製造に支障をきたすことなく、すべてを公開できる環境の構築を実現しました。
滅菌に関しては、特に細心の注意を払っています。見た目には雑菌などまったく心配なさそうなほどキレイに清潔に保たれている工場内ですが、これは様々な取り組みによって維持されているようです。
たとえば、工場内の床の色にも工夫が見られます。大部分は白い床になっていて、これは「ゴミが目につきやすく、常にきれいな状態を維持するように」という意図があります。同じ理由から、製品を粉末化する最終工程の部屋では、乳白色のパウダーが目立つようにと床を緑色にしています。
またクリーンルームでは、小さなほこりや虫などの異物が侵入しないように、空気が外に流れる設計になっています。逆に、発酵室では自然に介在する菌もあえて殺さず共存させながら、徹底したモニタリングによるコントロールを行っています。
工場では、そういったこと細かな取り組みの指針として、原料の仕入れ段階から製造工程含めて食品の安全を評価するISO22000、食品危害を未然に防ぐ基準のHASAP、さらには医薬品としての基準を評価するGNPといった認証を早期に取得しています。
バイオノーマライザーの製造工程の全貌がいよいよ明らかに
最終選定に合格した青パパイヤで培地を作る
さて一行はいよいよ見学通路へ。まず最初に案内されたのは、農園から運び込まれた青パパイヤを洗浄し、カットしていくエリア。ここでは、原料の最終選定も同時に行われています。サイズ的には規定内でも、熟成がはじまっているものは不合格。ひとつずつ半分に切って中身を確認し、種や酵素液の状態から原料となりえる品質かどうかを判断します。
合格した実はすぐさま、皮も種もまるごとダイスカッターで1cm角にカットされ、大きなステンレス製の容器に投入されます。そこに菌の栄養源となるデキストロースを混合して、培地としての仕込みは完了します。
その状態でしばらく置いておくと、浸透圧によって果肉からエキスが果肉から出てきます。そこへ酵母菌を塗沫してから、温度と湿度が細やかに管理されている発酵室に移されます。
最大限の効果を狙って自社が独自に育てる酵母菌
「バイオノーマライザーの原材料のうち、食用酵母とは何ですか?」というご質問を受けることがありますが、これは発芽した酵母菌のことだそうです。自然界にはたくさんの菌があり、パパイヤそのものも植物性乳酸菌を含んでいますが、工場ではどこででも手に入る菌を用いているわけではありません。製造にあたっては、大里博士が発表したHSO-1株および、日本国内でスクリーニングした、製品にとってもっとも有用と考えられる複数の菌を介在させています。
また、工場内の研究室には無菌操作を行うためのクリーンブース(CCV)があって、ほかの菌の影響を受けない培地で酵母菌を繁殖させて、-83度の温度で冷凍保存しています。
そして、パパイヤを取り込んだ酵母菌の代謝産物こそが、バイオノーマライザーの有用成分となります。とはいえ、完全に代謝しきるまで発酵させるのではなく、後述する特殊装置を用いて最大の効果があるところを見極め、ピークのところで発酵をとめているそうです。
発酵工程を管理するのは熟練した職人の仕事
発酵を促す環境を維持するということは、空気中に含まれる様々な菌も繁殖しやすくしてしまうというリスクを伴います。ほかの菌を制御して、目的とする菌だけを繁殖させるために、綿密なphコントロールを行うなど様々な工夫がなされています。
仕込み期間は13ヶ月。この間、ph調整や温度・湿度を管理し、異物の混入を防ぎながら発酵と熟成を繰り返します。すべてはタイミングにかかっていますので、モニターが示すデータを正確に読みとるには充分な経験が不可欠であり、味噌蔵や醤油蔵をまもる杜氏のように、もっとも重要なポジションであると言えます。
