「ハーブ研究所スパール」は強い風を利用した風車の町として有名な山形県の庄内町にあります。それを運営する山澤清さんは、約30年前から無農薬でハーブ栽培を続けてきました。
オーガニックという言葉がほとんど知られていなかった30年前から山澤さんは無農薬栽培にこだわっていたのです。それには理由がありました。
山澤さんは21歳で就職した農業機器の会社で「農業の大変さを軽くしてくれる」と信じながら農薬散布の機械の使い方を指導していました。しかし、10年経ってみると小さいときに遊んでいた仲間達、カエル、トンボ、蛍、メダカ、ドジョウ、川シジミ・・・みんないなくなってしまいました。
山澤さんは自然がさまざまな生物が支えあって生きている世界であることをあらためて実感し、化学物質に頼る農業に疑問を持つようになったのです。
便利になると信じて使ってきたものが、実はとんでもないものだったんだよね。俺が農薬で皆殺しにしてしまったんだよ。
なんとしてでも変えなければならない、そんなときにハーブに出会ったのです。
ハーブなら農薬を使わないで育てられることを知り、かたっぱしから本を何度も読み返しました。その後、山澤さんは会社を辞め、海外に出かける友人にも協力してもらいながら380種類以上のハーブを集めて育て始めました。
そして当時としては斬新なハーブティーを飲ませるカフェをオープンしたのですが、繁盛していた店を2年で閉めてしまいました。上辺だけの文化ではなく、大地で育てたものを使って、本当に何かを作る仕事をしたいと思うようになったのです。
山澤さんは、「たんなる反対運動は嫌い。じゃあ、こうしたらいいという提案をしない限り、世の中は変わらないから」といいます。その姿勢は、安全な化粧品作りを始めたことにもつながっています。そして彼は化粧品が化学物質で作られていることに不安を抱いています。
「人の体や皮膚は大地と同じ。健康できれいな肌でいるためには、有機栽培でやらなくてはいけない。つまり微生物を殺したりしない自然のものでケアしなければいけない。人の皮膚の上にも、無数の常在菌と呼ばれる微生物がいる。1センチの皮膚には100万以上の常在菌がいる。それが皮膚を保湿したりなめらかにしてくれるんだよ。でも、今の人は大事な常在菌をわざわざころしてしまっている。」
山澤さんの美容哲学は、大地といつも向き合っているからこそ見えてきたものなのです。残留農薬の影響は20年以上と考える山澤さんは、化粧品の原料もオーガニックでなければといいます。常在菌を殺さない化粧品とは、食べ物と同じぐらい配慮されたもので作るべきだというのが山澤さんの信念なのです。
「10年かけて壊したものは10年かければ戻るかというと、そういうわけにはいかない。もっともっとかかると思う」まだ間に合うのだろうか、などという悲観的な問いに答える間もなく山澤さんは、命の箱舟の櫂をこぎ続けています。仕事を変え、安全な化粧品を作り、さらに色々な知恵を駆使して、昔いた美しく繊細な命を安全な地へと、次の時代へと運ぼうとしています。
山澤さんからのメッセージ
ダーウィンが言っています。“その時々の環境に適応しながら進化する”それも種の生き残りかもしれません。でも私は昔のままの水辺を取り戻したいのです。今が便利であるということがかならずしも将来も安全とは限らないといえます。様々な化学物質は一時的には無害で、有益な物であっても長い時代の流れの中で見たときには決してそうとは言い切れません。今の利便性が負の遺産として将来の子ども達に残ることがないよう、私は安心できるものをこれからも作っていこうと思っています。
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