ちなみに、現地法人の代表を務めるマイラ社長は、フィリピンにおける微生物学の第一人者。大里博士自らがその才能を高く評価し、現地法人を取り仕切る代表者としてスカウトしたと言います。マイラ社長率いる微生物のプロフェッショナル達は、大里博士によって研究し尽くされ現在に至っているバイオノーマライザーに、より高いレベルの有用性を持たせるべく、さらなる研究を続けています。
熟成~乾燥、そして製品となるパウダーが完成
熟成が進むにつれ、パパイヤからは水分がどんどん出てきます。その後、充分に熟成したパパイヤを圧搾、搾り取った液体にデキストロースを加えながら、自然乾燥でじっくりと時間をかけてパウダー化していきます。
湿度が7%くらいになったところで乾燥工程が終了するのですが、この最後の湿度コントロールにのみオーブンを使います。とは言っても最高温度は40度、ずいぶん長い時間がかかるようです。ちなみにこのタイミングを除くすべての工程において熱は一切加えていません。
乾燥したパウダーはメッシュにかけて検品、ここでも異物混入の検査は怠りません。そして最後に、製品の効果試験を実施し、合格基準を満たしたものだけが日本に向けて出荷され、日本国内の自社工場にて最終の袋詰めが行われます。
ちなみに、製品を評価するために導入しているのは、ESR(Electron Spin Resonance:電子スピン共鳴)装置とよばれるものです。ESRは不対電子 (ラジカル) を検出して消去率を測ることができる唯一の分析法と言われ、健康への関心が集まる現代において、既に多くの分野で還元性研究に活用されています。バイオノーマライザーの工場では、製品や試験サンプルを常時この測定器にかけて、より高い評価を得られるための発酵方法を常に模索しています。
なお、一部のパウダーは、固形化させて別の製品になるそうですが、製品の効果を維持するために、打錠にあたっては賦形剤を使わず、熱も使わずに圧力だけで成型するので、実際にはかなりのロスが出るのだそうです。製品にできないものも、その効果は保証済みですので、様々な団体への支援品として活用されており、たとえば日本国内の動物愛護団体などにも送られているようです。
ちなみに工場では、効果のさらなる向上を目指したたゆまぬ研究に加えて、もうひとつ、新しい課題も浮上しているとのこと。それは、熟成したパパイヤを圧搾した後に残る実も、何かに役立てることはできないかということです。搾りかすとは言え、充分に熟成した実にも有用成分はたっぷりと含まれています。現在、それらは乾燥させた状態で保管されていますが、残念なことに具体的な用途はまだ決まっていません。「今後プレマさんと何かの形にできたらおもしろいですね!」と、ちょっとわくわくするようなお声がけを最後にちょうだいして、バイオノーマライザーの工場視察は無事終了となりました。
最後に・・・ちょっと余談にはなりますが。工場の視察中に「見学者を迎える準備ができている」という話を聞いたとき、妙に納得したことがあります。それはパパイヤ農園でも感じていたことなのですが、車が工場の玄関に到着した瞬間から、工場で働くスタッフの皆さんのサービス精神とホスピタリティーの高さに驚かされたのです。脇からそっと傘を差し出す仕草、さりげなくカメラを預かるタイミング、絶えることのない温かい微笑み、日本人独特の繊細さを、奥ゆかしくも人なつっこいフィリピンの人たちがマスターするとこんなに心地よいことになるのかと感嘆するばかりです。
ちなみに前田社長は、「フィリピンの基準を日本の基準に引き上げるのも自分たちの仕事だと思っている」とも言っています。それは、三旺インターナショナルに限らず、日系企業どこも同じことが言えますが、フィリピンでも日本基準のものをしっかりと作れるということを実践しているのです。
「必要とされている方々に届けたい!」フィリピン工場訪問記
パパイヤ発酵食品バイオノーマライザーの販売元をしております、オルネ株式会社 嘉納と申します。
2月16・17・18日の3日間、バイオノーマライザーの製造工場・パパイヤ契約農園があるフィリピンへ現地視察に行ってまいりました。
契約農園は首都マニラから車で1時間ほど離れた場所にあり、契約農家の方々が農薬・化学肥料・肥料等一切与えず、できるだけ自然に近い状態で精魂込めて作られていました(雑草は刈ります)。
栽培農家さんの話では、バイオノーマライザーの原料には、大人のこぶし大の大きさのパパイヤのみを使用しているとのことでした(右の写真は、大きさを図る道具です)。それより大きいサイズは食用として一般に流通するようです。
なぜ、そのサイズのパパイヤが最適なのかというと、こぶし大サイズのパパイヤは上へ伸びる力が強く、エネルギーが一番強い時期のものだからだそうです。また、採取のタイミングにもこだわりがあり、新月・満月の一番エネルギーが高くなる時期に採取しているとのことでした(ダイナミック農法も新月・満月時に合わせ採取しますね)。
2日目は、マニラから車で3時間ほど北上し、バイオノーマライザーの販売元である株式会社三旺インターナショナルが人道支援を行っているというバルナバクリニックを訪問しました。スービックという静かな海辺の街にあるこのクリニックは、日本からやってきた助産師、冨田江里子さんが運営されています。
三旺インターナショナルと冨田さんのご縁のきっかけは、インターネット上のとある記事でした。「日本からフィリピンに移住して、現地の人々を支援している助産師がいる」という情報を目にしたフィリピン工場の澤村工場長が、バイオノーマライザーが何かの役に立てるのではないかと考え、バルナバクリニックを訪ねたのが始まりだったそうです。
冨田さんは元々、日本のNGO現地調整員としてフィリピンで活動していました。その間、初産で死産を経験する女性が非常に多い現状に疑問を持った冨田さんは、1997年(平成9年)、スービックにバルナバクリニックを開設。助産師という資格を生かし、貧しい人々のお産をボランティアでサポートしています。
クリニックには、妊婦さんたち以外にも、怪我や病気をしたにもかかわらず、お金がなくて薬や治療を受けられない人々が押し寄せるようになりました。
医師でない冨田さんは、当初、お産以外の患者は「ダメです」と断っていましたが、貧しい人々を追い返すこともできず、看護師としてできる限りのサポートを行うようになりました。バイオノーマライザーの支援がなかった頃は、生姜湿布や、すりおろした生姜を服用させるなど、いわゆる自然療法的な処置をしていたそうです。
無償で続けられた冨田さんの功績は高く評価され、その後2003年(平成15年)、スービック第4保健所として正式に認可されました。
医療支援の他、冨田さんは、親から虐待されている、あるいは親からの性的暴行を受けている子どもたちが安らげる場所(シェルター)を提供しています。
悲しいことに、フィリピンにはそういった子どもたちがとても多いと言います。特に、父親から性的虐待を受けた子どもたちの精神的なショックは想像以上に大きく、立ち直るには相当な時間がかかるとのことでした。
私はこの日、冨田さんの往診にも同行させていただき、バルナバクリニックとバイオノーマライザーの存在が、地域の人々の大きな支えとなっていることがとてもよく分かりました。クリニックでは、重度の病気を発症して、死を待つのみといった状態の患者さんたちにも会いましたが、「バイオノーマライザーのおかげで支えられている」と口々におっしゃる言葉が深く印象に残りました。
「この商品は本物だ!」
「必要とされている方々が日本にもたくさんいらっしゃるに違いない!」
そう確信し、一人でも多くの人たちに知っていただけるように行動しようと気持ちを新たにました。
皆様のお役に立てるほんものの商品との出会いに感謝いたします。
平成24年3月3日
オルネ株式会社 代表取締役 嘉納達男 拝
CLINIC FOR POVERTY=フィリピンの貧しい人のためのクリニック
フィリピンの首都マニラから北へ約130km、美しいビーチと様々な観光スポットのあるスービックは、国内外からたくさんの観光客が訪れるフィリピン屈指のリゾート地です。しかしながら、そのにぎわいの陰には、多くの人々が貧しく厳しい生活を強いられている地域もあります。
フィリピンにおける緑化推進や貧困層の支援活動を行う日本のNGO団体の現地調整員としてこの地に居住する冨田江里子さんは、看護師と助産師の資格を生かし、1997年からボランティアで、貧しい女性たちのお産の手助けをしてきました。
「バルナバクリニック」と名付けられたCFP(CLINIC FOR POVERTY=フィリピンの貧しい人のためのクリニック)は、主に日本からの寄付により運営されています。本来マタニティ専用だったのですが、無料でケアが受けられるといううわさがたちまち広がり、怪我や病気の患者が押し寄せるようになりました。医師ではない冨田さんは当初、お産以外は断っていたのですが、病院に行くお金がなく、藁をもすがる思いで駆け込んでくる貧しい人たちを追い返し続けることはできませんでした。
頼ってくる人々に対し、マッサージや食事指導、つぼ指導など、看護師としてできる限りのことを無償で続ける冨田さんの行為は、スービックの保健所からも認められるところとなり、2003年にはスービック第4保健所として認可されるに至りました。クリニックは、その後ますます地域の人々から頼られる存在となり、2012年3月現在、クリニックで誕生した赤ちゃんは2,153人、冨田さんが診療した患者の数は56,596人を上回りました。
クリニックにやってくる患者たちの背景
クリニックのなかの様子。ベッドは基本的に、産婦が安静に過ごすために使われます。
最初から病院にかかることができない人たちだけでなく、なかには、以前は医師に診てもらっていたという人たちもいますが、高額の治療費や薬代を支払うために借金がかさみ、継続した治療を受けることができなくなったのです。冨田さんが出産に立ち会っていたり、往診にでていたりすると、診察待ちの列はどんどん長くなりますが、ほかに行くところのない患者たちは、クリニックの軒先で自分の順番がまわってくるのをじっと待ちます。
なかには本来、地域の保健所が受け入れなくてはならない症例もあるのですが、保健所からは「薬の不足」を理由に放置されるケースが多いのです。緊急疾患や、かなり重篤なケースもあり、看護の限界と闘いながらも、冨田さんのひたむきな活動は続きます。
また、たいていの子どもたちは、重症になってようやくクリニックに連れて来られます。冨田さんはそのたび毎に、「もっと早く連れて来ること」を促しますが、これもなかなか親たちの意識に浸透しません。
貧困層の人たちが暮らす家。周囲を囲む川がいつ溢れかえるかと心配でなりません。
雨季を迎えると事態はますます悪化します。連日の雨で気温が下がり、洗濯物も生乾きのままで着ている子どもたち。風邪をこじらせて肺炎になってしまうケースも多々あります。小さな赤ちゃんさえも、咳と熱が1週間以上続いた末に、重症になってようやく連れて来る母親が多いのです。
あちこちにできた水たまりでは蚊が一気に増殖し、それと同時に、貧困層の子どもたちの間ではマラリアが急増します。クリニックまでの交通費がないなどの理由から、たいていの子どもたちは何日も高熱を我慢して過ごしていて、冨田さんが診察するときには、すでに一刻の猶予もない状態であることもしばしばです。
毎日水びたしで暮らすので、皮膚炎が悪化して2次感染をおこし、高熱でやってくる患者も増えます。皮膚の病気は治りにくいものですが、命には関わらないことと、薬が高価なことも大きく影響して、ひどくなるまで放置されてしまいがちです。
根本的な治癒のために欠かせない教育的指導
重度の糖尿病を患って、クリニックにやってきたという男性。食事の改善にも取り組んでいます。
毎日の食事内容の改善、衛生的な生活を心がけること、薬に代わる食品の紹介など、簡単には病気にならないための方法を繰り返し伝える冨田さん。患者やその家族の意識改善は一筋縄ではいきませんが、そのことを置いて根本的なQOLの向上は実現し得ないことを誰よりも分かっているので、あきらめるわけにもいかないのです。
考える力をはぐくむ場。希望に満ちた「WISH HOUSE」
クリニックの軒先はいつも、冨田さんの診察を待つ患者さんたちであふれていますが、さらにその奥に目をやると、明るく元気にはしゃぐたくさんの子どもたちの姿が見られます。それは、クリニックの裏側に併設される「WISH HOUSE」での風景です。
「WISH HOUSE」=希望に満ちる家。学校へ行けない子供たちのための学校として、2008年6月に新たに設立されました。それまでの10年間、バルナバクリニックを運営し、医療の現場から患者と関わってきた冨田さんは、常にフィリピン社会が抱える貧困問題に直面していました。そして、「貧困の根本的な解決には、人々の意識改革が不可欠」という思いから、子どもたちを集めて教室を開いたのが「WISH HOUSE」の始まりでした。
クリニックにやってくる患者の症状の大半は、食生活や生活習慣に起因するものです。何が病気の原因になっていて、どうすれば病気が治るのか。冨田さんはひとりひとりに説明しますが、翌週になると彼らはまたクリニックに来て、同じ症状を訴えます。冨田さんが何度も繰り返し伝えても、患者は自ら考え、理解しようとしません。貧困のため学校に通えなかった彼らは、「考える」能力を培う機会に恵まれないまま成長した大人たちなのです。
そしていまもなお、多くの貧しい子どもたちが労働を強いられていて、学校へ通うことができない現実があります。貧困の悪循環を断ち切るには、幼少時からの教育が必須であるにも関わらず、子どもたちには就学の機会が与えられないのです。
そんな子どもたちに、学びの場を提供しようと設立された「WISH HOUSE」。ここで子どもたちの教師になるのは、日々の運営に関わる冨田さんたちではなく、日本から施設を訪ねてくる人たちです。子どもたちは、たくさんの大人たちから認めてもらうこと、見つめてもらうこと、励ましてもらうこと、喜んでもらうことによって、学ぶため、そしてよりよく生き抜くための大きな自信をつけていきます。
以下、日本の皆さまに「WISH HOUSE」への参加を呼びかける冨田さんのメッセージを紹介します。
貧困層が行う家族計画の中に、闇中絶があります。
妊娠早期にお腹の上から子宮全体を押しつぶす手技は、時々外表奇形を一生の傷として新しい命に残します。子供の幸せを守るべき親が、こういう行為に走る背景に、成り行きでいい加減に生きている大人の姿が伺えます。
お産だけに関わっていても、親の意識は変わりません。親になる以前に人や自分を大切に出来る人になる関わりが必要だと思っています。
正常出産であれば、本当に安心し、子供が穏やかであれば余計ありがたいと思います。
出産が正常に進まない背景には、子供を手放そうと計画していたり、売春の結果できてしまった赤ちゃんや、夫がいない子供がいたりなど、様々なことがあるからです。
1ヶ月に多ければ5人(8月)のあかちゃんが、親が育てられない事情のある子供でした。
親が育てていても、病気した時に交通費がないがために我慢する状態から上の子供達を亡くしている親も珍しくありません。
また、若年で結婚し、繰り返す妊娠から出産時の異常(胎盤が剥がれないで大出血)癒着胎盤の重度で病院搬送もありました(初産は14歳で2回目の妊娠の16歳)。
貧困が子供を犠牲にしないように、女の子が自分自身を大切に出来る人生を歩めるように、診療、お産以外の活動の重要性を意識させられます。
Aさんのお産に立ち会ったのは彼女が13歳の時、胎盤が剥がれずに出血し、大変危険なお産でした。それから毎年、彼女は同じようなお産を繰り返しました。何度も家に通い、家族計画を説明しましたが、年長の夫は仕方なく笑うばかりで理解してもらうことはできませんでした(彼女との関わりが、最初のWISH HOUSEの基礎になる経験の一つでもあります)。4回目の妊娠は安易に選んだ闇中絶の失敗からの大出血。これは直ぐに病院へ搬送する以外、救命の方法はありませんでした。
家族計画の指導をしても実行できない彼らは繰り返し妊娠し、クリニックに駆け込んでくる。危険だからそんなお産は受け入れることはできないと断っても、生まれる寸前でやってくるので断れない。こんなことの繰り返しである。
中絶からわずか10ヶ月、また彼女は妊娠をしていました。しかし今回は初めての正常出産でした。少し、大人になってきた印象がある彼女の笑顔を見ながら、彼女のような人生を選ばないようにするには何が必要なのだろうと、改めて考えさせられています。
WISH HOUSEの趣旨の概略だけ少し紹介します。
毎日、その日の食べ物のために働かなければならない子どもたちがいます。親の手伝いや弟や妹たちの子守のために、自分の学ぶ時間を持てない子供たちがここにはたくさんいます。
何とか学校へ通い始めても、授業や周囲に馴染めず差別され学校を諦めてしまう子供たち。そんな子供たちは新しい知識を得る場を失い、集団生活や社会性をはぐくむ機会から遠ざかります。
貧困がゆえに付きまとう差別、人並みの教育を受けていない劣等感、保護すべき親が自分の都合で子供に仕事を強要する現実は、子供達の自信を失わせ、考え行動する力を阻害します。
やがて子供たちは大きくなり、考えずに安易な人生を選び、未婚で多産、売春、出産時の異常、などの様々な問題へと関わっていくのです。
フィリピンでは貧困の子供たちが家族のために働くことは珍しい風景ではありません。それがゆえ、彼らが学校へ行かなくても、社会的に問題視する風潮もなく、そんな子供たちは地域社会から取り残されています。
そんな子供たちの未来を心配し、平等な目を向けて関われる人々がいなければ、子供たちには親以上の暮らしは約束されないのです。
そんな子供たちが一日中、親の代わりに労働に時間を費やしている状態に危機感を覚えます。
そんな子供たちを救うために、この危機感を共有してくださる方々にご協力をお願いしたいのです。
日本の多くの皆様に現地に来ていただき、貧しい生活の中で暮らす人々の現実を知っていただきたい。そして、フィリピンの貧しい人々の人生、生き方、反応などの背景の中で私が考えた解決方法「WISH HOUSEの運営」に少しでも係わっていただけたら嬉しくと思います。
子どもたちの人生はあなたと出会うこの瞬間に変わる!
貧しさは、子どもたちから夢と希望を奪います。
自分に自信のない子どもがここにいます。自分の感情が素直に出せない子どもがいます。
「私を見て!」と心で叫んでいる子どもがいます。あなたは彼らと何ができますか?
生徒は5000人の子どもたち、教師は日本人訪問者
WISH HOUSE「希望に満ちる家」の詳細 >>
このような社会背景があるなかでも、縁あって冨田さんのクリニックで生まれることになった赤ちゃんたち。その元気な姿はバルナバクリニックのウェブサイトにてご覧いただけます。
生まれたばかりの赤ちゃんたちはみんな、天使そのものです。その幸せいっぱいの笑みが、どうか永遠のものでありますようにと願っています。
看護師、助産師。1997年から日本のNGO現地調整員としてフィリピン・スービックに滞在し、在住地域の貧しい人々のお産を助けるクリニックを開く。
貧しいため病院に行けず、クリニックに助けを求めてやってくる、お産以外の患者に対する医療支援も行っている。
CFP(フィリピンの貧しい人のためのクリニック) ウェブサイトへ >>
フィリピン事務局:
Ms Eriko Tomita
St.Barnabas Maternity Center Manggahan
Resettlement, Mangan-vaca,Subic,Zambales, PHILIPPINES
日本事務局:
〒669-3153 兵庫県丹波市山南町前川163
「CFP」フィリピンの貧しい人のためのクリニック
TEL:0795-70-8270
バルナバクリニックにはバイオベビー、バイオキッズがいっぱい!
フィリピンを訪問して
「バイオ・ノーマライザーのフィリピン工場に招待させてください」
三旺インターナショナルの前田社長からは、ありがたいことにお会いするたびに何度もお声がけをいただいていました。「はい、近日中に日程を調整しますね」とその場ではお返事をするものの、実は内心、二の足を踏んでいました。バイオの工場視察とはすなわち、バルナバクリニック&ウィッシュハウス訪問ももれなくついてくることが分かっていたからです。
かなり自由奔放に(というか気ままに?)生きてきた私も、35歳にして同時に二人の子どもたちの母となり、周りの人たちに支えられながらわらわらと子どもたちを育てて、最近ではようやく会社でも、若いお母さんスタッフを相手にいっぱしの先輩ママ気取りをしてみる余裕も出てきました。
とはいえ、しょせん小心者なのです。「弱い犬ほどよくほえる」とはほんとうによく言ったもので、偉そうなことを言う割には、とにかく気が小さくて、涙腺もゆるゆるなのです。特に話題が(我が子に限らず)子どもネタにでもなろうものなら、幸せな話であれ、その逆であれ、とにかくすぐに目が真っ赤になるのです。
そんな私が、「フィリピンの貧しい子どもたちが集まる場所」を訪問するなんて。なかには、赤ちゃんの頃から育児を放棄されたり、父親からの暴行を受けて育った子どもたちもいると聞きます。そんな子どもたちの境遇を考えただけで、胸が締めつけられて足がすくむのです。正直、私なんかが現地を訪ねても、誰もハッピーな気持ちにならないと思っていました。
そんな戸惑いを中川社長に伝えたら、「いろいろ考えるよりも、とりあえず行ってみたら?」のひと言。行ってみたら?=行ってみなさい=行ってきなさいです。覚悟するしかありません。そんな矢先に冨田さんが日本に一時帰国され、弊社のお客さまのために、東京で講演をしてくださることになりました。
「とりあえず、会ってお話を聞いてみよう。それから、あとのことは考えよう」そんな思いで東京に向かった私の想念が冨田さんに届いたのかどうかは分かりませんが、講演のなかで冨田さんは、「ぜひ子どもたちに会いに来てください。ただし、かわいそうな子どもたちだと思って会いに来ないでください」とおっしゃったのです。
その言葉を聞いた瞬間、「私のような人間こそが、行かなくちゃいけない」と強烈に感じました。冨田さんにお会いしておいてよかったです。覚悟というよりは、もはや自分自身の人生のために必要なミッションだとさえ思えていました。
大洪水のなか、スービックに向かう道をひたすら北上します。
マニラから120km程度と聞いていましたが、車で3時間半ほど走ったでしょうか。ずっと雨が続いていて、道路もあちこちで冠水しています。雨の中を傘も差さず、びしょぬれになりながら豪快に歩いている現地の人たち。家もバイクも水につかっているのに、むしろ陽気に見えてくるから不思議です。
雨の上を滑るように走り続けて、ようやく到着したスービックの街。冨田さんのクリニックは、市街地からそんなに離れていないところにありました。
「かわいそうな人たちを見に来ないでください」という冨田さんのメッセージの意味は、現地を訪問することでより深く理解することができたように思います。
実際には、日本よりも幸福度数が高いフィリピンの人たち。先進国と呼ばれる国に暮らす私たちが想像するほど、毎日を悲壮感ばかりの中で生きているわけではありません。彼らをひとくくりに、「かわいそうな人たち」だと決めつけるのはただのエゴとしか言えません。
数年前まで暮らしていたインドネシアのバリ島でも、田舎に行けばまったく同様の風景がありましたので、そういった論理であれば経験的に理解はできるのですが、冨田さんのおっしゃることはそれだけではありませんでした。
「底辺で生きる人たちには、考える習慣を育む機会がなかった」
人生をあるがままに受け入れる、といえば聞こえはいいようですが、幼いころから「褒められて育つ」経験を積んでこなかったせいで、「よりよくするにはどうするか」を自ら考え行動する力が培われていない、と言う冨田さん。現地の人々のそういった傾向が、毎日の暮らしの中にある様々な弊害の原因になっていることを指摘されます。
食生活はまったく改善しようとせず、ただ、バイオノーマライザーだけが欲しくてクリニックにやってくる人たちに対しては、冨田さんはたとえわずかでも、バイオノーマライザーを有償で渡すようにしているそうです。なんとしてでも、自分の体調を崩している原因をちゃんと自分で考えて行動する習慣をつけてもらいたい。そんな思いで、苦渋の指導を続けていらっしゃいます。
弊害は健康面に限ったことではありません。
親が売春婦だったから自分も大きくなったら身体を売って稼ぐ。
自分の娘にも当然同じ道を歩ませる。その連鎖に誰もなんの疑問も持たないから、それを断ち切ろうとも考えない。
そんな彼らの暮らしを、かわいそうだからといって幾ばくかの経済的支援をするだけでは、本来あるべき正しい方向には向かわないのだと、冨田さんはおっしゃいます。
冨田さんは現在、クリニックの横に貧しい家庭の子どもたちを集めて「考える力」をそだてる活動もされています。そこで一番大切なのは、どんな些細なことでも、子どもたちが自ら考えて行動したことを、しっかりと「褒めてあげること」。
そして、「ありがとう!」といってあげること。
だからこそ冨田さんは、海外からの訪問者たちには、(もちろん金銭的な援助もありがたいけれど)なによりも子どもたちと一緒に過ごす時間のなかで、かわいそうな点にフォーカスするのではなくて、彼らのすばらしいところに目を向けてほしい。そしてしっかりと褒めてあげてほしい、とお願いをされているのです。
何かをすると、褒めてもらえる。感謝してもらえる。
だから、次はもっとがんばる。
日本人にとっては考えるまでもないようなことなのですが、実は、幼少期からの経験があってこそ育まれてきた感情なのだということをあらためて実感しました。
WISH HOUSEで学ぶ子どもたちはお行儀がいい!日本からのゲストが席に着くまで、みんなじっとおとなしく待っています。
WISH HOUSE に通う子どもたちは、とてもお行儀が良くて、やさしくて、人なつっこい目がキラキラしています。その表情を眺めていると、「ああ、この子たちは自分で人生を切り開くんだな」という期待が沸き上がってくると同時に、私ももっともっと一所懸命生きようという思いがこみ上げてきました。
そうして、彼らの健康を支えているのが、冨田さんとバイオノーマライザー。
村の人々も、「バイオの人たちが来るのだから」と、大雨のなかをクリニックまで駆けつけて、自らの健康にどのように役立っているのか、一人ずつお話を聞かせてくださいました。
あとで冨田さんに聞いた話ですが、この村の人たちは少しずつ自分たちで物事を考える習慣がついてきていて、行政からの理不尽な命令なども、簡単には受け入れず、よくよく考えて交渉などもできるようになってきたそうです。
バイオノーマライザーの開発者である大里博士の遺志や、それを継いだ前田社長らの思いが、現地の人たちの人々の血となり肉となり、そして知恵となり、今までとは違う暮らしのために貢献しているのは、どうやら間違いがなさそうです。
バイオノーマライザーが、人々の暮らしをどのように支えているのかを、この目でしっかりと確認しました。懲りずにお誘いくださった前田社長、往診の合間をぬってお話を聞かせてくださった冨田さん、そして、雨のなか温かく迎えてくださった村の皆さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。世界中の子どもたちが、今日よりも、さらに素敵な明日を過ごせますように。
プレマ株式会社経営企画室 山下喜代己
みんなの笑顔に、訪問した私たちがたくさん勇気をもらいました。